うつ病の根底に発達障害を疑ってみた【障害の捉え方】

反復性うつ病性障害の 小柏まき です。

子ども時代から、自律神経失調症になったり、うつ病に繰り返し罹ったりしてきました。

なにか根本的につまづく原因があるから、何度も同じ場面で転んで痛い思いをしなければいけないのではないか? そう考え始めたのは学生時代でしたが、その原因が見つからないまま、ままならない人生を送ってきました。

 

そんなとき、ふと気になったのが、『大人の発達障害』という言葉でした。

ここ数年で発達障害を扱うメディアも増えてきて、認知度が高まったように感じます。また、色々な人が個々に発信する活動も、インターネット上で多く見受けられます。このことは専門的で極端なものとは違った情報を摂取するのに、非常に役に立ちそうでした。

発達障害と診断された当事者。自分は、あるいは身近な誰かは、発達障害なのではないかと思って診断を受けるかどうか迷っている人。複数の障害を併発している人。障害の有無もその重さも、立場も考え方も、性格も、様々な人が関わり合い情報を交換できる環境が生まれているように見えました。

 

手始めに、YouTube発達障害当事者の動画を幾つか視聴してみました。テレビの特集コーナーで取りあげられるような、オーソドックスで限定的な知識しかない私にとって動画の視聴は、受動的に情報を得るのに便利でした。

同じ人の動画を幾つも観ていくと、その人がどういう人なのかが、少しだけわかってきます。例えば、どういう経緯で診断を受けて、その診断をどう受け取って、何を発信したくて動画を作っているか、というような考えに触れることができます。

私はこうして、何人かの人の動画を観て、その人達に興味を持ち、コメントをしてみたりして関りを持ってみました。

 

他にもSNSで、発達障害と診断された人やグレーゾーンの人と、関わりを持って言葉をやり取りしてみました。

 

とても当たり前なのですが、目立って発信している人が、そのことに関する代表ではないということを感じました。

どの人も、違った性格で、違った状況で、それぞれの考えを持っていました。

数人の当事者と、数カ月の間、インターネットを介してでも実際に関わってみたほうが、どこかの専門家の本を読むよりも、ある面では学ぶことが多いのかもしれません。少なくとも、専門家的な視点の知識とは別の、個々の人間の実生活を垣間見ることができますし、障害と名のつくものは“その人を構成する要素のひとつ”なのだと感じられます。

 

知識を得ると、自分も当てはまるのではないかという気がしてくる、ということはよくあります。

私は精神科の主治医に直接、考えていることを話してみました。すると主治医曰く、問診した限りでは、私には発達障害の要素は無さそうとのことでした。

しかしながら、例えば自閉症スペクトラム障害は、「スペクトラム」という言葉が「連続体」という意味である通り、はっきりと分類するのは難しいものなのだそうで、主治医自身にも「自閉的傾向がある」と言っていました。

そこで私は2つのことを学びました。ひとつは、私は自閉的傾向がある定型発達の精神疾患者であろうこと。もうひとつは、私は共感性が高く感情移入しやすいので、心を大きく動かしそうな情報を摂取するのは、心に余力があるときに限ったほうがよいことです。

 

 

私の個人的な “障害”というものの捉え方

「〇〇障害」というのは、「日本人」「女」「B型」というのと同じように、把握しやすいようにザックリ分けた呼び方で、それ以上の意味はないと考えています。

例えば、「日本人」という言葉にはどういった意味があるでしょうか? 日本国籍を持っていることかもしれませんし、何代前から日本生まれの日本育ちの人を指して言う場合もあるかもしれません。言葉の正確な定義と、その言葉から受ける印象が必ず一致するとは限りません。ですので、人によって受け取り方が違うものなのかもしれません。

それらの私の受け取り方は、『ザックリ分けた呼び方』だということです。それ以上の意味はないと考えていますが、それ以外の意味があることを知らないわけではありません。それ以外の意味というのは、例えば、B型だから輸血する血液もB型のものを選ぶということなどです。

 

 

自分が発達障害に当てはまりそうにないということは、うつ病を繰り返すことの根底にある原因の目星が、今回は外れたということです。

私のうつ病の根底に、何があるのか? あるいは何もないのか? また探して、一つ一つ可能性を当たっていくことを、気長にやっていこうと思います。