考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

【比喩】お粥が飲み込めない苦しさ【精神疾患】

少し前の私には、食べようとした物が喉に詰まって苦しかったり、多くの人が摂っている栄養が摂れなかったり……というような感覚が強くありました。苦しくて悲しくて、何時間も泣いて過ごしたりしていました。

 

ここでは考えを調理していくために、情報を栄養に、多くの人が受け取りやすい媒体をお粥に、例えたりして扱います。

「栄養=知りたいこと」「お粥=全て平仮名で書かれた文章」などと置き換えられます。

 

感覚過敏HSPなどの人は、もしかしたら共感する部分があるかもしれません。

 

 

 

徐々に変化する心の声(呟き)

考えすぎとか言われることあるけど、考えようとしてジックリやってるわけでも何でもなくて、一瞬でそこまで思っちゃうのはどうやって訓練すれば矯正できるの?

 

多くの人が受け取りやすい媒体から情報を受け取る能力がない。

高い観察力なんかいらないから、有用な情報が欲しいし、情報が有用かどうか判断する材料くらい欲しい。

ずっと治そうと努力し続けてるはずなのに、できない。

どうせまたバカにしてるとか人のせいにしてるとか思われる。死にたい。

 

私にはずっと同じことを話しているつもりでも相手には「飛躍し過ぎ」と思われる。

別の話を織り交ぜて話を進めたせいで、意図が不明確になったのか。

嫌なものに触れないということは、今すぐ死ぬしかない。自分が嫌なのだから。

人が嫌なのではない。人を通して自分を見てる。

 

夢の中で、知人たちが外国語で話していた。私にはわからない外国語。理解する能力が無い。みんなが当たり前にしてきた努力をしてこなかった。

お粥が飲み込めないみたいな、栄養がとれなくて困ってる。それなのに「あなたは美食家ですね」と言われているような。

誰にも理解されないんだ。

 

『「目には目を」を実行していたら、世界中の人の目が見えなくなってしまう。』

だかなんだかって、キング牧師は言ったんだよね。

「だったらみんな目が見えなくなればいい」って気持ちが少し。

「だから自分の目が潰されても我慢するのが平和主義ってことなんだ」って気持ちも少し。

 

つまり、嫌なら視界に入れなきゃいい、っていうのを実行したら、視界自体を閉ざさなきゃいけないんじゃないかって……。

 

或る お粥が飲み込めないから、そこにある栄養が摂れないと思ってすごく悲しかったけど、違うわ。ちゃんと美味しいお米と水で作られてれば食べられるし、おじや なら美味しくて好きですらある。

仮説だけど、私の問題じゃないのかもしれない。

原因を内に求め過ぎだ。

 

自分の能力の無さを、できないって事実も、それを理解されない悲しさも、そんなに大きなことじゃないのかも。

誰だって食べられない物もある。

好きじゃないって理由で嫌いな物が食べられない人を、アレルギーがあって食べられないからって羨む必要はないのかも。どっちにしろ、食べられないんだから。

 

でも羨ましいのよね。

拒否された側の料理人は、嫌いとアレルギーの差がわからなくて、「グルメですね」と言って適当に褒めてくるのが、悲しくて仕方なかった。

わかってもらう努力なんて要らない。わかるわけがない。わかってないことに気づいてないんだから。

 

そのお粥が食べやすい、美味しいって言う多くの人に、愛されていればいいんだ。そのままでいい。

こっちは飲み込めないものを口に入れないように、避けていくしかない。