考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫体験】女の、考えの調理場。

禁煙したタバコ屋育ち

本日5月31日は『世界禁煙デー』だそうです。今回は、喫煙について記してみようと思います。 

 

健康増進法』が施行されたのが何年前のことだったのか、よく憶えていませんが、この法律ができたことで受動喫煙への関心が高まりましたよね。

受動喫煙については、喫煙者が喫煙中に同じ空間に居ること以外でも、喫煙者の髪の毛や衣服についた煙を周りの人が吸ってしまうことを「三次喫煙」というそうで、ある自治体の役所では「職員は喫煙後45分間エレベーターの使用を禁ずる」という取り組みをしているそうですね。

 

過去には私にも、日常的に煙草を吸う習慣がありました。

煙草との出会い、吸い始めたきっかけ、禁煙するきっかけなどを振り返ります。

 

元々は実家が“たばこ屋”をしていました。しかしながら、家族には喫煙者が居ないという、馴染みがあるんだかないんだかよくわからない距離感で育ちました。

少なくとも、家で煙草屋をしていなかったら、私が育った家庭の形はなかったことでしょう。

これは私自身が大人になったときに、煙草を手に取っていたかどうかにも関わっていると思います。

 

子どもの頃、家の玄関の外には、赤地に白抜きの「たばこ」という幟と、煙草の自販機とジュースの自販機がありました。幟と同じく赤地に白抜きの「たばこ」の文字がこちらは横に並んでいるテントが、頭上の壁からせり出していて、その下に煙草屋のカウンターがありました。カウンターはショーケースのようになっていて、そこに近付くとセンサーが反応してピロピロ~ン♪と鳴るのでした。

店主は祖母で、ほとんどの日にお店を開けていました。

 

高校卒業後に上京した私は、20歳になりました。それから、煙草を吸っている人に影響を受けたりしながら、幾つかの種類の煙草を吸ってみて、手に入りやすく吸いやすいものを習慣的に吸うようになりました。

 

健康増進法が施行されたり、煙草が値上げされたり、いろんなことがありました。日常的な喫煙の動機は、やはり深呼吸と気分転換です。そして、喫煙していて得だったと思う唯一のことは、喫煙所に集まる人と会話をする機会を得たことです。普段特に直接関わる機会のない人でも、喫煙者は喫煙所に集まって休憩時間を過ごすので、仲の良い人ができたり、人が多い場所ではしにくい話をしたりということがありました。

 

そうやって数年は喫煙者だった私ですが、いろいろあって地元に帰って実家で暮らすようになりました。

それから暫くして、家族に大きな病気が見つかりました。そして、副流煙を家族に吸わせたくないという理由で、禁煙しました。

 

禁煙の方法は単純なものでした。

「禁煙しよう!」と決めた瞬間に吸っていた煙草をもみ消し、残りの煙草を捨てて、その後は夢に出てこようが吸いたくなろうが、とにかく我慢しました。

家族の命の問題に直面している時期だったので、動揺している分、決意が固くて、たまたまうまくいったのだと思います。

 

禁煙に成功してみると、お金はかからないし、消化の確認を気にしなくていいし、飲食店で禁煙席に座れるしで、いいことしかありませんでした。

ですが、煙草屋で育って、喫煙者になってみた経験は、今の私を形成するのに必要な体験でした。

喫煙者の気持ちがわかりますし、『煙草=悪』みたいに思うことはありません。国は税収があるわけですし、煙草を製造・販売している人も、世の中には居るのです。