考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

言語化の利点と難点を体感した話

今回のうつ病の症状が酷かったとき、まともに喋れなかった 小柏まき です。

 

うつ病の症状として長い文章が読めない・頭に入ってこないというのがあります。元々は小説を読むのが好きですが、人生の中で本が読める期間というのが私にとってはあまり多くないです。

うつ病精神疾患と呼ばれるものは脳の機能の病気で、一人の人でも うつ病の時とそうでない時に測ったIQには差があるそうです。

私の場合、具合が悪くなると言葉が出て来なくなることがしばしばあります。

喋れなくなるというのには、私の場合いろんなパターンがあります。

 

①自分が何を思っているかがわからない場合

②ぼんやり伝えたい感じのことがあるのに適切な言葉でまとめられない場合

③相手に応じた言葉を選ばなければいけないと考え過ぎている場合

などなど

 

つい最近も、言葉が出てきづらくなって「また喋れなくなってしまうんじゃないか」と怖くて悲しくなりました。

 

今回の状態について考えてみると、ブログやツイートで私個人の単発の言葉を発するのには大きな支障を感じませんでした。

問題は “会話” に当たる遣り取り、言葉のキャッチボールでした。誰かに向けて発言しなければならないと思うと、強い苦手意識で怖くなってしまって、言葉を掛けてくれた方にも失礼ながらお返事できな状態です。

実のところ、ツイートにいただいたリプライに返信できるのが私にとっては当たり前ではなく、頻繁にお返事できるようになったのはここ数カ月くらいのことだったと思います。

 

こうやって、気軽に楽しく言葉を交わせるときと距離を取らないといけないときがあるから、私は人に好かれづらく、何を考えてるかわからない人として遠ざけられやすいのだろうと、自分で思います。

 

 

考え起こせば幼い頃から、愚かな自分が恥ずかしいという感覚が強く、大抵のことを「こんなことを人に話したら変なんじゃないか」と、誰にも話さずに過ごしてきました。「どの人もそれぞれ抱えていることを人に話さずに乗り越えたり折り合いをつけたりしているのだろう」と強く思っていました。

それが、今のうつ病を治療していくにあたって、自分の思い込みや考えグセや物事の受け取り方を変えていく必要があると思い、他者に意見を求めるようにしてきたのでした。

以前なら “話すまでもない” と思う自分の内側を、言語化して身近な人に心を少し許してみて「私の受け取り方、どう思う?」と訊いてみるのです。すると私一人では思ってもみなかった受け取り方があることを教わったり、逆に、多かれ少なかれ同じように受け取ってしまうものだけど囚われないように意識して対処している、といった体験談を聞くことができる場合もありました。そうして、私は他者の考え方を少しずつ取り入れて、思考グセを変化させることで、反復性うつ病性障害から脱したいと思ってきました。

 

考えていることや気持ちや体験談を言葉を介して遣り取りできるというのは、前述のように病気の寛解を目指すのに大きな助けになる一方、その遣り取り自体が上手くいかないこともあるものです。

 

 

数日前、私は自分の中の嫌な部分について、親に話しました。それは病気とも関係があり、親には迷惑をかけてしまっていて申し訳なく思っていることでした。

このときの私は、甘えたい・共感してほしい・慰めてほしい という気持ちが、たぶんあったのだと思います。

親は「そうだね。ちょっとどうにかしなきゃね。」という内容のことを言い、それ以外に感想は無いようでした。

私は、追い打ちを掛けられたような気分になり、申し訳なくて仕方なくなり、情けなく泣き出してしまいました。

冷静になって考えれば、親の言ったことはもっともで、酷い言葉とは程遠いものだったのでしょう。

ですがこのときの私は、自分でも嫌で仕方ないのにどうにもできず苦しい気持ちを、本来なら話す必要もないのに心持ちを変えたいために、切り開いて晒しているような感覚でした。自分なりに勇気を出したつもりでした。

 

泣きながら言葉を続けると論点がどんどんズレて、聞かなくて済んだはずの言葉を引き出してしまったりします。泣いていると上手く喋れないだけではなく、相手の受け取り方にも影響するからだと思います。

生まれてきたのにポンコツで申し訳ない。迷惑を掛けてばかりなのに捨てずに育ててくれた。私のせいで大変なことばかりで申し訳ない。そんなことを泣きながら言いました。

親は「一言何か言えば気に入らないのか」と怒っていました。私が生まれるより前からの恨みつらみをぶつけてきました。そして、「ポンコツに産んで申し訳ない」「産まなければよかった」と言いました。

 

私は今までの人生で、幸せ!と思ったことは何度もありました。自分は不幸だと思ったことは、一度もありませんでした。

生まれてこなければよかったと思ったことは、記憶の限り無いので、「産まないで欲しかった」と言ったこともないと思います。

 

私はきっと、「それでもお前が生きてて、よかったこともあったよ。」と言って欲しかったのでしょう。しかしこの言葉は私の想像の中にある言葉で、親の中には無い言葉だったのでしょう。

 

 

人に自分の想像を押し付けて叶わないことを確認し、勝手にショックを受けて、言葉が出てきづらくなる。という、周りの人からすればそれは迷惑に違いない自分が、本当に情けなく恥ずかしいです。

 

最近の言葉が出てきづらく喋りづらくなったことについて。自分なりに勇気を出した言葉がきっかけで今回のようなことがあると、言葉を発するのが恐怖で、出力機能が停止しようとするのではないかと考えています。

そして同時に、誰かから掛けられた言葉の意味や意図を自分が読み取れていないのではないかという不安が強くて、何を言われているのかわからないと感じることがとても頻繁にあります。

 

今回のことも、程々のところでコミュニケーションを取っていくことに慣れるために、自分が自分に教えようとしているのかもしれません。