考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

“差別”について

こんにちは!

うつ病・アラサー・無職・未婚】 小柏まき です。

 

このブログは、そんな私の備忘録であり、思考と記憶の整理をして気持ちの整理をしようという目的のものです。

 

 

今回は、たまたま触れたある人の発言から考察した 差別について です。

その発言には「逆風でしかない」という表現があって、それは世の中の偏見や差別を指しているようでした。私には疑問が湧いてきました。

まず、本当に世の中はそんなに差別に満ちているのか?

そして、「逆風でしかない」ところへわざわざ身を置く必要があるのか?

私は日本生まれの日本育ち、両親も祖父母も同様です。他の国に住んだことはないのでよくわかりません。私は、「この国は差別が比較的酷くない国なのではないか」という偏見を持っています。なんと幸せな平和ボケなのでしょう。勿論、差別されたことが無いわけではありません。年長者に年下だからと馬鹿にした扱いを受けたことも、「女だからダメ」と言われたことも、精神疾患者だからと急に態度を変えられたこともあります。きっとそんなのは甘っちょろくて、差別されることでもっと切実に悩んでいる人が居るであろうことも、想像しないわけではありません。

そもそも、「差別というもの自体が悪いものなのかどうか」という問題は、「悪いものなら何故なくならないのか」という問題と繋がっていて複雑です。

 

 

心の声

 

  • 健常者には心の狭い人しか居ないのかね?と思ってたら、そういうことじゃないのか。
    結局、健常者でも障害者でも差別したい人はするし、健常者でも障害者でも差別しない人はしない。
    差別する人が居れば、差別される人が居る。どこもかしこも逆風になり得るってことか。

 

  • 差別されて疎外されて生きていると、世の中は差別的に見える。
    当事者は差別される側だけじゃない。差別する人間にも、世の中は差別的に見えてるんだね。

 

  • 苦しい思いをした人が、他者の気持ちをわかろうとする人になるかどうかは、その人次第。どんなに優しくなる要素・体験を持っていても、優しくない人は居る。
    だからなんだ?ただの当たり前のことだ。人がみな違うとわかっていれば、当たり前の話だ。

 

  • 私は自由になりたいよ。自分を含め誰かを憎んだり恨んだり責めたり縛ったり、そういうのを小さくしていきたい。
    人の優しさに目を向けたいし、人に優しくしたい。
    苦しみながらも、いいことを数えて生きたい。幸せを見つけてありがとうを伝えたい。

  

これらが私の心の声です。

 

 

今の私の考え まとめ

 

「差別というもの自体が悪いものなのかどうか」という問題

 →差別には悪い面がある。

  差別された側も、差別している対象に会う側も、嫌な気持ちになる。

 

「悪いものなら何故なくならないのか」という問題

 →差別や偏見は、大切なものを守るためのものだから。

  大切なものが傷付かないように守るために、人間は自分と似て非なるものを怖がる。

  個々をよく知らないから、大きな括りでまとめて、それを怖がる。

 

差別をなくすためにはどうすればいいのか

 →大きな括りで見ずに、個人を見る。

 

 

大切なものを守るために人間に怖がる機能が備わっているなら、差別はなくならないじゃないか!むしろ、なくなったら困るじゃないか!……その通りです。たぶんなくならないし、もしかしたらなくさないほうがいいのかもしれません。でも、それでも、嫌な気持ちになる人が・場面が少なくなればいいなと思います。

綺麗事や理想論のなにが悪いんでしょう?希望を言葉にして、なりたい自分になろうと心掛けて生きることが、許されないわけないじゃないですか。