考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫体験】女の、考えの調理場。

子どもの頃の絵~不本意なユネスコの賞~

子どもの頃の夢は、「画家」でした。画家のことは何も知らずに、絵を描くのが好きだからという理由で言っていました。

その後、「ケーキ屋さん」や「お嫁さん」になりたいと、周りの子たちに合わせて適当なことしか思いつかない子どもでした。

 

小学校3年生の図画工作のときに、『ゴールデンウイークの思い出』かなにかのテーマを出されました。図画工作の先生は、当時の担任の先生ではなく図工の時間になるとやって来るオジサン先生でした。

オジサン先生は、「とにかくこの授業の時間中に描き上げて」と何度かみんなに言っていました。そこで私は、『バーベキュー』と題した絵を描きました。河原に大人が2人と子どもが4人、子どもたちはそれぞれに遊んでいて、大人たちはバーベキューの支度をしているような絵だったと思います。私にとってはその河原でのバーベキューが、絵に描きやすい“わかりやすい思い出”でした。私はやることが早いタイプではないので、適当に題材を決めて、時間内に仕上げるためにいつもよりずっと適当に絵を描きました。突然言われてその時間内に描き上げるのだから、それなりのものを提出しておけばいいという考えでした。

 

それからどれくらい経った頃だったでしょう、全校集会の前に担任の先生から「今日は表彰されるから、名前を呼ばれたら返事をして前に出てください」と指示されました。それまでにもそういう機会はあったので表彰されること自体は嬉しかったのですが、このときは何で表彰されるのか、全く心当たりがありませんでした。表彰状とは“横長の薄い黄色っぽい紙に、縦書きで筆で書いたような文字が並んでいるもの”だと思っていた私には、「こういう賞状もあるんだ」と思わせる、縦長の白い紙に横書きのワープロ文字の表彰状が授与されました。

教室へ帰った後、担任の先生が改めて何の賞をとったのか説明して、クラス皆で拍手をしてくれた気がします。それはユネスコの賞でした。たぶん、全校生徒のうち10人くらいが受賞していて、受賞作品は市の施設に展示されるというものでした。その作品が、あの“適当に描いた絵”だったのです。

 

当時はユネスコがなにやら国際的なものだということすら知らなかったのですが、家族は褒めてくれましたし、うちの小学校は全校生徒が千人以上いたので、その中の10人くらいに選ばれたというのも嬉しかったです。ただ、やはり“適当に描いた絵”で評価されることには、不満が募りました。どうしてあんな短い時間で描いた絵をコンクールに出すのか、どうして適当に描いたのに選ばれてしまったのか、複雑な心境でした。しかしせっかくもらった賞だからと、展示されている施設へ家族で見に行くことになりました。

 

『バーベキュー』と題したはずの絵は『バーベキュウ』と微妙なタイトル変更をされて飾られていました。描いたその日に提出してしまってずっと私の手元になかったので、自分でちゃんと見る機会がなかったわけですが、ほかの絵と並んで展示してあると、それなりに個性を持った絵に見えました。

ですが、私は気づいてしまいました。この絵がどんなシチュエーションの絵に見えるのか。大人2人と子ども4人、審査の先生には、きっと“家族”でアウトドアに出掛けた様子に見えたのでしょう。実は私は、両親ときょうだいでバーベキューなどしたことがありません。その絵の題材になった体験は、私達きょうだいが、叔父と叔母といとこに連れられて初めてしたバーベキューでした。河原で水遊びをするのも、たぶん初めての体験でした。

私の親は、休日に子どもを連れて出掛けたがるタイプではありませんでした。家族全員インドア派だったのですが、親戚は外に出掛けるのが好きなタイプで、このとき以外でも私たちを連れて少し遠出してくれることがあったのでした。

 

絵が、恐らく誤解されて選ばれたことに、私の中ではじわりじわりと嫌な気持ちが溜まっていくようでした。

その後、台紙に張られたタイトル付きの絵が返却されてから、『バーベキュウ』は家の居間に飾られることになりました。数年間は飾っていたように思いますが、ときとき私は、自分が“アウトドアに連れて行ってくれない親”を責めているような気がしてしまうのでした。

そして、やる気なく描いた絵で賞をとったことで、絵に対する描きたい気持ちも、見失ってしまったようでした。