考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

できることのムラの中で

反復性うつ病性障害、強迫性障害パニック障害・社交不安障害(未診断)の 小柏まき です。

 

今年は自立支援医療の更新に診断書が必要になる年だと記憶しているので、今の主治医に自分の状態を話して、診断してもらう必要があるのではないかと、少々悩んでいます。

 

以前の主治医による診断書には、「反復性うつ病性障害」と「強迫体験」などと記されていました。

というのも、私の中に「自分は具合が悪くなる個体だから仕方ない」という病識の無さや、「症状を話すのが恥ずかしい」という気持ちと、「社交不安障害と診断名がついたところで処方薬は変わらないだろう」という考えがあるからです。

 

 

しかしながら、生きづらい、不自由なことが多いことは悲しいものです。

 

 

先日、数年ぶりに かぎ針編み(クロッシェ)をしてみました。

幾つか編んでみたのですが、少し大きめのものを数日かけて編んでいたら、軽い腱鞘炎のような痛みが手首に出てしまいました。

 

今よりも元気だった頃には考えられないほど、身体も脳も、弱って力がない状態になってしまっています。

 

写真はレース編みのコースターです。

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このコースター、編み上がったと思ってアイロンの蒸気を当てようとアイロン台にピンでとめているときに、間違って編んでいたことに気がつきました。

やはり元気な時に比べると、頭がぼーっとしているのだと感じました。

 

間違いに途中で気付けば、沢山の糸を解くことになっても戻って編み直す、というのが私の元々の性格です。

なので、そもそも編み直さなくていいように、何度も何度も数えながら編み進めるというタイプでした。

この病気になって、完璧主義をやめて病気を治したいと考えるようになってから、完璧な物を作ることよりも、“楽しんでできること”を優先するようになったので、ちゃんと数えれば気付くはずの間違いに気づかないまま編み上げてしまいました。

これは意識的に矯正したことなので、この歪なコースターは、完璧主義から遠ざかることができたという、前進の証のようなものです。

 

 

できなくて不自由に感じたり孤独や悲しみを感じたりしていること、それらは、どうしようもなく存在している今の私なのです。

 

人にメッセージを手書きしようとしたら、ドラマの演技でもわざとらしくて笑ってしまうくらいに手が震えて、まったく思うように文字が書けないこと。

人と関わるのが好きでお喋りしたい気持ちとは裏腹に、言葉が出て来なくなってしまって思うように喋れないこと。

外に出て、お店に行って店員さんと話すことが楽しかったのが嘘のように、人と対峙すると立っていることも困難になることがあること。

オシャレを楽しむことが好きだったのに、恐怖を感じるほど太る副作用を持つ薬も、効き目を優先して選んでいること。

これらの全部が、内に秘めていても、こうしてブログに書いても、変わらない今の私なのです。

 

 

こうやって私は自分に、語り掛けるのです。

「自分そのままを受け入れてやれ」と。