考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

絵のモデルは誰でしょう?④

小さなきっかけから絵に興味が向くと、連日絵を描く 小柏まき です。

 

 

SNSや通信アプリで使っているアイコンに飽きて、「せっかく変えるなら自分で描いてみようかな」と描き始めたら、スイッチが入ってしまいました。

 

 

 

こちらは少し前に、有名人の画像を見ながら描いたものです。

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この絵のモデルは誰でしょう?

下の【】の中に白い文字で正解を書いておきます。

 

 

 

川口春奈

 

 

若い頃の国仲涼子だと思った、そこのあなた、残念でした。精進します。

マイノリティが形成する社会もまたマイノリティを生む

 

社交不安障害強迫性障害反復性うつ病性障害の 小柏まき です。

 

 

 

私は今、同じように精神疾患を抱えていたり、マイノリティに属している人と、SNSで関わりを持つことができる環境に恵まれています。

 

 

しかしながら、同じカテゴリーに属していても、人は誰も自分以外を体験することはできません。

そういう意味で、他者を完全に理解することはできません。

 

どんな条件の少数派であれ、寄り集まれば小さな社会が形成されます。

3人以上集まることで平均値がつくり出され、“普通” が作られて、その平均値からの差が大きい人が必然的にそのコミュニティの中で “一般的でない” という位置に存在することになってしまうのです。

 

 

 

例えば、身長が180cmの人、170cmの人、163cmの人が、Aというコミュニティを形成していたとします。この3人の平均身長は171cmです。この中では、170cmの人がもっとも平均的で、163cmの人がもっとも平均的でない、ということになります。しかし、この3人の平均身長である171cmの人はこの中に1人も居ません。また、広い世の中を見渡せば、 163cmの人もごく普通にたくさん居ます。

試しに、日本の成人女性というカテゴリーの平均身長と照らせば、Aコミュニティでは “普通” からもっとも遠かった163cmの人が、もっとも “普通” に近い存在でしょう。

 

 

こうして3人以上の人間が集まれば、おのずと平均的な人と、平均的でない人が生まれてしまいます。

 

 

 

メンタルクリニックに通っているという同じ境遇にある人同士が集まっても、抱えている疾患はそれぞれ違い、それぞれに悩みや困り事があるものです。

世の中的なマイノリティだからという理由で集まった人たちが、必ずしも共感し合えるとは限らないのです。

 

 

世の中で少数派として孤独感・疎外感を感じている人間が、同じカテゴリーに属する人と悩みの一端を共有すると、親近感が湧いて心と心の距離が近く感じるものです。

 

なかなか他者と共有することができない気持ちを共有できる人が見つかったとき、心と心の距離感を実際以上に近く感じてしまう傾向が、どうやら私にはあるようです。

そして、マイノリティに属さない人よりも、同じカテゴリーに属する人のほうが自分の気持ちを汲み取ってくれるのではないか、というような過剰な期待をしてしまうのです。

しかしそれは自分勝手な期待なので、思っている通りにはならないのが当たり前です。その当然の結果に、勝手に気持ちを裏切られたような感情を抱いてしまうことがあります。

心を相手の近くに置いている分、傷ついたと感じたときの傷が深くなってしまいます。

 

 

 

お互いの顔を見て声を聞きながら取るコミュニケーションに対して、SNSは一見すると間接的な関わりであるように見えて、外見や 話すきっかけや その場での体裁など の外壁を取り払って、ある程度の範囲の不特定多数に本音を晒すことが可能です。

 

“程よい距離感” というのは、個々のケースによるところが大きいでしょうが、負担が少なくなく楽しめるように上手く乗りこなしていきたいものです。

車に轢かれそうになって自転車ごと転んだのを引きずっている話

数日前、自転車で片道30~40分の場所に、久しぶりに出掛けました。

家族のお使い兼、外出のリハビリと有酸素運動を目的として、自転車で出掛けることがありますが、梅雨の時期ということで近頃は機会が減っていました。

 

 

目的の用事を済ませて、あとは家に出帰るだけになった、まだ夕方前の帰り道、信号待ちをしていました。

 

信号が青に変わって、よっこいしょと漕ぎ出したとき、気づくと目の前には横断歩道を横切る車のボディが迫っていました。

私は慌ててブレーキを掛けましたが、動揺していたためか体制を崩していて、右手だけ強く握ってしまいました。右手のブレーキは前輪と繋がっていて、しまったと思ったときにはもう体が前に崩れていきそうでした。

しかし、前に転ぶというのは危ないことです。前に向かって転倒すると、神経が集まった顔を傷める危険性があります。また、体を支えるために手をつくのも怪我の危険があります。

腕の力よりも脚の力のほうが強いことから、転ぶときには後ろに転んでお尻のほっぺたで着地する。このときに尾てい骨を打たないようにする。後頭部を打たないようにする。ということが頭によぎりました。

反射的に私は重心を後ろに持っていくようにして、お尻から着地しました。幸い、転んだ場所は平らで何もない歩道で、後ろから来る歩行者や自転車も居ませんでした。

転んだ私の上には、ほぼ同時に自転車が倒れかかってきました。お尻と片手を地面について、自転車をキャッチして顔を上げたときには、もう先程の車は見当たりませんでした。

 

 

斜め掛けバッグから転がり出た飲みかけのペットボトルを自転車のカゴに入れ、信号が変わる前に周りを確認しながら渡り、安全運転で帰宅しました。

 

打ったお尻と自転車が当たったであろう膝に痛みを感じ、頭痛と動悸を感じながら、帰宅して一息ついてみると、地面についたほうの手がガタガタ震えて力が入らない状態でした。

ショックだったのだと、パニックだったのだと、気がつきました。

 

 

元々、外出先で視覚・聴覚情報が多くストレスがかかった状態だったので、既に頭にモヤモヤした気持ち悪さを感じてはいたのです。しかしこれは外出時には頻繁に起こることなので、いつものようにそのうち治るだろうと高を括っていたのです。

 

 

それから1日2日は、頭痛と吐き気と眩暈で、頓服の痛み止めを飲んで気を紛らせつつ、寝込むような形で過ごすこととなったのでした。

 

 

そんなこんなで日付の感覚も曜日の感覚もなくなっていた金曜日の夜、就寝前に飲む処方薬が足りない事実に直面して、やっとその日が通院の予約をしていた日だったことに思い至ったのでした……。

仕方がないので、その日は足りない薬を飲んで眠りました。翌朝メンタルクリニックに連絡して、予約をすっぽかしたお詫びを言い、その日に診察の予定を無理を言ってお願いして、どうにか診てもらい薬を処方してもらって事なきを得ました。

 

土曜日のクリニックは午前中しかやっていないこともあって、患者さんで混み合っていました。12時までの営業時間にも関わらず、私が診察室に呼ばれたのが12時15分を過ぎた頃で、それでも私のあとに何人もが待合室に居ました。

医師や医療事務さんたち、薬局の薬剤師さんたちも、大変だなぁと思いました。

 

 

 

自転車で転倒してから、一週間近くが経つと思いますが、いまだに眩暈や気持ちわるい具合の悪さが残っています。膝には痣ができていて、触れると痛いです。

外に出ることも、少し怖くなってしまいました。

 

転ぶときに、無理をして転ばないように踏ん張ったり、変に脚などを捻って転ばなくてよかったと思います。

 

でももしこれが私じゃなくて、高齢者の乗った自転車だったら……と考えると、同じように転んでも、骨折などの大怪我をしていたかもしれませんし、その怪我をきっかけに寝たきりになってもおかしくないことでしょう。

 

事故というのは誰も望んでいないことですし、もちろん無いほうがいいことですが、できる限りは防ぎたいものですね。

“ストロベリームーン”苺の収穫期の満月

今月の満月は17日。

梅雨の薄曇りの夜、薄い雲の隙間から、綺麗なお月様が見えました。

 

 

この時期の満月を、イチゴの収穫期であることから

ストロベリームーン> と呼ぶそうです。恋が叶うといわれているそうです。

 

 

 

雲に隠れたり、顔を出したりする満月を、写真におさめてみました。

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f:id:ogasiwa_maki:20190619095746j:plainコンパクトデジカメで撮影しました。

 

 

 

綺麗なものを見て、ただ「きれい」と感じられることは、それ自体が幸せだと思います。「キレイだね」と 言い合える人がいれば、尚更です。

 

そんな気持ちを共有したくて、このブログ記事を書いているのかもしれません。

【嫌いと苦手の関係】蒟蒻アレルギーの場合

子どもの頃から、蒟蒻(こんにゃく)が嫌いだった 小柏まき です。

 

大嫌いというほどではないにしても、自ら好んで食べることはなく、可能な限り食べたくないモノでした。なので、誰かにすすめられたときには少しくらいは食べるようにしていました。

大抵の嫌いな物は、少し食べることを繰り返して、徐々に食べられるようになっていきました。

 

蒟蒻も、私にとって “嫌いだけど全く食べられないわけではない” という存在でした。

 

 

 

今回のうつ病で、薬を処方されていくことで、自分史上最高体重を更新して、なおさら動くことが億劫になってしまいました。

 

気持ちの浮き沈みがあまり無くなってきた時期に、食事の量を減らしたり、少しの運動をしたりという程度のダイエットを始めました。

そのときにたまたま買ってみた蒟蒻畑のパイナップル味が、とても美味しくてハマってしまったのでした。

それからというもの、小腹が空くと蒟蒻畑パイナップル味を食べていました。

 

しばらくすると、それなりに体重は落ちたものの、首の付け根などの皮膚の弱い部分に発疹ができて痒みが出てきました。

 

 

そんな中、いとこの結婚式が数ヶ月後に決まったと聞かされました。

 

いとこの結婚式までに少しでも痩せたいというのと同時に、発疹を治して肌を綺麗にしたいと思いました。

しかしながら、発疹の原因がわからずに適当な市販薬を塗ってみたりしていました。

 

 

タイトルの通り、蒟蒻アレルギーだったようなのです。

発疹が出来始めた時期と、美味しい蒟蒻畑にハマった時期が一致していました。

 

その後、蒟蒻を摂らないようにしていたら、自然と発疹も収まりました。 

 

 

 

この記事で何が言いたいのかというと、身体に合わないものを生物として嫌っていたのが、元々の好き嫌いの一因なのではないかということです。

 

私の場合、蒟蒻アレルギーを持っていたために、子どもの頃からなんとなく蒟蒻が嫌いだったのではないか。自分から遠ざけることでアレルギー症状を引き起こさずに済んでいたのではないか。ということです。

 

 

もしかしたら、他の好き嫌いにも、アレルギーのように身体に合わない成分が含まれているのかもしれません。

 

 

 

ここで大きな葛藤を生み出すのが、蒟蒻畑のパイナップル味です。

企業努力による技術の進歩が、私の動物的危険察知能力の上をいってしまったこと……です。

 

ひとことで言えば、代えのきかない美味しさが、そこにはあったのです。

ゼラチンから出来ているゼリーよりも弾力があり食べ応えがあって、寒天よりもプルンと滑らかで柔らかい、絶妙な食べ応えで少しずつ噛み千切って食べられるので、少しの量で美味しさを楽しめる時間が長いです。

蒟蒻を使った料理での難点である、味が沁みにくい問題も、さわやかな甘さのパイナップル味になっていることで「こんなに美味しいコレが、こんにゃくから出来てるの?」と思うくらいです。

 

 

パイナップル味の蒟蒻畑に出会ってしまってたことで、元々は蒟蒻嫌いだったのに好きになってしまいました。

それゆえに食べ過ぎてアレルギーを発症したわけですが。なんとも切ないものです。

しかしながら、ララクラッシュではない蒟蒻畑のパイナップル味は、どうやら当時の期間限定商品だったようです。これで、商品棚と向かい合って伸ばしかけた手を引っ込める、なんてことを繰り返さなくていいので助かっています。

 

 

 

ちなみに、生のパイナップル果汁をそのまま使ってゼリーを作ることは出来ません。

これは、ゼラチンが動物性タンパク質であるのに対し、パイナップルにはタンパク質分解酵素が含まれているために、固まらなくなるからです。

この原理を利用しているのが、酢豚にパイナップルが入っているとか、ハンバーグの上にカットパイナップルがのっているという料理です。お肉を柔らかくしようとしているのですね。

 

だからといって、世の中にパイナップルゼリーが存在しないわけではありません。

酵素は熱に弱い性質を持っているので、パイナップル果汁を一度加熱すれば、タンパク質分解酵素が働くことはありません。

 

タンパク質分解酵素はパイナップルの他にも、キウイやパパイヤなどにも入っているそうです。

 

 

 

脱線しましたが、“自分の意思に関係なく苦手なものを、好きになってしまうと悲しい”という話でした。

 

過去記事『「好きと嫌いは自分じゃ選べない」のは自分を守るため』の、個人的な体験談でした。

 

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 

絵のモデルは誰でしょう?③

ここしばらくは、絵をあまり描いていない 小柏まき です。

 

②の絵も、汲み取って優しい言葉をかけてくれる人が居ました。有難いことです。

前回の記事はこちら↓

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 

 

 

この絵のモデルは誰でしょう?

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下の【】の中に白い文字で正解があります。

 

 

 

答え

相武紗季

映画『万引き家族』の(ネタバレあり)感想・考察

カンヌ国際映画祭パルムドール受賞の日本映画『万引き家族』を、レンタルDVDで観ました。

ネタバレを含む感想です。

 

目次

 

 

 

父[治]と息子[祥太]がスーパーで協力して万引きをするシーンから始まります。

帰り道では、商店街の肉屋さんでコロッケを5つ買います。5人家族なのでしょう。

息子[祥太]の「シャンプー忘れた」という言葉から、生活必需品を万引きしていることがわかります。また、「寒いから今度にしよう」という父親[治]は、忘れていたことを咎めるでもなく、その場しのぎ的な印象を与えます。

シャンプーは盗むのにコロッケは買う。その日に作られたホカホカのコロッケは、彼らにとっても、お金で買う価値があるものなのでしょう。

2月の寒い日、もう暗い時間に、団地の玄関前に一人の小さな女の子がいます。その子に「コロッケ食べるか?」と声をかけて家に連れて帰ることから、話は展開していきます。

 

古い平屋の一軒家、「食べさせたら返してきなよ」と少女を帰らせようとするのは、万引き男性[治]の妻[信代]。

シャンプーを忘れたことを非難する女性[亜紀]は、二十歳前後のお祖母ちゃん子。

年金暮らしのお祖母ちゃん[初枝]は、ぼんやりしていそうで、少女の身体に複数の傷があることに気づきます。

 

 

 

 考えさせられる言葉と行動

「店にある物は、まだ誰の物でもない」「拾ったの。捨てた人は他にいるんじゃない?」「選ばれた、ってことかな?」「私はあなたを選んだのよ」

持って帰ってくることは、選んで近くに置くことは……物を・人を“万引き”することは、誰にとって悪いことなのでしょうか?

 

 

奪う人間がいるということは、奪われる人間がいるということです。

お祖母ちゃん[初枝]は“奪われた側”でもあるという点が、興味深い点でもあります。

 

 

お祖母ちゃん[初枝]は、亡くなった夫を奪った後妻(故人)の家へ出向き、数回にわたって現金を受け取っていました。月命日だから寄っただけ、と称して仏壇に線香を供え、帰り際に差し出された封筒を遠慮なく受け取り、帰り道ですぐに金額を確かめます。

一見すると、帰り道で歩きながら封筒の中を見るくらい、渡された現金に執着があるように見えます。 しかし、その後、家に帰っても受け取ったお金は封筒の中に入れたまま簡単に仕舞っておくだけです。何かに使うわけでもなく、誰かにあげるわけでもない……もしかしたら受け取ること自体に意味があるもかもしれません。金額の確認は、数字に表れる人の気持ちの量(強さ)を計る材料なのかもしれません。

 

 

 

法律に裁かれ・戻され・守られることの 安心と絶望

法律が適切に働くことが、この映画の救いでもあり、現実的な絶望を感じさせる要素でもありました。

 

法律の使者は、落ち着いて真っ当なことを言い、誠実に人に向かいます。独特な関係の中で愛や喜びを感じて生きていた物語の主人公たちが、世の中の常識的にはどう解釈されるのかを、見る者に突き付けてきます。

普段の生活で、心に従って生きる人の言語化していない部分を、言葉にさせて聞き出そうとしてきます。そして仮に提示される言葉たちは、とても表層的に聞こえます。

 

 

子どもは親を選べない。それでも生みの親が望めば、親の元で暮らすことが子どもにとって“いいこと”なのでしょうか? 

 

法律で守られないものを守る術は、無いのでしょうか? 

 

 

 

この映画の主題は、<人と人は何で繋がっているのか>だと思いました。

 

人と人は何で繋がっているのか

血縁関係であること、あるいは“家族”の名のもとに、人は一緒に暮らすのでしょうか?

お金は、人と人を繋ぐことに、どう関係しているのでしょう?

秘密の共有、後ろめたさ、これらで繋がった人たちの関係では、繋ぎとめるモノ以外のモノが生まれ育まれることは無いのでしょうか?

 

 

 

親の条件

直接語られるわけではない、[信代]と[治]の生い立ち。

 

 

「好きだから叩くんだよ、なんてのは嘘だよ」「産んだら母親なの?」

これらは[信代]の言葉です。[信代]が実の親から精神的・肉体的暴力を受けて育ったことが垣間見えるシーンは多くありました。

 

 

「それくらいしか教えてやれること無くて」

これは[治]の言葉です。子どもに万引きをさせた動機が、子どもに何か教えてやりたいという気持ちからきているようでした。

サッカーボールを使ってリフティングをする父と子を窓の外に見たときに、[治]が羨んでいたのは、父親のほうなのか息子のほうなのか、あるいは両方だったのかもしれません。

[治]の本名は、[しょうた]。[祥太]は、息子として暮らしていた子に付けた名前でした。

[治]は子どもたちと一緒に遊んだりするシーンが多く、思い返してみると一度として子どもを叱るシーンがありません。理不尽に怒られて萎縮して育ち、自分は理想の父親に近付こうとしていたのかもしれません。

 

 

 

“今”を生きることだけ

子どもたちは学校へ行くことはなく、「家で勉強できない奴が学校へ行くんだ」と教えられています。

将来のことどころか、数年後のこと、家族の形が変わるときどうするかなどを、どの登場人物もあまり考えていない印象です。

もしかしたら登場する大人たちは、変化していくことを知っていて、更にはそれが想像の範囲に収まらないことを自覚していて、変わってから対応していくしかないというスタンスを確立しているのかもしれません。 

 

 

 

老人という人生の先輩

家族の微妙な変化に気付いて、声を掛ける[初枝]。

万引きに気付かない振りを続けていて、突然「妹にはさせるなよ」と商品をくれる駄菓子屋のお爺さん。

お年寄りの中には、長年生きている分の知恵を身につけている人が、思っている以上に居るのかもしれません。

 

 

 

平和な家族の幸せ

[初枝]と[信代]が一緒に台所に立ち、[信代]はみんなで食べるトウモロコシを茹で、[初枝]は自分の酒のつまみを切る。

[亜紀]と[信代]の恋バナ。

汗だくになってセミの抜け殻を集める[祥太]に[ゆり=りん]が「おにいちゃーん!」と呼びかけ、一緒に木の幹を登るセミを見る。

積もった雪を見て、雪だるまを作ろうと言う[祥太]と、誘われるがまま雪を転がす[治]。

これらは、何気ない日常の幸せな風景を映していました。

 

 

「ありがとうございました」と口を動かす[初枝]。

「お父ちゃん」と口を動かす[祥太]。

この2つは、声のないセリフでした。

 

 

 

人の繋がりを描くための舞台としての貧困

日本の首都である東京のどこかに、この映画のような暮らしが実際にあっても、不思議ではありません。

貧困や犯罪を物語の題材に選んだのは、目を向けるべき社会問題として、かもしれません。

ですが、困った状況になるほど人間の本質は表れやすく、健やかなるときよりも病めるときに本当の絆が見えやすいものだと思います。

個人的には、人の心や絆を描きたかったから、この舞台を選んだのではないかと思いました。