考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

感じることと考えることの関係

記憶が頼りにならなくて何度も同じことを繰り返しているかもしれない 小柏まき です。言い換えれば、何度も繰り返してることは必然的に行く場所なので繰り返してもいいとも思います。記憶のどこが欠けていようが、自分の納得するようにしかできないからです。

 

 

近頃、自分にとっては大きなこと(他者から見れば小さなこと)に直面するたびに、うわっと泣き出したり、胸が一杯になって動けなくなって唸っていたり、強い感情に飲み込まれていながらその感情が何なのか言い表す言葉を見つけるまでに時間がかかることが多いです。

 

考えること感じることでは、考えることの方が高尚なのだと未熟だった頃には思っていました。

そんな認識が本当は違うのかもと思わせてくれたのは、ある授業中の先生の言葉でした。その先生はわかりやすい学歴の人で、きっと人生の多くの時間を己のコントロールをして学習したり学問したりしてきたはずでした。その先生が、ある人を見て言っていたのが、「彼のいいところは、ちゃんと感じてるところ。」という言葉でした。

私は「ちゃんと感じてる」ということの意味があまりわかりませんでした。わからないと思った理由は、私にはその “彼” がチャランポランに見えたことが大きかったです。私にはその場のノリで笑って見せて求められていそうなことを言う、そういう人に見えました。興味を持って見てみたものの期待にそぐわずチャランポランだった、しかし状況的に感想を述べるべき場面だった、だから先生は授業を取り仕切る立場で「受け取りました」という意味で言った言葉なのかなと一先ず受け取りました。

それがしっくり来ていなかったのでしょう、何日経っても何週間経ってもふとした時に引き出して見返すようなことをしていました。そのうちに、感じることを補うために考えることをしているのではないかと思いうようになりました。

 

授業での先生の発言は、先生の率直な感想で、先生から見た彼の特筆すべきところが「ちゃんと感じてるところ」だったのではないでしょうか。先生は “ちゃんと感じられていない” ということについて思うところがあったのではないでしょうか。

 

 

ここしばらく何だかわからない感情に飲み込まれていたのが少し落ち着いてきて振り返ってみると、結構ありきたりな言葉で表せる感情だったと、なんだ意外と自分は単純じゃないかと思います。

こういうときに、[感じることと考えることの関係]について何年も前から自分の中にあるポイントをもう一度見直しておきたいと、今回はここに記しました。