考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

今年が一番幸せだったかもしれないと思う2021年末

洋楽にイルミネーションと冬服でクリスマスまで洋風の雰囲気を散々醸しておきながら、クリスマスを過ぎると(下手すると24日を過ぎると)途端に厳粛な年末年始感で和風に振る手の平返しが凄い日本の一面が、個人的に好きな 小柏まき です。

年末なので、今年を振り返った気持ちを手短ながら書き留めておこうと思います。

 

 

結論から言うと、今年が一番幸せだったかも知れないと、なんだか本気で思ったりします。

 

その理由は、こんなに絵を描けるときが人生にあるなんて思っていなかったからです。

子どもの頃に「画家になる」とか言っていた一人でお絵描きしてる時間が好きだった私は、即座に「お前は絵を手放せないから無理」と大人に言われていました。

当時は画家という言葉を覚えたてで響きに憧れていたのかもしれません。でも、人間性は理解されずとも作品を人に評価してもらえる人物像は、格好よく思えて、自分がそういう風になれたらいい気がしていました。

家で一人で絵を描いて遊んでいた小学生の頃、兄弟に「(ゲーム名)の(主人公の呼称)を描いてよ」と言われ、それが「わかんないから描けない」「嫌だ」と何度断ってもしつこくされて自由に絵を描くことも邪魔されて何もできなかったので適当に描いて乗り切ろうとしたら、私の描いた絵の変なところをを一つ一つまるでそんなことも出来ないなんて信じられないといった様に怒るような馬鹿にするような大きめの声で指摘されたりしていました。

また別のとき、不登校だった頃には、庭の柿の木を学用品の水彩絵の具で画用紙に描いている時、家族がその柿の木の枝を切り落とし始めたりしました。家の庭には柿の木は2本あり他にも背の低い木は何本かあるにも関わらず、また木の剪定自体毎年するかもわからないくらい手入れをする習慣もないのに、でした。

もっとずっと幼い頃には親と一緒に描いた絵を次の日のゴミに出されて泣いたり……なんてこともありました。絵を描くことにまつわる思い出は好くないものが多いですね。

それが理由かわかりませんが、描くのが好きだった子どもの頃も将来の絵を描く自分は想像できませんでした。

 

また、絵を描くことは好きでも、体調が原因で描けない時期が私の人生には多かったと思います。

今年は、昨年入手した透明水彩絵の具での水彩画をはじめ硯と墨を買って水墨画の真似事をしてみたり、またスマホアプリでのイラストも気の向くままに描いてみたり出来ました! 自分で思ってもみないほど、絵を描くことを楽しむことができた年でした。幼い頃の自分に、今の自分が居ることを教えてあげたいくらいです。

 

他にも、今年は色々な人と関わりを持てた年でもありました。

Twitterを使っていることが多い日々ですが、SNSの発達は個々人の言葉や画像に触れる機会を与えてくれます。

絵を描く人や、闘病仲間との関りに恵まれました。

 

とはいえ病気なので、頭痛に耐えて涙を流しながら横になっているしかない時間を何時間も過ごしたり、というのはあったわけですが、好いことに目を向けていたいのです。