考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

単純なコンプレックス

見られていると手が震えたり頭がパニックになって身体がバラバラになりそうになる、小柏まき です。

いいえ本当は、誰にも見られていない時でも手が震えてやろうとしていることを諦めたりもしました。社交不安障害の症状で、書痙とか会食恐怖とか対人恐怖とかいうものでしょう。

 

 

私は小学4年の途中から中学卒業まで不登校でした。当時の診断は自律神経失調症でした。中学校の授業を1コマも受けられなかったことで、一般的な人が受動的に知る機会があったことを自分は知らないであろうという認識があります。

学校に行かなくても学習はできる、と考えることもできるでしょうが、やる気やお金を特別に持っていなくても学習すことができる環境が整っているのが現代日本では学校なのです。自分に合った学習法を見つけて実践することは、多くの人ができている日々の登校ができない私にとって簡単ではありませんでした。

 

 

現在の私に下りている診断は、反復性うつ病と社交不安障害と強迫性障害です。

何も活動できない病状のときは、社会に貢献できていないという罪悪感はあれどコンプレックスというのはあまり意識せずに過ごしていた気がします。もちろん、痛いとか苦しいとかの感覚に意識を持っていかれる時間が多かったこともあります。

手が使えるようになったり何かに意識を向けていられるくらいの病状になって、少しずつ絵を描くようになりました。2020年に初めて透明水彩絵の具に出会ったので、水彩画を描くようになってもう3年目です。

 

私の学習機会の欠損は、美術においても同様です。小学校高学年の図画工作や中学の美術の授業を受けることができていません。中学では憧れから一応美術部に籍を置いてもらっていましたが一度しか出席できず、親に退部を勧められていましたが幽霊部員でした。高校では部活動はしていませんでしたが、選択科目では書道の希望が通らず美術に入れられたのでこの時には美術の授業を受ける機会がありました。

習い事は幾つかしたことがありますが、絵や美術に関するものは習ったことがありません。

 

今も習ったり、教則本を読んだり、ということを全くせずに自己流で絵を描いています。というのも、諦めているのです。

例えば絵画教室に毎週通うのを想定すると、予定の日に外出して人と関わって活動することがどれくらいの割合で可能か自信がありませんし、先生や他の生徒が居る空間で手が利いて絵が描けるのかも……想像しただけで軽く絶望します。

教則本を読もうとしない理由は幾つかあります。人や環境からの影響を受けやすいタイプだという自覚があるので、一つの正解を示されると他にも正解があるにも関わらず最初に触れた一つの事柄から無意識に強く影響を受けてしまいそうだというのがあって、うつ病をよくするために自分に何かを課さないようにしていて「~でなければいけない」といった囚われを極力無くしたいのですがそれに逆行しそうで避けています。それからこれは精神疾患あるあるらしいのですが、文章を読むことが容易ではないというのがあります。内容に興味があって文章を読もうと試みても、文字を目で追っているだけで言葉が意味を持って自分の中に入ってこないのです。そのうち目で追うことも怪しくなってきて戻っては読み直そうとする、それを何度も繰り返しても読めたはずの内容がまったく身にならない感覚です。私の場合は本が読める時期も巡ってきたことがあるので、もしかしたら今後いつか本を読むことはあるかも知れません。

 

他の誰かは私にはできないことをやっている、ということを意識しても落ち込むだけの場合が多いので普段は意識しないように、出来ないことよりも出来ることに目を向けいようとしています。

小中学校の授業を当たり前のように受けたり、絵を習いに行ったことがあったりする人の何気ない言葉に、地味にダメージを受けてみて自分の持っているコンプレックスの形を知ります。

私が水彩画を描く一番の目的は自分を楽しませることです。なので出来上がった絵がどうというよりも、描くという行為をしている時点で最大の目的を達していると思っています。どちらかといえば、楽しむために上達したい気持ちもあるということです。

もっとも上達しなくなる方法は、やめることだと思います。ここでいう “やめる” というのは、心身共に離れる、興味を持って見聞きすることもやめるということです。別のことに興味が移ったり、調子が悪くて時間が空いたりというのは、何度あっても構いません。

楽しむための、行動するための、ハードルをベタベタに下げておこうと思います。