考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

「うつ病は脳内ホルモンの異常→薬が効く」という一つの事実

どちらかというとムダ毛は剃るより抜きたい派の

 小柏まき です。

 

先日の通院のまでの約9週間、薬を減らしてみていました。

ジェイゾロフト(抗うつ薬)のジェネリックを朝・夕50㎎ずつだったのを、朝・夕25㎎ずつにするというものでした。

今年の春は日々の寒暖差が激しくて、同じ病院の患者さんたちも私と同じように自律神経の乱れによる症状を訴える人が多かったそうです。私の場合は、よくわからない具合悪さで夜中に目を覚ましたり、昼間に頭が気持ち悪くなって横になったり、耳鳴りや視界に星が飛ぶことや手湿疹が出るなどの症状がありました。これは自分でも自律神経失調症だと思っていたので、気候が安定すれば治るとわかっていました。

ところが、気候がある程度安定して、身体が暑さになれてきた感覚があるのに、変わらない症状がありました。それが、夜の気分の落ち込みでした。

 

トラウマの存在を受け入れられない(0か100か思考)

「トラウマ」という言葉があるのは昔から知っていましたし、「〇〇はトラウマだわ」と軽い口調で使うことがなかったわけでもありません。ですが、自分に深刻なトラウマ・深い心の傷があるというのがピンとこないというか、信じたくないという気持ちがあるのだと思います。

自分は境遇に恵まれているほうだと思っているので、それが覆ってしまうのが嫌です。

内向的(原因を内に求めがち)なので「誰々のせい」という風に物事を捉えるのが苦手で、好きな人に嫌いなところがあることを受け入れられないのです。

 

病気を根本的に治したい(完璧主義)

思い返してみればつらい体験はそれなりにありますし、つらく感じるからと思い出すことをやめてしまう記憶もあります。そういった事柄を、思い出して感じ直して、気持ちを整理したいという動機で、このブログも始めました。ですが、まだ早すぎたようです。

夜になると、思い出すことと考えてしまうことがあります。今回のうつ病を発症するきっかけとなった時期のいろいろなことを、まるでたった今あったことのように思い出します。そしてもう一つは、私の人格形成に関わる幼い頃からの体験や因果です。

私は子ども時代から上手くいかないことが多く、自己肯定感が乏しいです。この人格自体が反復性うつ病性障害の根本にあると考えていて、歪んだ認知を変えて病気を根治したいという欲求があります。

 

今回の通院で、減らしていた薬の量を元に戻すことにしました。せっかくチャレンジした減薬に失敗したと考えると虚しいものですが、うつ病は一進一退でそう簡単にいかないことは今までに身をもって学びました。

精神疾患を「心の病」と表現されることがあると、「自分でコントロールできる問題」だと錯覚してしまいそうになります。ですが、自分でどうにかできるなら病院も医師も必要なく、抗うつ薬抗不安薬も開発される必要もないのです。

早く治したい・元気になりたい、という気持ちの方向自体は間違っていないのですが、急いては事を仕損じるので、調子の変化を観察しながら気長にやっていくのが、結局は一番の近道なのですよね。

うつ病が酷かったとき体験談

これでもだいぶ回復してきた 小柏まき です。

私は反復性うつ病性障害と診断されていて、今回のうつ病で通院を始めたのが、記録によると平成25年です。

 

うつ病を発症したきっかけや経緯は、自分の中で整理がつかないままなので、いつかこのブログで文字にして整理(調理)して昇華(消化)できたらいいなと考えています。

 

今回はうつ病の症状が酷かったときのことを記します。

  • ほぼ寝たきり状態
  • 言葉が発せない状態
  • 座っていられるがテレビを1番組見ていられない状態
  • 文字は読めるが文章は読めない状態
  • 短い動画なら観ていられる状態
  • 手が思うように動かない状態
  • 泣く気力・集中力がない状態
  • 自殺企図をしていた時期

これらの症状がバラバラに出ていたわけではなく、同時期だったり波があって繰り返したりしてありました。

 

ほぼ寝たきり状態は、言葉の通り一日のほとんどをベッドの上で横になって過ごしていました。鉛様麻痺や起き上がっていると頭が気持ち悪くなってくる状態です。薬を飲むためになにかしらを口にして生きていました。

 

言葉が発せない状態は、例えばコーヒーを淹れてくれようとした家族に「コーヒー飲む?」と声を掛けられたときに、「うん」の一言すらまともに出て来ない状態でした。言葉を話そうとしても頭が回らない感じで、コーヒーは好きだけど飲んでも飲まなくてもどちらでも構わないなと思いながらそれが言葉になって口から出ることはなく、口を開けて「あ……」というくらいでした。

 

寝たきりではなくて居間に座って居られるようになって、テレビに目を向けられるようになっても暫くは番組がひとつ終わるまで観ていられませんでした。初めは興味があって見始めても、30分もせずに頭がぼーっとしてしまって疲れを感じて、観ることをやめて横になるしかない状態でした。

 

文字は読めるが文章は読めない、というのは体験したことがないとピンとこないことでしょうが、うつ病体験者からはよく聞く症状でもあります。メモ書きくらいの単語なら読んで理解することができるのですが、本を読むなどなにかまとまった内容のあるものを何行か読もうとすると、目は文字を追っているのに内容が頭に入ってこない・目で文字を追うのも難しく何度も同じ行を読んでしまうということが起きるのです。

 

座って居られるけれどテレビを1番組観るのも疲れる、かといって人がワイワイ喋っている番組で視覚情報も聴覚情報も多いものはもっと疲れる、というときにはYouTubeでメッセージ性がほとんどない動画を観たり、百円均一で売っているトムとジェリーのDVDを観たりしました。

 

手が思うように動かなくなったことに気が付いたとき、個人的にはうつ病の症状の中で最もショックがあったように思います。元気だった頃の私は、物を作ることに楽しみを感じて過ごしてきた時間が多かったです。幼い頃には「手先が器用だ」と褒められることが嬉しく、大人になってからも誰かが私を褒めてくれるとき「字が綺麗」と言われることが、恐らく一番手軽な褒め言葉だったが故に多く言われたことでした。

手が以前の自分の手がように動かなくなって、自分が自分でなくなってしまったような感じがしました。病気になる前の私は居ないのだと実感しました。

そして考えました。長く生きて年老いた人が若い頃にできたことができなくなるというのは、こういう感覚なのではないかと。老人になったこともないのに、老人の気持ちがわかるような気がしました。

 

泣くことは、涙を流す行為自体がストレス発散になります。涙はストレスホルモンを体液に混ぜて排出するものです。声を上げて泣けば、声を出すことによるストレス解消効果があるでしょう。しかしそれらには最低限の体力と気力が必要なのです。

 

自殺企図とは自殺を企てるということですが、「死にたい」とか「消えてなくなりたい」という希死念慮を抱くときの感情の落ち込みのようなものはなく、自殺することを前提にどうやって自殺しようかと真面目に起きている間中考えている状態でした。

憑りつかれている、というより乗っ取られているようで、心はほとんど動くことがなく頭だけが働いているようでした。

これは連続して2週間くらいの期間続きました。

 

あまり長い記事は自分で読みづらいので、今回はこれくらいにして、あとで思いついたことがあったら付け足したいと思います。

“うつ病減らスンジャー”に(無責任に)入隊!

この度、うつ病減らスンジャー🍀(クローバー)を拝命しました。

小柏まき です。

 

うつ病減らスンジャー】なるものは、鳥本明さんが深夜のテンションで戦隊ヒーローをイメージして作ったもので、うつ病の人口を減らしたい・うつ病の人のツラさを減らしたいという企画(?)です。

www.torimotoakira.com

 

初期メンバーを募集していることは以前から知ってはいたのですが、なにかの活動を継続する自信がなかったので「なりたいです!って安易に引き受けるのも無責任ですよね」といって、内心「私には無理だな」と思っていました。

 

 

どうして気が変わったかというと

 

ちなみに、なったからと言って特に責任はありません。

【ご報告】鳥本明はうつ病減らスンジャーになりました!&隊員募集【ブルーもいるよ】 - これ読んで生き 

勝手に名乗っても大丈夫です。出来たら報告くれると嬉しいです! いつ辞めても大丈夫です。

【ご報告】鳥本明はうつ病減らスンジャーになりました!&隊員募集【ブルーもいるよ】 - これ読んで生きろ

 

上記のように、メンバーを名乗っても特に責任が発生する感じではないので、継続した活動ができなくても気負う必要はないのかなと思いました。

さらに、鳥本さん本人を含めて4人が集まったそうで、とりあえず初期メンバー5人をもう一人で達成しそうでした。迷いましたが、いい機会と捉えて志願することにしました。

 

一番大きかったのは、流されるのもいいかなと思ったことでした。

私は元々、友達が多いほうではなく、自閉的な傾向があります。なので自分の手の届く範囲で満足することが多く、知らないことが沢山あります。

誰かに影響されることで、自分からは始めないようなことを始めてみたり、知らない世界を見たりするのが、結構楽しいということは体験的にわかっているのです。

 

反復性うつ病性障害の私が、今回のうつ病を発症したとき、生活の中心や行動や自分の存在価値さえも自分以外のところに捧げてしまっていました。人に振り回されていたと見ることもできるのでしょうが、私自身が決めてしていたことだったので、全ての責任は自分にあったと思っています。

うつ病を治そうと決めてから、ただ生きることを続けるために生きて、ただ病気を治すために行動を選んできました。

うつ病減らスンジャー】を名乗ることが、少しでも自分の心の負担になるようでは、本末転倒です。

ですが、当事者である鳥本さんの言葉を肩肘張らずに受け取ってみると、単純に楽しそうだなと思ったのでした。

 

うつ病減らスンジャーはそれぞれ、名前に絵文字をひとつ付けています。私はメンバーと被らない絵文字ならなんでもいいかなという感じで、きのうの記事の「幸せとは何なのかと」考えさせてくれた“四つ葉のクローバー”にしました。色で担当を分けるとしたら、なに色なのかモヤモヤさせられた“緑色”になることでしょう。なんだか私らしいです。

 

うつ病減らスンジャー🍀として、私にできることはなんだろうと考えてみました。

私はブロガーと名乗れるほどブログ歴も知識もありませんし、Twitterも影響力があるようなアカウントではありません。

やはり、とにかく嘘の無い言葉を記すことしか、今の私にはできそうにありません。

それでいいのかなと思います。ただの自分をそのまま表していくことが、今後の自分のためになるでしょう。それに、この記事を読んでくれている“あなた”が少しでも何かを感じてくれたら、それにこそ意味があると思っています。

四つ葉のクローバーを探した思い出

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小学校低学年の頃、まだ私が不登校になる前のことだったと思います。

当時少し仲が良かった友人と二人で、近所の草むらになんとなく遊びに行きました。そこにはたくさんの三つ葉のクローバーが生えていて、四つ葉のクローバーを見つけると幸せになれるという迷信に従って、四つ葉のクローバー探しを始めました。

クローバーはまとまって生えているので、沢山の三つ葉のクローバーの中に四つ葉が紛れていないか、しゃがみ込んでそっとかき分けながら見ていくというとても地味な作業でした。

 

長じてから気にして見てみると、四つ葉のクローバーはそれほど珍しくなく、四つ葉のクローバーがまとまって生えているところでは逆に三つ葉を見つけられないんじゃないかと思うくらい沢山あるものですが、当時はそんな場所を見たこともなく、『四つ葉のクローバー=珍しい』と思い込んでいました。

 

子どもにしては、結構長い時間をかけて探していたと思います。途中で何度か諦めようかという会話もしましたが、それをやめたところで面白い遊びや聞いてほしい話があるわけでもなかったので、二人とも四つ葉を探し続けました。

 

すると、もはやどちらが見つけたのか忘れてしまいましたが、四つ葉のクローバーを確かに見つけたのでした。

友人は「あったー!」と言って、すぐさま、その四つ葉のクローバーの茎を葉っぱ近くから千切り取ったのでした。

友人のその行動は私には理解不能で、「えっ」と思っている間に友人は小走りにどこかへ向かいました。私も立ち上がってついて行きながら、「なんで摘んじゃうの?」「沢山の三つ葉に交じって生えてる四つ葉をもっと眺めたかったのに」「いや、そもそも四つ葉のクローバー探しは摘むためのものだったの??」と頭の中がぐちゃぐちゃで言葉がなかなか出てきませんでした。

友人が向かった先は、たまたまその辺に居た知らないお爺さんの元で、それもまた私には訳が分からなかったのですが、お爺さんに友人が喋っているのを聞いてやっと理解しました。友人は誰かに自慢したかったのです。

お爺さんのほうも、子どもが突然寄ってきて四つ葉のクローバーを自慢し始めたので面食らったかと思いきや、なにやら四つ葉のクローバーを見つけたらこうした方がいいみたいなことを語り出しました。たぶん「こんな上のほうだけじゃダメだ、もっと根元のほうから採取しないと。それで採取したら浅い器に水を溜めてそこに入れておけば云々」と言っていたと思います。

私はそれを聞きながら、「いや、どう見てももう上のほうで千切っちゃってあるじゃん。千切る前には戻せないんだし、もう一つ見つけるのなんて疲れと日暮れの時間から考えて絶望的でしょ」と思っていました。しかし知らない子ども相手に一生懸命喋ってくれている手前、話の腰を折るのも気が引けたので、黙って話を聞いた後に適当に別れました。

 

お爺さんと別れる頃にはお爺さんの話に、というか四つ葉のクローバー自体に飽きた様子の友人は、手の中のクローバーを持て余していました。なので、「私、欲しいな」と言うと迷わずに私にくれました。

全てが、あっけなかったです。

 

家路につきながら、私は考えました。四つ葉のクローバーを見つけたら私はどうするつもりだったのかと。そして、幸せとは何なのかと。結局、見つけたいと思ったものを見つけて喜びを感じる、それに尽きるのかな、と。

家に帰って家族にあらましを話して、持って帰って来たクローバーをどうしたらよいか相談しましたが、千切って来た葉っぱはそう長く持たないということになり、次の日あたりに処分したと思います。

 

この体験では、一度生きている状態から切り離してしまえば元には戻せないという、儚さを感じさせられたような気がします。

『きことわ』の読書感想・非言語化記憶・“時間”の概念

小説『きことわ』(新潮文庫) 朝吹真理子 著 の読書感想です。

 

感想

過去は記憶と記録によって存在する。しかし、記憶はいつの間にか薄れ・抜け落ち・書き換えられてしまう。その記憶が正しい過去のものだと証明することはできない。

昔、聾学校の生徒の絵を見た。その絵は、生徒が眠っているときに見た夢を描いたものだった。独特の空間が、細い線で緻密に描かれていた。健聴者である私が夢を記憶しようとしたとき、夢を言葉で説明してその言葉を記憶しようとする。もしかしたら、手話や指文字が第一言語の人は私よりも夢を夢のまま覚えているんじゃなかろうか。一度脈絡のある言葉に置き換えてしまうと、それ意外の部分はすぐに忘れてしまう気がして、それでも言葉を覚えていれば夢や過去を覚えているつもりになっている気がして、言葉や記憶の限界を感じたことを思い出した。

 

 

きことわ (新潮文庫)

きことわ (新潮文庫)

 

 

 

小説というものは言葉で表現されたものですが、『きことわ』には、言葉で表せないようなものが書かれているように感じたのです。そう感じさせる文章は才能によるものでしょうか。

 

 

思い出とは、過去の記憶です。時間というものは、過去から今を通って未来につながっているものなのでしょうか?

 

私の個人的な時間の概念の捉え方を記します。

“時間”という概念自体が人間が作ったもので、実際には常に今しか存在しません。過去は記録と記憶によってあり、未来は想像です。

時間というのは、人が文化的に生活するために何もないところに目盛りを付けて時刻を作り、その量を把握することで、己や他者のことを知ったり・共有したりすることに使われているものだと考えています。

 

 

私が聾学校にお世話になったのは、学生時代の教職課程であった“介護等体験”でした。実際に聾学校の児童・生徒さんたちと触れ合う時間は少なかったのですが、普段は関りのない学校でどんなことをして過ごしているのかを教えてもらったり、部活動の文化祭での出し物を見せてもらったりしました。

そこで見せてもらったひとつの絵がとても緻密で、その絵の題材が作者である生徒さんが眠っているときに見た夢だと知って、少し衝撃を受けました。「私には描けない」と感じたからです。勿論、生徒さん個人の絵を描く能力もそうなのですが、「自分にはこんな風に夢を憶えていられない」という思いが強かったです。

寝ているときの夢は、大抵起きて暫くすると忘れてしまいますが、内容をなんとなく憶えている夢でも、「〇〇がどうなって、どういう感じの人が出てきたな」という風に、目覚めてすぐに心の中で呟いてしまっていることに思い至りました。そうやって、夢で見た感覚を言葉にしてしまうと、思い出すときにもその言葉を夢の記憶として扱ってしまいます。

一度言葉にした記憶は、言葉を思い出として引き出してくるので、その言葉になりきれなかった部分の記憶は引き出されづらくなり薄れていってしまいます。

聾学校の生徒さんでも人によるとは思いますが、私が衝撃を受けた絵を描いた生徒さんは、夢の記憶方法が違うのかなと思いました。

 

 

人は、“心の声”と呼ぶ言葉に置き換えたものに頼って記憶したり・思考したりするとは限らないのでしょう。

 

特に、文字を書くことを生業としている人には、文字を文字のまま記憶する人もいるようです。人の名前を文字で見たまま憶えているので、記憶を引き出していざ読もうとしたときに読み方の正解がわからないというような話を聞いたことがあります。

ちなみに私は、心の中で音読して憶えるタイプなので、音は憶えていても漢字がわからない、ということがよくあります。

 

前回の記事に引き続き、見たり感じたりする世界も人それぞれで、憶え方や考える方法も人それぞれだと、改めて感じるのでした。

“感じ方・受け取り方”の違い【なに色?】

なにかを記そう、残そうとしたとき、私たちがもっとも手近で選びやすい方法は“言葉を使う”ことでしょう。

言語が違うと(外国語に翻訳すると)細かなニュアンスが変わってしまったりしますが、そうでなくとも、込めた想いと違った風に受け取られてしまうことはあります。

例えば同じ本を読んでも、人によって感想が違って、私にとって大好きな小説が誰かにとっては大嫌いな小説だったりします。 

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 この作品が私にとっては、とてもわかりやすく「“感じ方・受け取り方”の違い」を実感したものでした。

 

 

言葉以外に、なにかを共有したり残したりするのに、どんな方法があるでしょうか?

音楽といった芸術分野には、その方法という側面もあると思います。

 

ムンクの叫び』でお馴染みのムンクは、目で見たものではなく「気持ち」という目に見えないものを表現した画家でもあります。

 

 

しかしながら、私たちが見ているものは、色ひとつをとっても、全く同じようには受け取られません。勿論、視力が弱い人・色弱色盲の人・白内障の人、様々な人がいるでしょうが、それらに当てはまらない人でも、実は色の見え方自体が違うそうです。実際に誰かと私でどういう風に見え方が違うかというのは、照らし合わせられるものではないので、違っていたとしても気づかずに、ずっと誤解したままでも不便も感じないことでしょう。これにはひとつの正解があるわけではなく、どれも正しいのです。

 

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 この記事で黄色い万年筆の話をしていますが、ここで「黄色」と表現したのは、一般的に黄色だろうなと思ったからです。当時から私にとって「黄色い万年筆」は緑色でした。

家族に「緑色じゃなくて青がよかった」というようなことを言ったら、「緑じゃなくて黄色でしょ」「緑ではない」と言われてしまいました。

大人になって、色に関する勉強を少しした後でこの万年筆を見てみると、反射光が黄色で透過光が黄緑色でした。私は黄緑色を感じるものを「黄色」と表現するのに抵抗がありました。理由は緑色というのは黄色と青が混ざった色で、「緑色」という言葉は青緑から黄緑まで幅広い色を指す言葉だと思っていたからです。高校1年生の頃に家族に言い負かされてからずっとモヤモヤしていたので、色のことを少しでも学んでよかったと思います。

 

 

“言葉にできない想い”というのは、どうやったら人に伝わるでしょうか?

顔の表情や言葉の言い方花束にするという方法もありますね。

 

誰かから受け取った言葉やモノを、どう解釈して受け取るかは、自分次第ということです。自分の受け取り方が偏っているとか一般的でないとか、そういう認識を持つことは、いちいち簡単に比べてみられない分難しいことです。

 

ただ、自分の受け取り方を変えて、不安や落ち込みといった苦しさを少なくできるのなら、そうしたいと思います。自分の考え癖を変えるのは、筋トレをして身体を変えるようなもので、短期間でできるものではありませんし、何度も繰り返す訓練が必要です。

この訓練を、私は暫くの間やってみています。「これって、こういう風に受け取ってたけど違った受け取り方もできるのかな」とできるだけ意識して自分の考え方を見直してみる、という単純ながら難しい方法です。

筋トレと違うところは、筋肉量が増えるうようにわかりやすい変化がないことです。「以前の私ならこう受け取っていただろうな」と思うことがあれば、少しずつ変わっていっているということだと思って、これからも続けていくつもりです。

自分という多面体・「態度が変わる人」・振り回される愛着

自分がどういう人間か、キャラが定まらない 小柏まき です。

 

車のハンドルを握るとイラつきやすくなる人。

特定の相手と電話していると口が悪くなる人。

ある集団の中にいると何かの役割を買って出る人。

 

家族や、友人、恋人のように、より親しい関係になるほど、態度の使い分けが目につくものです。それは、その人のいろんな顔を見たことがあるからなのでしょう。

ですが、親しい人の態度の変化が激しいと、信頼の基準が崩壊して人間不信になってしまいます。

 

人によって態度が変わる人と居ると、怖いです。

「あのときはこう言っていたのに嘘だったのか。もしくは今の態度が誰かに合わせた方便で、信用していいのか」

自分のキャラが定まらないのに、自分以外の人のことはそう思ってしまうのです。

 

10代の頃、「本当の自分とはどれなのか」と考えたことがあります。そこで私が出した答えは、「人は多面体であり、どれも本当の自分。強いてひとつ確かに挙げるなら、“こうして悩んでいる自分”は間違いなく自分」というものでした。

 

私は、このブログを始めたことに伴って、Twitterのアカウントを作りました。

ブログに関して右も左もわからないので、とりあえずブログをやっている人や興味を持った人をフォローさせていただきました。いいなと思った言葉に“いいね”するとフォローを返してくれたりする方もいらっしゃいます。私のアカウントをフォローしてくださった方には、私の発言が表示されるのかと思うと、初対面の人達の輪に入っていったような感覚になります。ブログを“ですます調”で書いているので、Twitterで急に“だである調”で発言したら、変な感じがするなと意味のないことに囚われて“ですます調”で呟いてみたりします。

ですが実際の心の声は“だである調”だったり方言だったり、いろいろです。そこに差を感じたとき、「ああ、少なからず自分という人を演じているのだな。正しくは、自分という多面体のどの面を出すかを変えている、のかな」と感じるのです。

 

幼い子どもが愛着を形成するときに、養育者の態度が安定しないと子どもは安定した愛着形成が難しいといわれています。

 

どの人も多かれ少なかれ、場面に応じて「自分という多面体のどの面を出すかを変えている」としたら、どこからを「態度が安定しない」とするか、定義するのはかなり難しいと思います。

 

私には長く付き合った恋人が居ました。もう別れて随分経ちますが、私の人生で大きな部分を占めていて、いまだに囚われている部分があります。思えば、彼は態度がとても不安定な人でした。