日記帳を買っても数日に一度しか書かないので、1年用の日記帳が数年間もつ 小柏まき です。
私のブログは日記的な要素があまりありません。
その理由と、前回の記事をアップした感想を、記します。
前回の記事はこちら↓
前回の記事の感想
書いてみて、一つの記事を何カ月も少しずつ書いて、やっと書けた。
私がブログに書き記しておきたいことのひとつ。
本当にコンプレックスだから、恥ずかしいから、知らない人がいっぱい居るから、書かなきゃいけなかったこと。
私はひとりぼっちだったけど、たまたま環境や人や運に恵まれて生きてこられた。
あるか無いかわからないことだけど。
もし誰かが、ひとりで、生き苦しさを抱えていて。
もしかしたら、今でも、数カ月先でも、数年先でも。
光る四角い画面を見て、「不登校で ずっと死ぬことを考えてたけど大人になるまで生きた人が居たんだ」って思って、ほんの少しでも生きる力になったら。
体調が悪くて嫌になっても、自分の馬鹿さに気がついてしまっても、人に迷惑をかけていることが情けなくて申し訳なくても、“自分は居て いいんだ”って思うきっかけになれたら。
私がずっと、いろんな人に助けてもらって、今まで死なずに来られた、恩返しの欠片になるかもしれない。
私のブログが日記っぽくない理由と不登校体験談を書く理由
もともと、うつ病の快復期の考えを可視化して、自分で読むためのものとしてブログを始めました。
誰かが読んでくれるかもしれない場所にアップすることで、自分の中で言語化されずにいた思いや考えが引き出されやすいことをうまく使っていけたらいいと思いました。
私自身を形成する要素として、今の反復性うつ病性障害に繋がっているかもしれない事柄や、人格生成に関わる不登校体験を書く必要がありました。
そして、どうせ体験談を書き記すなら、似たような体験で苦しい気持ちでいる人の役に少しでも立てたら嬉しいと考えました。
私の知っている範囲ですら、元不登校で教職課程を履修していた人は何人か居ます。ということは、全国的に長期的に範囲を広げれば、不登校児から教員免許を取得した人は、そんなに珍しいというほどのことではないのかもしれません。
ところが、不登校の実態や、特に適応指導教室の存在や内実などを知っている人は、教育現場に携わっている人でも案外少ないと個人的に感じてきました。
具体的には、私が中学生の頃。適応指導教室に通っていたときに、周りの児童生徒たちと一緒に大きな公園へ行ったときに会った、学校教諭でした。
ちょうどその日に近くの学校の課外授業か何かで居た生徒たちの引率をしていた先生でした。平日の昼間に公園に来ている小中学生(私たち)を見て、「今日は学校どうしたの? サボり?」と声を掛けてきたのでした。その公園から数百メートルの施設に、適応指導教室があることを、その先生は知らなかったのでしょう。
普通に学校に行くことができないことで自分を責めたり、自分の思い通りにいかない体調に苦しめられたり、常日頃から葛藤や悩みの中にいて、それでも適応指導教室には通える状態の私たちにはグサッとくる言葉でした。友人たちは皆、少し落ち込んだ様子でした。私は黙っていられなくて「サボりじゃないです」と言いました。
他には、大学の教職課程の『教職に関する科目』の授業でのこと。私が発表の中で、適応指導教室について少し話をしたら、その授業の先生(心理学を専門とする准教授)から、適応指導教室とはどういうものどうかと質問されました。
教育に関わる仕事をしている人が、これだけ知らないのは、知るきっかけが無いからだと思っています。
自分が通ってきた道以外の道を知るというのは、それなりの興味を持つ必要があると考えますが、まったく知らないものに興味を抱くというのは無理なので、ある程度受動的に“知るきっかけ”が要るのです。
人は誰でも、自分の人生以外を生きてみることはできません。
自分以外の誰かを理解するのに大切なのは、想像力と共感性かもしれません。
私がもっているモノを見える位置に置くことで、誰かが他の誰かを想像する材料になったり、これを読んだ人が自分自身を知る材料になれば……いやこれは本当に「あったらいいな」で、私以外の誰の役に立たなくとも、充分第一義は果たしているのです。