小学4年の途中から、中学校卒業まで不登校だった 小柏まき です。
テレビの情報番組で、「夏休み明けは生徒の自殺率件数が増える」「不登校の生徒が、コロナ禍の夏休み短縮などの影響で尚更学校に行きづらくなる」という内容を扱っていました。
元々そのテレビ番組を意識して見ていたわけではなく、たまたま家族が付けていたのをチラッと見ただけなので詳しい内容はわかりませんでした。
私自身も、不登校だった当時は家庭と学校が世界のすべてでした。
大人になった今も、子どもの頃とは別の大きな世界で生きている感覚ではありません。人は誰でも、置かれた環境、所属している場所の人たちで構成された小さな社会を幾つか持っていて、そこを行き来しているのだと思います。
不登校だった頃は、“不登校児童・生徒” という肩書を持っていて、家族や親戚や近所の人に不登校の子として扱われていることが多かった……というか、不登校という要素を抜きにして扱われていたことがあったかどうか、ちょっと考えただけでは思い出せないくらい少ないです。
そうやって常に “不登校児” だった私は、自分の体調不良や学校へ行くのが怖くて仕方ない気持ちを悪いもののように思っていましたし、そんな自分が嫌でした。
「消えてなくなりたい」「逃げたい」と何度思ったかわかりません。
それでも私は、今もこうして生きています。
病人として、大人として、人間として。まだ一度も途切れずにいるから、今も続いているのです。
生きていればいいことがある、とは言い切れません。言えるのは、生きていればいいことがある可能性があるかもしれない、ということです。
このブログが、画面一つ通して、過去の私のような人に届くといいなと思います。言葉にすれば伝わるとは限りません。ただ、言葉にすれば伝わる可能性があるかもしれません。
生きていることは致死率100%です。
100年後には、私のことを直接見知って覚えている人は、おそらく居ません。
小学4年の途中から授業を受けていない私は、学校に行っていた人が受けた図工の授業を羨ましく思います。
中学の授業を1つも受けたことのない私は、学校に行っていた人が受けた美術の授業を羨ましく思います。
でももし今、目の前に当時の不登校の私が居たとしても、「学校へ行きなさい」とは言いません。「死なずにいたから、今も生きてるよ。」と、言うかもしれません。