考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

「障害者ヤ〇ザ」お客様は-他の人は神様です?

幾つかの障害に悩まされている、小柏まき です。

 

近頃、電車に乗ろうとして希望通りのサービスを得られなかった体験を共有することでバリアフリー化を訴えている車椅子ユーザーのことを、ネットで見かけました。

無知な私の個人的な、率直な感想は、「時刻通りに希望の場所に必ず連れて行ってくれるのが当たり前みたいな世の中を作った、日本の公共交通機関は凄い。すべての駅にエレベーターを設置できれば完璧だ。」でした。

しかし、エレベーターを設置するのもきっと初期費用よりもむしろ、定期点検や災害時の安全確認などの人手の確保の方が難しいのだろうな、と想像しました。

 

ネットで見かけたこの件で、少し前に車椅子ユーザーに邪魔者扱いされて嫌な思いをした体験を思い出したのでした。

 

 

先日必要な物を買いに100円均一に行きました。

商品を手に取って実際に使っている自分をできるだけリアルに思い浮かべることで、本当にその商品を買う必要が有るのか・目的の用途にその商品が適しているのかどうかを判断します。私の場合、地味に時間を掛けて物を選ぶことが多いです。

商品棚の前で商品を手に、幾つか持ち比べてみたりしていました。すると右斜め後方から「通れないよー」と誰かが誰かに言っているのが聞こえました。私が邪魔で商品棚の間が狭くなってしまっているのかな?と思って、できるだけ端に避けました。しかし私は視覚情報が多いお店ではほとんどの場合、具合が悪くなるので、多少の体調不良の内に早く買う物を決めて買い物を済ませたくて真剣でした。

端に避けているのだから人が通れる隙間はあるだろうと思っていました。

右後方の声は、純粋に困っているというよりは邪魔な私を咎めるように「えー、通れないよ!だって怖い怖い!」と、大袈裟な感じで近づいてきました。そんなに邪魔をしてしまっているのかと振り向くと、声の主は車椅子ユーザーの女性で、後ろで車椅子を押している男性に話し掛けていたようでした。

結局、私はそれ以上移動しなくても車椅子は通過していきました。しかし女性はずっと割と大きめな声で文句を言っていました。私は凄く嫌な気分でした。

 

「そんなに色々と喋れるのに、どうして私に直接何も言ってくれなかったのか?」

「なぜ、察して配慮して協力してもらうのが当たり前のように振舞うのか?」

「少しでも不安なら別の通路を通っても行けるのに、なぜ頑なにここを通ったのか?」

「実際に人(車椅子を押している男性と私)の協力を得て通りたいところを通れたのに、なぜ文句ばかり言うのか?」

「こういう人が目立つせいで、障害者のイメージが悪くなるんじゃないか?」

 

いろんな気持ちがグルグルして、不愉快で、だんだんと悲しくなりました。

商品選びに夢中な私でも、「あの、ちょっと……」と声を掛けてもらえれば少しでも邪魔にならないようにしたかったです。のみならず、できる範囲で手伝えることがあれば手伝いたい気持ちはあります。それは車椅子ユーザーを対象に限ったことではなく、杖をついて歩く人でも、ベビーカーを押す人でも、荷物の多い人でも、たまたま具合が悪くなってしまった人でも、です。

 

グルグルした気持ちで考えていて、或る想定を思い付きました。

私は、車椅子ユーザーの女性のことも、自分と同じように人間なのだからきっと急いでいる時も機嫌が悪い時もあるだろうと思っているけれど、もしかしたら彼女は自分以外の人(もしくは車椅子ユーザー以外の人)を人間だと思っていないのではないだろうか?と。

  

昔の商人の「お客様は神様です」という言葉を見聞きしたことがありますが、もしかしたら一部の人にとっては、他の人は神様 とか 接客業の人は神様 とか、そういう感覚なのかもしれないと考えたのでした。

この “神様” というのは、大切に扱うべき存在という意味ではなく、特別な能力で苦も無く他者に何かしてあげられる超人的存在という意味です。

 

結果として希望が叶っているのに不満な点ばかりに目が行って、口から出るのは不平不満の文句というのが、まるで、[幸せを感じるながら過ごすコツの反面教師]のようだとも思いました。

 

嫌な思いをする人が少ない方がいいというのを共通認識として持っていたいな、というのが個人的な希望です。