考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫体験】女の、考えの調理場。

今日も生きてます。命が“有る”

反復性うつ病性障害の 小柏まき です。

「今日も生きてる」とほぼ毎日思う今日この頃です。

 

“有る”状態が当たり前で、“無い”状態を考えてもみないとき、“有る”ことは意識にのぼりづらいものです。

「自分が居るな」とか「私は人間だな」とか、日々考えているのは哲学好きな人か、“無い”状態・そうではない場合を身近に感じている人やそういう人に想いを馳せている人でしょう。

 

生きていることは致死率100%なわけですが、それはいつか必ず来るとわかっていても隣り合わせになってみないと考えることに留まって感じるには至りません。

 

しかしながら、本当に死に直面すると「次の瞬間には死んでしまうんじゃないか」という感覚が先行して、生きているほうに目を向けにくいということもあります。

 

なにが言いたいかというと、うつ病の症状が酷くてインプットもアウトプットもできなかった頃の私には、自分が生きていることを実感できませんでした。それが気長に少しずつ治療・療養をした月日を経て、“有る”ことを実感できるようになりました。それくらいに回復してきたということなのだと思います。

 

 

精神疾患者には所謂普通の生活が難しく、生活に必要なお金を稼ぐことが、どこかに属して働くということが難しくなります。精神疾患を持っている人のほとんどはそういった実生活でのお金の問題に直面し、不甲斐なさや悔しさを感じ、自分自身の価値に頭を悩ませることと思います。

その救済のために、自立支援医療障害年金があります。しかしそれらは、基本的な生活をする助けになる程度のものです。

 

双極性障害(躁うつ病)の元彼は当時、「宝くじ当たらないかな」「金が手に入ったら治る」と言っていました。

うつ病の私には全く共感できませんでした。何億という大金が突然手元に舞い込んで来ることを想像しました。大金を手に入れたら、それを持つが故の悩みを同時に獲得してしまうことが、容易に思い描けました。

どんな人でも持っていて困らないむしろ欲しがっているものを、自分が沢山持っていたら、きっとふたつの不安を手に入れるだろうと考えました。

それは、手に入れたものを失う不安と、“持つ者”になることでそれを知っている周囲の人の言動に他意を見出してしまう(それを予期して知られることに警戒する)、というものです。

うつ症状が悪化するのが想像できます。実際に、宝くじの高額当選者には銀行から冊子が渡されるらしいです。それは急な環境の変化に精神の平常を保てなくなってしまわないための言葉が書いてある、のだとか。

 

とはいっても、「一生かけても使い切れないお金があったらなぁ」と空想しないわけではありません。これは全く現実味のないものとして楽しめます。

謎に「60億円あったら」って話になったけど、私だったら温水プールスケートリンクが欲しい。毎朝泳ぎたいし、スケート靴を新調してコーチ呼びたい。
それでまた学生になりたい。心理学か文学の学科に行って、美術史と生命科学と、書道をやってみたい。
アトリエも欲しいしバイオリンをやり直したい。
あと、書庫も欲しいなぁ。NPO法人も作りたい。家族関係の変化に関わる絵本を翻訳して出版したいし、視覚障害者と健常者が一緒に楽しめる絵本もいい。大きな手術した人の為のオーダーメイドの衣類を作るのもいい。
なんかこう、無責任に放りっぱなしじゃないことをしたい。
今はとにかく病気と闘うぞ!