考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

あの星たちのひとつ

雲の向こうには天の川、沢山の星たちが光っていたのでしょうか。

亡くなった人を「星になった」と言うのは、どこか遠くで見ていてくれると思いたいからでしょうか。

星は、人々の幸せを願っているのでしょうか。

 

個人的に、儀式はそれを行う生き物が精神を安定させるためにあると考えています。

それは人が死んでしまったときも同じで、告別式も火葬も、遺された人間のためのものだと思っています。だから年月を重ねるほど、徐々に儀式は頻度を下げていくことで、生きている人々は生きていない人のことを想う頻度を下げて、大きな支障なく暮らしていけるくらいに忘れられるのではないでしょうか。

 

私の生まれ育った“それなりに便利な田舎” では、親戚同士が近所に住んでいることが多く、私の家の近所にはとこが住んでいました。親同士がきょうだい=「いとこ」で、親同士がいとこ=「はとこ」です。

彼女は私と年齢が近かったわけでもなく、かといって親子ほど離れているというわけでもない、年上の人でした。特別に仲が良く頻繁に行き来していたというわけではなく、どちらかというと彼女の子どものほうが歳が近かったために、一緒に遊んだりしていました。

そう、彼女は私が子どもの頃に別の場所へ嫁いで、若い母親になっていたのでした。 たまに里帰りして来て、そういうときに顔を合わせるようになっていたのでした。

親よりも年齢が近く同性で年上の身近な人というのがほとんど居なかった私には、自分がこの先に辿るであろう人生の一つの成功例のように見えていたように思います。

 

狭い田舎では人の噂話が多く、更にそこに血縁者が多いとなると過去の不義理や過去の恩に囚われたりすることも多く、「世間体」というものに重きを置かれているものです。それは結構な大きさで日常に入り込んでいるので、世間体を気にして言動を選ぶことは珍しくありません。

 

はとこが深刻な病気だということは、彼女が亡くなるまで知りませんでした。

きっと、近所の人に口外するとすぐに広まって、お見舞いをしたがる人が出てきて気を遣い合って余計に疲れてしまうことを予期してのことだったのでしょう。

彼女は旦那さんに、「いい人が居たら再婚していいんだからね」と言って、この世を去ったそうです。

 

「再婚しないで」と言われたほうが“これからもずっと好き”と言われているみたいで嬉しいか、それともその言葉に縛られて生きることになるのか。

「再婚していい」と言われると寂しいものなのか、自分が居なくなってからも生きていかなくてはいけない伴侶のこの先の人生を想った愛の言葉なのか。

それはその夫婦によって違うのでしょうし、きっと本人たちにしかわからないのでしょう。

 

七夕の日に旅立った彼女は、星になったのでしょうか……。 

 

 

今週のお題「星に願いを」