考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫体験】女の、考えの調理場。

【弐】9年半付き合った恋人(躁鬱)の看病【私編①】

あらましに引き続き、私編①です。あらましはこちらから↓

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 

彼は元々、別の地方に住んでいました。私が居るという理由で、飛行機が必要な距離を越えて上京してくれました。彼曰く、昔から東京に興味があったことも一因ではあったそうなのですが。私と付き合っていることが上京のきっかけにはなったと思います。
付き合い始め当時、私は学生でした。彼は正社員として働いていて、上京を機に転職しました。

 

上京・転職が彼の精神疾患のきっかけになったかもしれないことに、私は少なからず責任を感じていました。

それが正当なものだったか、自意識過剰だったか、今になっても判断はつきませんが、責任の取り方が結果的に度を超したものになっていたことは今ではわかります。私は「自分のために精神疾患を患ってしまった恋人」がもし死んでしまったら自分のせいだと考えていました。

また、彼の親族は皆地元にしかおらず、近くに頼れる人が居ませんでした。私が看なければと一生懸命になり過ぎて、「誰かに相談してもわかってもらえないだろう」「別れろと言われるのがオチだ」と思って一人で全部を背負いました。

 

彼がほぼ寝たきりの状態だった頃の私の日常は、起きたら水で洗面をして、髪は手探りで一つに束ね、安定の組み合わせの服に着替え、外出時は常に「こうしている間に彼が自殺していたらどうしよう」と急いでいて、いつもすぐに脚に疲れが溜まってパンパンになっていました。

だからといってずっと外出しないわけにはいきませんでした。食べ物や日用品以外にも、飲み水からなにから調達する必要がありました。彼は水道水は飲まなかったのです。

しかし、スーパーへは徒歩で行くには少し遠く、自転車によく乗りました。自転車を買うときに、私は後ろにもカゴが付いているものがいいと意見したのですが、彼は見た目がよくないという理由で前カゴしかないものを選びました。

どうしても沢山のミネラルウォーターや食料を調達する必要があるときには、前カゴに入りきらない分の荷物はレジ袋に入れて腕に掛けて運びました。レジ袋の持ち手が腕に食い込んで痛いのですが、進んでいれば着く、腕が千切れることはない、と自分に言い聞かせました。

 

いったい何日、何週間、何カ月、まともに鏡を見なかったのでしょう?

恐らく同年代の女性だったら、洗顔後はスキンケアをして、化粧をしなかったとしても日焼け止めは塗ることでしょう。髪も、伸ばしっぱなしで邪魔だから束ねるという人は、多くないでしょう。子育て中のお母さんの気持ちが、少しはわかるのではないかと思いました。

気が休まる時間はなく、必要なことはやる以外の選択肢はなかったので、私は当時それまでと比べて痩せていました。しかしそのことに気付いたのは暫くしてからでした。鏡をまともに見ないだけではなく、体重計に乗ることもずっと忘れていました。

 

彼がつらそうにしていると私もつらくなって、寄り添いました。彼がイライラして語気を荒らげて何か言うと、反省して言いつけを守りました。

 

私の髪はロングだったのですが、床に落ちている長い髪の毛を彼が嫌って「どうにかして」と言われた日には、掃除をして、自分で自分の髪を切りました。彼が気付いたのは数日後で、褒めてくれたり感謝してくれたりはしませんでした。

 

彼の状態がよくなり、復職に向けてリハビリ的に短時間出社するようになったとき、夏の暑い日に私は彼のアパートで一人、彼の帰りを待っていました。いくら私が滞在していても、そこは私が本来居るべき場所ではなく、彼の部屋なので、エアコンをつけて電気代を掛けるのが悪い気がして我慢していました。

暫くして、彼が岐路につく頃に、彼から連絡がありました。気温が35℃を超えているからエアコンをつけていいという、許しの内容でした。私は、「彼が私を心配してわざわざ連絡してくれた」「今までエアコンを付けていなくてよかった」と思うと同時に、「私一人だと35℃を超えないとエアコンも使ってはいけないんだ」「生活保護でも保障される程度の、基本的人権は、私にはないんだ」と、ぼんやりした頭で考えました。

 

復職に向けて出勤し始めて、また休みがちになる、ということが何度か繰り返されました。

彼はそのたびに、酷く落ち込んだりイラついたりしました。

病院での薬の処方も変わり、離脱症状や副作用にも悩まされました。

 

そんなとき、障害者手帳の交付基準を満たしているのではないかという話になったのは、主治医がきっかけだったでしょうか。

軽いうつ病では、まず交付されないらしい精神障害者保健福祉手帳が、躁うつ病と診断されて長いことから勧められたのだと思います。障害者手帳は、持っているとサポートしてもらえる場面があるというよい面がありますが、持っているが故に損をするということは基本的にはありません。つまり、偏見の目によって“障害者”と括る基準になること以外は、マイナスなことはないのです。

病院で診断書を貰って、市町村役場に申請してから、都道府県から交付されるまで、1カ月くらいかかったでしょうか。申請しても交付されるまで、審査に通るかどうかはわからないのでした。

よかれと思っての申請でした。しかし審査がどうかというのが、彼の大きな気がかりになったようです。「もし審査に通らなかったら、薬を飲む意味もわからない」と頭を抱えて落ち込んでいるのを見ると、手帳があろうがなかろうが彼自体がなにか変わってしまうわけではないという私の考え方は、一般的には偏見がなさ過ぎて感覚的に通用しづらいものなのだと思わされました。結果的には手帳の交付によってこの問題は解消されました。

 

こうして私は、無力感を強くしていき、自分の価値を見失っていきました。

 

【私編②】に続く。