考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫体験】女の、考えの調理場。

マイノリティが形成する社会もまたマイノリティを生む

 

社交不安障害強迫性障害反復性うつ病性障害の 小柏まき です。

 

 

 

私は今、同じように精神疾患を抱えていたり、マイノリティに属している人と、SNSで関わりを持つことができる環境に恵まれています。

 

 

しかしながら、同じカテゴリーに属していても、人は誰も自分以外を体験することはできません。

そういう意味で、他者を完全に理解することはできません。

 

どんな条件の少数派であれ、寄り集まれば小さな社会が形成されます。

3人以上集まることで平均値がつくり出され、“普通” が作られて、その平均値からの差が大きい人が必然的にそのコミュニティの中で “一般的でない” という位置に存在することになってしまうのです。

 

 

 

例えば、身長が180cmの人、170cmの人、163cmの人が、Aというコミュニティを形成していたとします。この3人の平均身長は171cmです。この中では、170cmの人がもっとも平均的で、163cmの人がもっとも平均的でない、ということになります。しかし、この3人の平均身長である171cmの人はこの中に1人も居ません。また、広い世の中を見渡せば、 163cmの人もごく普通にたくさん居ます。

試しに、日本の成人女性というカテゴリーの平均身長と照らせば、Aコミュニティでは “普通” からもっとも遠かった163cmの人が、もっとも “普通” に近い存在でしょう。

 

 

こうして3人以上の人間が集まれば、おのずと平均的な人と、平均的でない人が生まれてしまいます。

 

 

 

メンタルクリニックに通っているという同じ境遇にある人同士が集まっても、抱えている疾患はそれぞれ違い、それぞれに悩みや困り事があるものです。

世の中的なマイノリティだからという理由で集まった人たちが、必ずしも共感し合えるとは限らないのです。

 

 

世の中で少数派として孤独感・疎外感を感じている人間が、同じカテゴリーに属する人と悩みの一端を共有すると、親近感が湧いて心と心の距離が近く感じるものです。

 

なかなか他者と共有することができない気持ちを共有できる人が見つかったとき、心と心の距離感を実際以上に近く感じてしまう傾向が、どうやら私にはあるようです。

そして、マイノリティに属さない人よりも、同じカテゴリーに属する人のほうが自分の気持ちを汲み取ってくれるのではないか、というような過剰な期待をしてしまうのです。

しかしそれは自分勝手な期待なので、思っている通りにはならないのが当たり前です。その当然の結果に、勝手に気持ちを裏切られたような感情を抱いてしまうことがあります。

心を相手の近くに置いている分、傷ついたと感じたときの傷が深くなってしまいます。

 

 

 

お互いの顔を見て声を聞きながら取るコミュニケーションに対して、SNSは一見すると間接的な関わりであるように見えて、外見や 話すきっかけや その場での体裁など の外壁を取り払って、ある程度の範囲の不特定多数に本音を晒すことが可能です。

 

“程よい距離感” というのは、個々のケースによるところが大きいでしょうが、負担が少なくなく楽しめるように上手く乗りこなしていきたいものです。