考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

自分という多面体・「態度が変わる人」・振り回される愛着

自分がどういう人間か、キャラが定まらない 小柏まき です。

 

車のハンドルを握るとイラつきやすくなる人。

特定の相手と電話していると口が悪くなる人。

ある集団の中にいると何かの役割を買って出る人。

 

家族や、友人、恋人のように、より親しい関係になるほど、態度の使い分けが目につくものです。それは、その人のいろんな顔を見たことがあるからなのでしょう。

ですが、親しい人の態度の変化が激しいと、信頼の基準が崩壊して人間不信になってしまいます。

 

人によって態度が変わる人と居ると、怖いです。

「あのときはこう言っていたのに嘘だったのか。もしくは今の態度が誰かに合わせた方便で、信用していいのか」

自分のキャラが定まらないのに、自分以外の人のことはそう思ってしまうのです。

 

10代の頃、「本当の自分とはどれなのか」と考えたことがあります。そこで私が出した答えは、「人は多面体であり、どれも本当の自分。強いてひとつ確かに挙げるなら、“こうして悩んでいる自分”は間違いなく自分」というものでした。

 

私は、このブログを始めたことに伴って、Twitterのアカウントを作りました。

ブログに関して右も左もわからないので、とりあえずブログをやっている人や興味を持った人をフォローさせていただきました。いいなと思った言葉に“いいね”するとフォローを返してくれたりする方もいらっしゃいます。私のアカウントをフォローしてくださった方には、私の発言が表示されるのかと思うと、初対面の人達の輪に入っていったような感覚になります。ブログを“ですます調”で書いているので、Twitterで急に“だである調”で発言したら、変な感じがするなと意味のないことに囚われて“ですます調”で呟いてみたりします。

ですが実際の心の声は“だである調”だったり方言だったり、いろいろです。そこに差を感じたとき、「ああ、少なからず自分という人を演じているのだな。正しくは、自分という多面体のどの面を出すかを変えている、のかな」と感じるのです。

 

幼い子どもが愛着を形成するときに、養育者の態度が安定しないと子どもは安定した愛着形成が難しいといわれています。

 

どの人も多かれ少なかれ、場面に応じて「自分という多面体のどの面を出すかを変えている」としたら、どこからを「態度が安定しない」とするか、定義するのはかなり難しいと思います。

 

私には長く付き合った恋人が居ました。もう別れて随分経ちますが、私の人生で大きな部分を占めていて、いまだに囚われている部分があります。思えば、彼は態度がとても不安定な人でした。