考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫体験】女の、考えの調理場。

小学校・中学校 不登校体験談①

こんにちは!

 小柏まき です。

 

私は、小学校4年生の途中から中学校卒業まで、不登校でした。

今回は体験を少し記そうと思います。

 

 

不登校になった原因

正直なところ自分でもよくわかりません。ただ、元々「学校へ行きたくない」気持ちが大きかったです。

朝になると体調不良になっていました。身体の具合の悪さは、朝起きられないという形で表れました。小児科で自律神経失調症と診断されるも、治療はありませんでした。

欠席し始めると次に出席することへのハードルが上がりました。意を決して出席しても、学校で嫌な思いをして、尚更学校に行きたくなくなりました。

 

家族の反応

サボっていると思われ、叱られました。

自律神経失調症と診断された後も理解がなく、不登校の原因や責任を探して皆が揉めました。

「学校がある時間に大手を振って外を歩いてたら警察に補導されるよ」、教科に遅れが出ているから「授業のない日に行くようにすれば」などと言われ、朝の怠さがなくなって元気そうにしていれば、それも咎められました。

きょうだいは、私の悪影響で学校を休みがちになったり、「こっちは嫌でも我慢して学校に行ってるんだ」と怒鳴ったりしました。

ある日は親が何も言わずに出掛けたり、またある日は親戚から紹介された祈祷師か何かに見てもらいに行ったりしてました。

 

欠席した日の過ごし方

眠っていたり、テレビを観ていたり、大したことはしていませんでした。

 

クラスメイトの反応

たまに出席すると「学校休んで何してるの?」と訊かれ、「自律神経失調症」と言ってもわかってもらえるはずもなく、茶化してもらえたのは救いでしょうか。当時はすごく嫌でした。

「今日はなんで来たの?運いいね」と言われました。恥ずかしかったので、親には何年も言えませんでした。

 

 

 大人だって、やらなくてはいけないことを我慢してやっていたり、朝いつまでも布団から出たくないことがあっても仕方なく起きたりします。

 当時の私の朝起きられない様子は、家族からすればサボっているように見えたことでしょう。ぐずぐずとサボりたがっている子どもを叱るのは、しっかりした人間になってほしいと願う愛でもあります。ただ、この時の私は、怠くて身体を起こすことができない状態でした。叱られても叱られても治せないので、自分でもわけがわからなくて、もうどうにでもなれという心境でした。

 そして学校を休みがちになると、今度は学校に行くのが不安になりました。自分が欠席している間にも、学校では授業や給食や休み時間があって、クラスメイトは私の居ない時間をそれなりに過ごしているはずでした。

 

 

今になって思うこと

 私はコミュニケーションが得意なほうではなく、どちらかというと思っていることを表現するのが苦手だったと思います。自分なりに思うところがあっても、上手く言葉にできない、主張ができないまま自由気ままなクラスメイトと過ごすのはツラかったと思います。

 どうして自分のことなのに大人になった今でも「思います」としか言えないかというと、当時自分自身の中で感じたことや考えや気持ちを言葉にすることができていなかったためです。一度言葉にしておくと、あとで記憶をたどる時にも思い出しやすいのでしょうが、それが苦手だったわけです。勿論、家に帰って親に会っても、本当に話したいモヤモヤした気持ちは伝え方がわからないので、心の中にしまっておくしかありませんでした。そういったモヤモヤが溜まっていって、しまっておけなくなったのが小4の頃だったのかもしれません。

 

今になって考えると、私は、恐らく遺伝的に環境から影響を受けやすい脳をもっていて、ストレスが身体に出やすいタイプなのでしょう。

このことについては、また後程まとめてみたいと思います。