考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

嫌なことを考えてしまう理由【ネガティブは悪か?】

嫌なことを思い出して、いつの間にかぐるぐると考え続け、嫌な気持ちになって体調まで少し悪くなる、小柏まき です。

 

過去のことを考えても仕方ないのに考えてしまう自分が嫌になります。

嫌なことを考えている時間、変えられない過去の記憶に頭を支配されて、せっかくの新しい今を過ごしているはずなのに、嫌な気持ちの今にしてしまっている。切り替えなきゃ、忘れなきゃ、と自分に[考えないこと][忘れること]を強いて、それが出来ていない自分を責めています。

ネガティブ思考は悪いことであるとの認識が、自分を責めるのです。

考え尽くしても尚、思考グセで考えてしまう。そういう場合には切り替えが必要なのだとは思います。

しかし、ちょっと不思議に思ったんです。何故、ふとしたときに嫌なことを考えてしまうのかを。[考えてはいけない]と結論付けて自責する自動思考が、自分のためなのか否か、問うてみてもいいのではないかと。

 

 

前提1.過去は変えられない

前提2.起きた事柄に関する周辺情報を補うことで記憶の信憑性が変わる

前提3.過去の事柄に対する感情や評価(受け取り方)は変わる可能性がある

仮説1.嫌な記憶を引き出すことで得られるもの

仮説2.過去が遠くなったことで客観視できる心の状態

 

 

前提1

過去は変えられません。過ぎ去ったから過去と呼ぶのであり、干渉することはできません。

 

前提2

周辺情報というのは、その過去に関わっている人の記憶や気持ちを聞いてみることで得られたりするものを指します。

「誰々がこう考えたからこう行動を起こした」「誰はこう思っている筈だ」という自分の中での思い込みに気付き、他者は自分の想像の範囲外であることを知ったりします。

 

前提3

過去、それが過ぎたすぐのときに感じた感情は、過去が遠くなった今でも同じだとは限りません。時間が流れれば、生きている限り歳を重ねて経験も増えます。もしかしたら、今は別の考え方を使って違う受け取り方をするかもしれません。「そのときは〇〇だった」というのも、「しかし今ではこう思う」というのも、どちらも本当のことなのです。

 

仮説1

嫌なことをわざわざ思い出すには、何かしらの意味があるのかもしれません。

例えば、危ない目に遭ったことを思い出して、体験的記憶を強めておくことで引き出しやすくしておき、同じような目に遭いそうになったときに回避する判断が早くできるかもしれません。

あるいは、誰かにされて嫌だったことを思い出して、当時の相手の状況に想像を巡らすことで、自分も別の誰かに知らず知らずのうちに似た嫌なことをしないようにするためかもしれません。

つまり、嫌なことを思い出すことは、今を無駄に悪いものにしているのではなく、何かしら得るものがあって、それを脳が・心が自然に正常な働きとしてやっているのではないか。という仮説です。

 

仮説2

もう一つ、別の側面から仮説を立ててみます。

仮説1が正しかったとして過去から何かを得ようとするとき、過去とある程度の距離が取れたり、気力や体力が回復していたりしないと、過去と改めて向き合うことはできません。

時間の感覚的に距離が取れていないときは、まだ過去が過去になりきっていないのだと思います。それはまだ今の心が動かされ続けている状態です。捉え方によっては、過去が過去になりきる、今の自分と過去の出来事が完全に切り離されるときなど来ないかも知れず、その線引きをする材料はありません。しかし、ふと振り返ってみられる、そういう力が蓄えられたときに、過去のつらい出来事を思い出すのかもしれません。

 

 

以上が、今日の私が考えたことです。

自分自身のこともよくわからず、健忘症により記憶が怪しいので、備忘録として記しておきます。