考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

【断捨離】うちの捨て魔は気まぐれ【片付け】

たまには感情に任せて書いていきたいと思った 小柏まき です。

これは常々私を悩ませるモヤモヤとした恐怖です。

 

 

私の母親は、年がら年中「片付け」をしたがっている人です。

この片付けは、いつも同じモチベーションや行動力のものではありません。気まぐれなのです。そして年がら年中片付けのことを言っているのにそれに終わりがないのは、片付けと称した散らかし仕舞い込み処分だからです。だからいつまで経っても “片付いている状態” にならないのです。

 

幼少の頃、一緒に描いた絵を翌日燃えるゴミに出されたのは以前の記事でも書きました。

 

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 

 

他にも、断捨離なる言葉が流行った時期に言っていたのが、「買った本が無いんだよね」でした。数週間にわたってこのセリフを言っていたと記憶しています。

家族のみんなも見かけたら教えようと気に留めて生活して久しい頃のことです、「お前に話したっけ? 本が見つかったんだよ」と。よかったね、どこにあったの? と訊くと、居間のソファーの下なのだそうです。驚いたのは、毎日座っているソファーの下にありながら見つからなかったことよりも、その本が断捨離の本だったことでした。

 

皮肉だな、と一瞬思いましたが納得しました。こうして世の中のビジネスは成り立っている側面があるんだ、と。

 

つまり、本の内容を、本を買った人の全員が実践できてしまったら、自己啓発本も断捨離の本も新しいものは売れないということです。

買った人がこうしてソファーの下に大事に収納しているから、その本は古本屋に売られることもない。更には買った当人はその本をまだ読んでいない、よってこの人は……新たに別の断捨離に関する本を買う可能性があるのです。なんなら今までに断捨離に関する本を買ったことが無い人の平均値よりも断捨離本を買う確率が高い、なぜなら彼女は断捨離もとい整理整頓ができない人だからです。

行動や概念にキャッチ―な名称を付けることの効果を、こうして教えてもらったわけです。

 

その後あの本を彼女が読んだかどうかは私の知るところではありませんが、執拗に片付けたがったり仕舞い失くした物を探していたりする日常を送っています。

 

私は、二度と取り返せないモノが捨てられてしまう恐怖を、日々抱えています。

 

なぜ今この話を書いているかというと、昨夜無くて捨てられたと思っていた、お風呂場用の洗顔の泡立てネットが今日、洗濯機横の洗濯ネット入れから発見されたからでした。

適切な状態や表現に近づく過程

振り子は、一方に大きく振れた後、逆方向にまた大きく振れ、そのあとは振れ幅を小さくしながら落ち着くべき位置を探っていく。そういうものだと、思っています。

 

これは、「詰め込み教育」と「ゆとり教育」の繰り返しなどに言えることです。

双極性障害(躁鬱)*1に似た性質を持つ反復性うつ病性障害、または、うつ病の快復に向かうアクセルの踏み方などに適用できる考え方でもあると思います。

 

 

なぜこのことを書くかといえば、前回の記事で「精神科」「心の病」という名称と表現について考えていたからです。

前回の記事は、ご自身のブログで紹介したいとコメントくださった方が、私とはまた違った視点を持ってご紹介くださいました。

 

nemoさんの記事がこちら↓

nemonemo.hatenablog.jp

興味深く拝読しました。こうやって、できるだけ多くの人と一緒に考えていけたらいいなと思います。

 

ちなみに前回の記事はこちら↓

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 

 

 

言い換えられた死語を考えてみる 

認知症」を昔は【痴呆症】と言っていた時代もあります。これは、今ではすっかり名称が置き換えられた例ですね。

 

不登校」も昔は【登校拒否】と言われていて、「不登校」が進出単語だった時期には、テレビ番組のコメンテーターが「不登校って聞くと不安でしょう? でもただのズル休みなんですよ」というような発言をして、番組のコーナーの終わりに別の出演者がお詫びと訂正をしていたなんてこともありました。今だったら発言後すぐに訂正されて当たり前だという認識に変わったと思います。

 

神経症」は昔は【ノイローゼ】と呼ばれていました。そして現在の「強迫性障害」は以前は【強迫神経症】と、「不安障害」は【不安神経症】と呼ばれていたそうです。こうして「〇〇神経症」は「〇〇性障害」に名前を変えたそうのだです。

ここで個人的に厄介だと感じる点は、精神科医の中でも以前の名称を診断名として診断書に書く先生がいるというところです。

「社交不安障害」が【社会不安障害】と診断される人もいることから、SNSで同じ障害に悩む人と情報交換したいと思っても、検索する言葉が違ってしまうせいで見つけづらく、誰にも共感・理解されない という孤独感を強める方向に作用しているのです。

社交不安障害 - Wikipedia

2008年日本精神神経学会は、「社会」から「社交」へと訳語を変更した[3]。以前のDSM-IVでは社会恐怖社会不安障害の併記、それ以前のDSM-IIIでは社会恐怖である[3]対人恐怖の概念と似ているとする意見がある[3]

 

狐憑き】と昔いわれていた状態は、催眠状態だという説もありますが、当時は理解の範疇を超えている人を奇妙だと捉えた表現だったことでしょう。

 

【キチ〇イ】という表現も、今となっては差別的で前時代的ですが、自分を一般的と捉えている人が“自分とは違う人”をわかりやすく安直に括ったものだったことでしょう。

「気が違う」という意味からきているとすれば、「気」は「心」や「精神」と似た概念だなと思います。

 

アスペルガー症候群】は今では「自閉症スペクトラム障害」と言い換えられているために、古い診断名ですが、一般にどこまで馴染んでいるのかはよくわかりません。

 

双極性障害」と言っても伝わらないことが多いので【躁うつ病】や【躁鬱】と敢えて言うことがあります。

 

熱中症」は、【日射病】と呼ばれていたときに、日光に当たっていない場所でもかかることから【熱射病】と言い換えられたことがありました。より適切な言葉に変化していった例ですが、毎年暑い時期になるたびにテレビやその他のメディアでも注意喚起されて話題に上りやすいので、聞く回数が多く新しい名前が定着しやすいのでしょう。

 

 

そして考えること

心の風邪』というキャッチフレーズが精神疾患は気持ちの・心の問題だという方向に振った振り子は、精神疾患脳の機能障害だからと投薬一辺倒で精神療法を軽視した方向に、既に振れ始めているようです。

 

こう考えてみると、精神疾患は気の持ちようだという誤解は、少々時代にそぐわない感じを受けます。これは日常生活で精神疾患を理解する必要に迫られる機会の少なさの表れでもあるのでしょう。

ですが、精神疾患精神疾患であること自体が議論される機会を少なくし、理解も言葉の言い換えも進みづらい性質を持っているとも思います。それは、患者自身に思考力・気力・行動力の低下が症状としてあるから、ではないかと思うのです。

 

逆に振れ始めた振り子は、ある程度のところまで振れてしまわないと、再び逆方向に振れ出しません。しかし、早く的確で適切な場所に移動させようとして振り子を加速させてしまっては、道のりは長くなって安定は遠ざかってしまいます。

名称の最適化、言葉や概念が定着する文化の発展、これらを今からしていきたいのですが気長にできたらいいなと思っています。

*1:現在「双極性障害」という診断名が用いられるものの【躁鬱】だと伝わりづらいため

「心の病」は“精神科”でドコを治療するのか?誤解されやすさをなくしたい

うつ病・社交不安障害・強迫性障害の 小柏まき です。

「心の病気」「こころの病」「ココロの風邪」

これら、うつ病やその他の精神疾患を指す言葉として使われる表現に、違和感があるのは、今に始まったことではありませんでした。

心は身体のどこに在って、精神はどこに在るのでしょうか?

 

目次

 

 

ほせがわらさん とのTwitterやり取り

先日のことです。 

たまたま目にしたツイートに共感したので、引用リツイートさせていただきました。


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元のツイートをした方が、賛同の言葉で引用リツイートしてくださいました。この ほせがわらさん とはここで相互にフォローしたのですが、YouTubeで活動している うつぺんぎんさん の中の人なのだそうです。 

調子に乗って、思い付きをまた引用リツイートするも、実際にどんな行動を取れば、言葉を変えて誤解を減らす働きかけができるのかわかりません。


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気になることのポイント

  • 「心の病」など、心という言葉で表現されることで、気の持ちよう・自分の意思で患い、またそれらで克服できるような、軽い印象を与えること。
  • 「精神科」「精神疾患」という言葉も、「心」と同様の印象を与えたり、更にはスピリチュアルと関連付けられたりすること。
  • 身体の治療をするための病院・クリニックにお世話になりながら、身体のどこを治療するのかが不明確であるために、<よくわからない>という恐怖やレッテルの対象になること。
  • 脳の機能の疾患であることを強調すると、脳神経外科の分野だという誤解を招くこと。

 

 

心の風邪」の始まりと効果

そもそも、うつ病を「心の風邪」という言葉で表したのは、製薬会社が抗うつ薬を売るためだったそうです。

 

昔は、精神疾患は日常的に馴染みのあるものと認識されておらず、眉をひそめて距離を置くような反応が一般的で、近親者に精神疾患者が居たりすれば恥のように隠す風潮があったと想像できます。この想像が容易なのは、残念ながら現在でもそういった反応をする人を見聞きしたことがあるからです。

 

 

心の風邪」という言葉が、“抗うつ薬を売るため” に作られたキャッチコピーだと知ると、お金儲けのためのような感じがして反射的に嫌悪感を抱いてしまいそうですが、悪いこととも限りません。

精神疾患に強い偏見がある時代に、精神科を受診するハードルを下げる役割を果たしたのだと思います。

 

強い偏見のあることを身近に感じることに変えるほどのインパクトのある言葉は、病院で診断を受けるハードルを下げる働きと共に、大きな副作用をもたらしました。

それが、「うつ病は心の病だ」「精神疾患は心の病気だ」だから「心の持ちようでどうにかなるものだ」という、病気の実態や治療法とはかけ離れた解釈ができてしまって生まれた誤解なのでしょう。

 

 

専門家に質問

「精神科」「精神疾患」という名称にも、同じく違和感を抱いていたことから出た思い付きではありましたが、「精神科」を例えば『脳内科』と変えてほしいという私の意見を、誰か詳しい人にどう思うか訊いてみようと思いました。

 

そこで、相互フォローしている精神科院長でうつ病経験者の 岡本浩之先生 に、リプライという形で投げかけてみました。


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岡本先生ご自身でも、名称の不適切さについては既に考えていらっしゃるようでした。

そしてどうやら、私の思い付きは浅はかだったようです。


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この、岡本先生の引用リツイートの返信欄を見ると、神経内科」が「精神科」などと間違えて受診されないように『脳神経内科』への名称変更を昨年発表したのだそうです。
神経内科との接点もなく、学会にも出席する機会もない私は知らないことでした。

 

もはや、「心」や「精神」を改めて定義したほうがいいのではないか、という気がしてきました……。

 

一人で考えていたって、いい名称が見つかるわけではありません。私には、私のうつ病の、私の場合の治療法しかわからないのです。

こういうときに、人の数だけ頭があって・過ごしている日常があって・見えている世界があるということ、そしてそれらを「自分の場合はこうだ」と伝えあうことができる文化の力が、強みになるのではないかと思います。

 

いい表現を思いついたら、ぜひ教えてください。

絵のモデルは誰でしょう?⑥

かろうじて月に一度は更新していた企画も、今回で最後にしようと思います。

描き続けていれば少しずつでも上手くなるかな? と、描いていた物ですが、描きたい絵が他に出てきたので、このチャレンジは一旦ここまでで納得することにしました。

 

正直なところ、今の自分の力ではこの辺までしか描けないというのがなんとなく掴めて、腕を上げるためにはちゃんとやらなくてはいけないことを確認しました。

 

自分がなんのために絵を描きたいかで、やることは変わってくると思います。

 

 

 

この絵のモデルは誰でしょう?


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下の【】に白い文字で答えがあります。

 

 

 

答え

長澤まさみ

 

 

当たった人が居てくれたら、嬉しいです。

「芸術とは」再考

芸術の秋です。今年の夏は、『ウィーン・モダン クリムト、シーレ世紀末への道』という企画展を見に行った 小柏まき です。

 

 


昨年10月に読書感想と交えて『己の定義する芸術とは』というテーマでブログを書きました。今になって読み返してみると、現在の私の心の声と違った言い回しで書いてあって、わかりづらい言葉を遣っているなぁと思いました。

なので今回は、自分が考える芸術の定義を、改めて今の私の言葉で記しておきます。

 

 

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芸術作品に、興味があるモノが含まれていることがあります。

興味があるモノが、たまたま芸術に属してる感じです。

 

 

人や猿の脳には、顔を顔と判断する細胞や、手を手と判断する細胞があるらしいです。それと同じように “芸術を感知する心の一部” があるイメージです。

 

それが、脳ではなくて心という点が、個人差を産むのかなと思います。

 

 

芸術に分類されないモノが芸術的に感じるのも、好きな芸術作品に触れたときに働くのと同じ心の一部が動かされる要素があるのだと思います。

 


誰かの “心の芸術を感知する部分” を動かせれば、芸術的な人になれることでしょう。

それが自分の心の芸術を感知する部分しか動かせないと、世間には受け入れられない自称芸術家になるのではないでしょうか。

 

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この絵は、描いてみて、美術館で見た作品たちに影響されていると自分で感じました。

 

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【実話】報道は心無い人にも伝わる【胸糞】

メンタリストDaiGoさんが、先日YouTubeに投稿していた動画を観ました。

京アニの事件の被害者の実名報道について、批判していたものです。

メンタリストDaiGoといえば、一時期は「メンタリスト」という言葉を世に定着させるくらいに見聞きした人物です。「見聞きした」というのは、当時はテレビや書籍などで大きく扱われていた、それを私含め多くの人が受動的に受け取っていた、ということです。

近頃テレビで以前のように見かけなくなったのは、きっと自身の本当にやりたいことをやっているからなのだろう。という想像を裏切らない圧倒的視聴者数を誇る動画配信をしている人で、その中身は常に沢山の論文を読み・本を書き・情報を発信する人。というイメージです。

そんな有名な人が、テレビ局や新聞社を名指しで批判していることが、とても人間らしくて、報道というものを見直す風潮を作る一石になればいいなと思いました。

 

 

 

個人的にも、報道で嫌な思いをしたことが、昔ありました。

それは某ネットニュースで、当時はネットニュースに読者が匿名でコメントを書ける仕様でした。

当時は私と親戚関係になる可能性があった人のことです。その人が、突然亡くなりました。

某ネットニュースでは、公共交通機関の麻痺とその影響、そしてその原因が一人の人間の自殺だと報じられたのでした。

誤報であることは、事情を知っている人ならすぐにわかりました。亡くなった人は持病があって、それまでにも意識を失って倒れたことがありました。

状況だけを考えてもそうでした。お土産を買った旅行からの帰り道、旅先でも住んでいる場所の近くでもない地点で自殺するなんて、おかしな話でした。

 

しかし世の中的には、本当のことなんていうものは、一つの誤報に踏みにじられてしまうものなのです。

そのニュース記事には、誹謗中傷のコメントが匿名の読者から沢山書かれていました。コメントの内容は、交通機関を自殺に使うことを迷惑がったものや、自殺成功に嫌味な言葉と絵文字を使ったもの、沢山の人に迷惑をかけた損害を交通機関は遺族に孫の代までかかっても賠償請求するべきだというようなものがありました。

 

一方では、家族を突然亡くして、ショックを受け悲しんでいる人たちが居ました。葬儀の準備や様々な手続きに追われていながら、きっとご遺体と対面することもままならない、そういう人たちが確実に居るのに、それを誤って報道し、ニュースを鵜呑みにし安易に罵詈雑言を並べる人たちが居ました。

 

たった一言でも報道されてしまえば、当事者は訂正や反論の機会も与えられず、それが誤りでも責任を取ってもらえるわけでもありません。

 

こういうスッキリしない話には、「名誉棄損で訴えればいいのに」という感想を持ちやすいかもしれません。ですが、想像してみてください……。

幸い、ネットニュースの誹謗中傷を見たのは、私と限られた人だけでした。

絵のモデルは誰でしょう?⑤

誰かの影を追って、その人に近付きたい気持ちから、何かをやっている気がする 小柏まき です。

 

 

 

何度描いても上手くいかずに、4度目にしてやっと少し納得できるまでになりました。

 

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下の【】に白い文字で、正解があります。

 

 

 

 答え

  杏