考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫体験】女の、考えの調理場。

【参】9年半付き合った恋人(躁鬱)の看病【私編②】

私編②です。私編①はこちらから↓

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 

首吊りの輪

あるとき、部屋の中に首吊りの輪を見つけました。彼が暮らしているワンルームに憚ることなく下がった紐は、彼の死にたい気持ち、死にたくない気持ち、もっと自由に楽に生きたい気持ちの表れのようでした。

首吊りの紐に対して、どういう反応が正しかったのかは、わかりません。その紐を取り去ってしまうことは簡単なことでした。しかしそれは、彼の意思表示を取り去ってしまうことのように思えました。

私は紐の一か所にハサミを入れて、輪を切りました。一見すると元の通りなのに、いざ首を通そうと輪を広げると切れていることに気づく、“吊れない紐”を残しておくことにしました。

彼の意思に対して、私の死なないで欲しいという意思表示をしたつもりでした。

よくも悪くも、彼がそのことに気づくことはありませんでした。

 

腕切りごっこ

彼とは恋人同士で、家族のようで、友達のようでもありました。

友達のように、一人の趣味に付き合っているうちに二人の趣味になるということもあり、面白そうなものを買ったり作ったりして遊ぶ、ということもありました。ですから、彼が血糊を持っていたことは知ってはいました。

ある日、その日の私は貧血で体調不良でした。

少し目を離したあと、彼が「腕切った。痛い」と言って血の滲む腕を押さえていました。私は半信半疑ながら、本当だとしたら手当てをしなければと、水道で血を洗って傷口を見ようとしました。すると、それは血糊だとネタばらしされました。きっと彼は、私が笑って許すことを想像していたのでしょう。

ですが私は、貧血にショックと安堵が重なって、酷い耳鳴りと共に目の前が真っ白になって吐き気がして、その場にうずくまってしまいました。

彼は興味を失ったようで、私のそばから離れて行きました。

 

女友達

彼にはゲームをする習慣がありましたが、私にはなく、彼に少し付き合う程度でした。彼が一人でゲームをしていても、自由に過ごしてくれていたらいいと思っていました。

オンラインゲームで知り合った人と直接連絡を取り合うようになり、オフ会に始まり、誰かと遊びに行くようになっても、普段私としか関りがなかったことから、いいことだと考えていました。

ある日のこと。女友達からの連絡で、彼の部屋に来たがっているらしいと聞かされました。恋人と同棲状態だと言うと「彼女さんがOKなら」と、飲み会を開きたがっているそうでした。

問題は、女友達に彼の病気(双極性障害)のことも私のうつ病のことも、話していないことでした。そもそも、彼が病気でないことになっているのなら、私は何をしていることになっているのでしょうか?

もちろん私は嫌がりましたが、彼は乗り気なようなので、「ここは貴方の部屋だから」「私もどこかに遊びに行こうかな」と言って、どうせなら大江戸温泉物語にでも行ってみようかと考えました。

彼の反応は、私の理解を超えていました。「そこまで考えてくれてるんだったら、まきが一泊するお金出すよ」と。このとき既に、彼には散々お金を貸していたので、わけがわかりませんでした。そして一駅先のビジネスホテルを勧めてきました。私は気分転換のつもりだったので、「そのホテルの近くに何かあるの?」と訊くと、そういうわけではありませんでした。ますます意味不明で、怒りと呆れで、まともに取り合うのが馬鹿々々しくなりました。

結局、「彼女としてOKではない」、理由は病気を隠しているから、と伝えました。

 

その後、オンラインゲームで他の外国人女性と知り合って、毎日のように長電話していた時期もありました。同じ部屋に居るのに、たとえ私が体調不良を訴えようと、彼はまるで私の存在に気づかないようでした。

 

盗撮

彼が何気なくデジカメをいじっているとき、いつ撮影したのかわからない動画を再生していました。そこには彼と私の行為が映っていました。隠し撮りでした。

一人のときに観ているのだと言っていました。そのときには、大して深く考えませんでした。

時間が経って、改めて考えてみると、元彼がデータを持っているかもしれないことに、恐怖を感じるようになりました。しても仕方のない最悪の想像をして、意味のない不安を抱いて、心地悪くなります。

 

生活保護

私の自由にできることは、し尽してしまって、金銭的に厳しくなりました。彼には援助してくれる親族はいませんでした。そこで生活保護の受給を勧めました。

誘っても彼は役所に行きたがらなかったので、初めは私一人で役所へ行って、わかる範囲で話をして、話を聞いて来ました。

「続柄は?」と訊かれても、夫婦でも血縁でもないので、面倒でした。生い立ちや、職場の対応などは、彼から聞いて知っている範囲でしか答えられませんでした。

私にとっては、地元でもなく現住所の所在地でもない役所でした。方向音痴で人見知りの私を動かしていたのは、“彼のため”という思いでした。

結局彼は、生活保護を受けて暫く暮らしていました。

その後のことは、彼と別れてから連絡もつかなくなったので、私の知るところではなくなりました。 

 

たとえば今、元彼が何かに困っていたとしても、不自由なく暮らしていたとしても、それはもう私には関係のないことで興味が湧かなくなりました。

 

元彼にされた数々のこと、浴びせられた言葉や取られた態度を、なにかの拍子に生々しく思い出してポロポロ涙を流して息が苦しくなるようなことが、数カ月前まではありました。

元彼のためだけに生きていた私は、自分の中から“私”というものを追い出してしまっていました。人ひとり分の権利も価値もないのだと諦めていましたし、自分の気持ちというものがわからなくなっていました。

酷いことをされたのだ、惨めな目に遭ったのだと認めるのに、時間がかかりました。

 

やっと、今になって、過去を過去と認められるようになってきました。