考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫体験】女の、考えの調理場。

“ストロベリームーン”苺の収穫期の満月

今月の満月は17日。

梅雨の薄曇りの夜、薄い雲の隙間から、綺麗なお月様が見えました。

 

 

この時期の満月を、イチゴの収穫期であることから

ストロベリームーン> と呼ぶそうです。恋が叶うといわれているそうです。

 

 

 

雲に隠れたり、顔を出したりする満月を、写真におさめてみました。

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f:id:ogasiwa_maki:20190619095746j:plainコンパクトデジカメで撮影しました。

 

 

 

綺麗なものを見て、ただ「きれい」と感じられることは、それ自体が幸せだと思います。「キレイだね」と 言い合える人がいれば、尚更です。

 

そんな気持ちを共有したくて、このブログ記事を書いているのかもしれません。

【嫌いと苦手の関係】蒟蒻アレルギーの場合

子どもの頃から、蒟蒻(こんにゃく)が嫌いだった 小柏まき です。

 

大嫌いというほどではないにしても、自ら好んで食べることはなく、可能な限り食べたくないモノでした。なので、誰かにすすめられたときには少しくらいは食べるようにしていました。

大抵の嫌いな物は、少し食べることを繰り返して、徐々に食べられるようになっていきました。

 

蒟蒻も、私にとって “嫌いだけど全く食べられないわけではない” という存在でした。

 

 

 

今回のうつ病で、薬を処方されていくことで、自分史上最高体重を更新して、なおさら動くことが億劫になってしまいました。

 

気持ちの浮き沈みがあまり無くなってきた時期に、食事の量を減らしたり、少しの運動をしたりという程度のダイエットを始めました。

そのときにたまたま買ってみた蒟蒻畑のパイナップル味が、とても美味しくてハマってしまったのでした。

それからというもの、小腹が空くと蒟蒻畑パイナップル味を食べていました。

 

しばらくすると、それなりに体重は落ちたものの、首の付け根などの皮膚の弱い部分に発疹ができて痒みが出てきました。

 

 

そんな中、いとこの結婚式が数ヶ月後に決まったと聞かされました。

 

いとこの結婚式までに少しでも痩せたいというのと同時に、発疹を治して肌を綺麗にしたいと思いました。

しかしながら、発疹の原因がわからずに適当な市販薬を塗ってみたりしていました。

 

 

タイトルの通り、蒟蒻アレルギーだったようなのです。

発疹が出来始めた時期と、美味しい蒟蒻畑にハマった時期が一致していました。

 

その後、蒟蒻を摂らないようにしていたら、自然と発疹も収まりました。 

 

 

 

この記事で何が言いたいのかというと、身体に合わないものを生物として嫌っていたのが、元々の好き嫌いの一因なのではないかということです。

 

私の場合、蒟蒻アレルギーを持っていたために、子どもの頃からなんとなく蒟蒻が嫌いだったのではないか。自分から遠ざけることでアレルギー症状を引き起こさずに済んでいたのではないか。ということです。

 

 

もしかしたら、他の好き嫌いにも、アレルギーのように身体に合わない成分が含まれているのかもしれません。

 

 

 

ここで大きな葛藤を生み出すのが、蒟蒻畑のパイナップル味です。

企業努力による技術の進歩が、私の動物的危険察知能力の上をいってしまったこと……です。

 

ひとことで言えば、代えのきかない美味しさが、そこにはあったのです。

ゼラチンから出来ているゼリーよりも弾力があり食べ応えがあって、寒天よりもプルンと滑らかで柔らかい、絶妙な食べ応えで少しずつ噛み千切って食べられるので、少しの量で美味しさを楽しめる時間が長いです。

蒟蒻を使った料理での難点である、味が沁みにくい問題も、さわやかな甘さのパイナップル味になっていることで「こんなに美味しいコレが、こんにゃくから出来てるの?」と思うくらいです。

 

 

パイナップル味の蒟蒻畑に出会ってしまってたことで、元々は蒟蒻嫌いだったのに好きになってしまいました。

それゆえに食べ過ぎてアレルギーを発症したわけですが。なんとも切ないものです。

しかしながら、ララクラッシュではない蒟蒻畑のパイナップル味は、どうやら当時の期間限定商品だったようです。これで、商品棚と向かい合って伸ばしかけた手を引っ込める、なんてことを繰り返さなくていいので助かっています。

 

 

 

ちなみに、生のパイナップル果汁をそのまま使ってゼリーを作ることは出来ません。

これは、ゼラチンが動物性タンパク質であるのに対し、パイナップルにはタンパク質分解酵素が含まれているために、固まらなくなるからです。

この原理を利用しているのが、酢豚にパイナップルが入っているとか、ハンバーグの上にカットパイナップルがのっているという料理です。お肉を柔らかくしようとしているのですね。

 

だからといって、世の中にパイナップルゼリーが存在しないわけではありません。

酵素は熱に弱い性質を持っているので、パイナップル果汁を一度加熱すれば、タンパク質分解酵素が働くことはありません。

 

タンパク質分解酵素はパイナップルの他にも、キウイやパパイヤなどにも入っているそうです。

 

 

 

脱線しましたが、“自分の意思に関係なく苦手なものを、好きになってしまうと悲しい”という話でした。

 

過去記事『「好きと嫌いは自分じゃ選べない」のは自分を守るため』の、個人的な体験談でした。

 

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 

絵のモデルは誰でしょう?③

ここしばらくは、絵をあまり描いていない 小柏まき です。

 

②の絵も、汲み取って優しい言葉をかけてくれる人が居ました。有難いことです。

前回の記事はこちら↓

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 

 

 

この絵のモデルは誰でしょう?

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下の【】の中に白い文字で正解があります。

 

 

 

答え

相武紗季

映画『万引き家族』の(ネタバレあり)感想・考察

カンヌ国際映画祭パルムドール受賞の日本映画『万引き家族』を、レンタルDVDで観ました。

ネタバレを含む感想です。

 

目次

 

 

 

父[治]と息子[祥太]がスーパーで協力して万引きをするシーンから始まります。

帰り道では、商店街の肉屋さんでコロッケを5つ買います。5人家族なのでしょう。

息子[祥太]の「シャンプー忘れた」という言葉から、生活必需品を万引きしていることがわかります。また、「寒いから今度にしよう」という父親[治]は、忘れていたことを咎めるでもなく、その場しのぎ的な印象を与えます。

シャンプーは盗むのにコロッケは買う。その日に作られたホカホカのコロッケは、彼らにとっても、お金で買う価値があるものなのでしょう。

2月の寒い日、もう暗い時間に、団地の玄関前に一人の小さな女の子がいます。その子に「コロッケ食べるか?」と声をかけて家に連れて帰ることから、話は展開していきます。

 

古い平屋の一軒家、「食べさせたら返してきなよ」と少女を帰らせようとするのは、万引き男性[治]の妻[信代]。

シャンプーを忘れたことを非難する女性[亜紀]は、二十歳前後のお祖母ちゃん子。

年金暮らしのお祖母ちゃん[初枝]は、ぼんやりしていそうで、少女の身体に複数の傷があることに気づきます。

 

 

 

 考えさせられる言葉と行動

「店にある物は、まだ誰の物でもない」「拾ったの。捨てた人は他にいるんじゃない?」「選ばれた、ってことかな?」「私はあなたを選んだのよ」

持って帰ってくることは、選んで近くに置くことは……物を・人を“万引き”することは、誰にとって悪いことなのでしょうか?

 

 

奪う人間がいるということは、奪われる人間がいるということです。

お祖母ちゃん[初枝]は“奪われた側”でもあるという点が、興味深い点でもあります。

 

 

お祖母ちゃん[初枝]は、亡くなった夫を奪った後妻(故人)の家へ出向き、数回にわたって現金を受け取っていました。月命日だから寄っただけ、と称して仏壇に線香を供え、帰り際に差し出された封筒を遠慮なく受け取り、帰り道ですぐに金額を確かめます。

一見すると、帰り道で歩きながら封筒の中を見るくらい、渡された現金に執着があるように見えます。 しかし、その後、家に帰っても受け取ったお金は封筒の中に入れたまま簡単に仕舞っておくだけです。何かに使うわけでもなく、誰かにあげるわけでもない……もしかしたら受け取ること自体に意味があるもかもしれません。金額の確認は、数字に表れる人の気持ちの量(強さ)を計る材料なのかもしれません。

 

 

 

法律に裁かれ・戻され・守られることの 安心と絶望

法律が適切に働くことが、この映画の救いでもあり、現実的な絶望を感じさせる要素でもありました。

 

法律の使者は、落ち着いて真っ当なことを言い、誠実に人に向かいます。独特な関係の中で愛や喜びを感じて生きていた物語の主人公たちが、世の中の常識的にはどう解釈されるのかを、見る者に突き付けてきます。

普段の生活で、心に従って生きる人の言語化していない部分を、言葉にさせて聞き出そうとしてきます。そして仮に提示される言葉たちは、とても表層的に聞こえます。

 

 

子どもは親を選べない。それでも生みの親が望めば、親の元で暮らすことが子どもにとって“いいこと”なのでしょうか? 

 

法律で守られないものを守る術は、無いのでしょうか? 

 

 

 

この映画の主題は、<人と人は何で繋がっているのか>だと思いました。

 

人と人は何で繋がっているのか

血縁関係であること、あるいは“家族”の名のもとに、人は一緒に暮らすのでしょうか?

お金は、人と人を繋ぐことに、どう関係しているのでしょう?

秘密の共有、後ろめたさ、これらで繋がった人たちの関係では、繋ぎとめるモノ以外のモノが生まれ育まれることは無いのでしょうか?

 

 

 

親の条件

直接語られるわけではない、[信代]と[治]の生い立ち。

 

 

「好きだから叩くんだよ、なんてのは嘘だよ」「産んだら母親なの?」

これらは[信代]の言葉です。[信代]が実の親から精神的・肉体的暴力を受けて育ったことが垣間見えるシーンは多くありました。

 

 

「それくらいしか教えてやれること無くて」

これは[治]の言葉です。子どもに万引きをさせた動機が、子どもに何か教えてやりたいという気持ちからきているようでした。

サッカーボールを使ってリフティングをする父と子を窓の外に見たときに、[治]が羨んでいたのは、父親のほうなのか息子のほうなのか、あるいは両方だったのかもしれません。

[治]の本名は、[しょうた]。[祥太]は、息子として暮らしていた子に付けた名前でした。

[治]は子どもたちと一緒に遊んだりするシーンが多く、思い返してみると一度として子どもを叱るシーンがありません。理不尽に怒られて萎縮して育ち、自分は理想の父親に近付こうとしていたのかもしれません。

 

 

 

“今”を生きることだけ

子どもたちは学校へ行くことはなく、「家で勉強できない奴が学校へ行くんだ」と教えられています。

将来のことどころか、数年後のこと、家族の形が変わるときどうするかなどを、どの登場人物もあまり考えていない印象です。

もしかしたら登場する大人たちは、変化していくことを知っていて、更にはそれが想像の範囲に収まらないことを自覚していて、変わってから対応していくしかないというスタンスを確立しているのかもしれません。 

 

 

 

老人という人生の先輩

家族の微妙な変化に気付いて、声を掛ける[初枝]。

万引きに気付かない振りを続けていて、突然「妹にはさせるなよ」と商品をくれる駄菓子屋のお爺さん。

お年寄りの中には、長年生きている分の知恵を身につけている人が、思っている以上に居るのかもしれません。

 

 

 

平和な家族の幸せ

[初枝]と[信代]が一緒に台所に立ち、[信代]はみんなで食べるトウモロコシを茹で、[初枝]は自分の酒のつまみを切る。

[亜紀]と[信代]の恋バナ。

汗だくになってセミの抜け殻を集める[祥太]に[ゆり=りん]が「おにいちゃーん!」と呼びかけ、一緒に木の幹を登るセミを見る。

積もった雪を見て、雪だるまを作ろうと言う[祥太]と、誘われるがまま雪を転がす[治]。

これらは、何気ない日常の幸せな風景を映していました。

 

 

「ありがとうございました」と口を動かす[初枝]。

「お父ちゃん」と口を動かす[祥太]。

この2つは、声のないセリフでした。

 

 

 

人の繋がりを描くための舞台としての貧困

日本の首都である東京のどこかに、この映画のような暮らしが実際にあっても、不思議ではありません。

貧困や犯罪を物語の題材に選んだのは、目を向けるべき社会問題として、かもしれません。

ですが、困った状況になるほど人間の本質は表れやすく、健やかなるときよりも病めるときに本当の絆が見えやすいものだと思います。

個人的には、人の心や絆を描きたかったから、この舞台を選んだのではないかと思いました。

【愛着形成・うつ病快復・不登校からの登校】の共通点

不登校に関するブログを拝読していて、感じたことを記します。

 

miyakeiori.hatenablog.com

 

不登校の児童・生徒は、安心できる場所で元気を回復して、安定してから、学校へ行くチャレンジをする。というお話で、ごもっともだなぁと感じたわけです。

 

「この構図、愛着形成の港と舟の関係と似ている!」と思いました。

そして更には、「うつ病が快復していく様子とも似ているんじゃないか」と、いう気がしてきました。

 

 

 

愛着形成の港と舟の関係

人間は幼い頃に、養育者との安定した関係によって、愛着を形成します。

養育者とは、愛情を注いで面倒をみてくれる大人であり、多くは親や祖父母あるいは保育士などがその役目を果たします。

 

舟は、帰る港があるから、安心して大海原を探索して自分の世界を広げることができるのです。

【舟=自分】【港=養育者】【大海原=養育者以外の人や物や事柄との関係】です。

もし知らない海で不安な目に遭ったら、すぐに元の港に帰って、その不安が治まるまで待ってから、また海へ出ればいいのです。そうして安全だと信頼できる場所がある心強さから、大海原を開拓していって、やがて元の港に戻らなくてもやっていける自分の居場所を見つけられるのです。

 

この愛着が健全に形成されずに育って、信頼の基盤を持てないが故に、自分の居場所をうまく見つけられないことを愛着障害というと認識しています。

 

 

 

うつ病の快復過程

うつ病などの精神疾患になり、一般的な社会生活を送ることができなくなって、療養するとき、まずは身体が求めることに応えてあげなければなりません。

眠ることが必要なら寝られるだけ寝る、休むことが必要ならリラックスして休む、栄養が必要なら食事や日光を摂る。

生きる上で、社会的な人間としてよりも、生物としての自分を大切にしないと、うつ病などの精神疾患は治らないのではないかと思います。

 

 

 

これらに共通することは、上層を築くためには地盤を固めなければいけないということです。

社交不安障害・対人恐怖症と診断されて

平成31年4月の通院のとき主治医に、「対人恐怖とか社交不安障害とか呼ばれる症状だね」と言われたのに、自分の中で整理がつかないまま令和元年を迎えてしまった 小柏まき です。

 

目次

 

 

 社交不安障害(SAD)の症状

実は私は昔から、ざっと考えて少なくとも高校生の頃から、極端に緊張状態に陥って姿勢を保っていられなくなるような症状に悩まされていました。

 

具体的には、

人の目のあるところや大事な書類に文字を書こうとすると、自分でもコントかと思ってしまうくらい見事に手が震えて、上手く書けません。

誰かと対面して立ち話をしようとして、それが普通に仲の良い相手でも、ふとしたスイッチが入ってしまうと、話すこと・表情を作ること・立っていることも困難になって、それがストレスで人付き合いを避けてしまいます。

人と食事をする場面でも、緊張して、物を食べるときの動作を忘れて、食べるということ自体ができなくなってしまいます。

 

 

こういう場面に出くわすと、幾つかの嫌なことがあります。

 

まずは身体的な疲労です。

心臓の拍動や呼吸が苦しいことや、汗をかいてしまうなど、後になってどっと疲れます。また筋肉に必要以上に力が入って筋肉痛になったりもします。

 

そして、自意識からくる精神的な疲労と、それによるマイナス思考です。

自分でも自分の身に起きていることが異常であろうことはわかっていても、「なんで私はこんなに あがり症なんだろう」「前は平気だったのに今回はダメだった」「おかしな態度をとってしまった」「あの人には変な人だと思われただろう」などと思ってしまいます。

それでいて、病識(これが病気だという認識)を持っていないために、「私という人間は欠陥があるんじゃないか」「この感じをどう説明したらいいかわからない」「説明しても誰もわかってくれないだろう」という思考に自然となってしまうのです。

これから起こるであろう緊張する場面が怖くなり、逃げ出したく・消えてしまいたくなります。

それから、日常の大したことのない場面に適応できない自分の自己評価が下がって、自己嫌悪になります。

 

 

 もともとの性格

元々の性格というのも変かもしれませんが、そういう緊張状態にならずに過ごせているときの私は、人と関わるのがそれなりに好きで、人を笑わせるのが好きです。

誰かがやらなくてはいけないことを進んでやる、というほどではないにしても、学級委員に選ばれてしまえば実際にそれなりにやりました。

提出物などで手書きのものがあれば、先生や同級生、上司や同僚に「字が綺麗」と褒めてもらったこともあります。

知らない土地や新しい環境で、人間関係を築くのも、嫌いではありません。

自分では自分のことを、楽観的な部分があるタイプだとも思っています。

 

 

 診断を受けるまでの経緯

『社交不安障害』『社会不安障害』『書痙』『会食恐怖』などの言葉を知って、それを少し調べたときに、自分がそれらに当てはまるであろうということはわかっていました。

では、なぜ今まで診断されなかったか……。

それは、主治医も人間だからです。私は医師にすら症状を話すことに抵抗があったのでした。

そのときの調子によりますが、通院時の診察は手短に済ませてしまいたい、面倒な患者だと思われたくない、などという気持ちがあります。

そして何よりも、自分の体験を話すことが恥ずかしくて仕方なくて、切り出せませんでした。

 

それから、医師に話す必要がないと考えていた決定的な理由は、すでに抗うつ薬3種類と抗不安薬1種類が、うつ病治療として処方されているからでした。

精神科医の主な仕事のひとつが、処方箋を出すことだと思っているので、「診断名が追加されたところで処方薬に変更はないだろう」と考えて、話しても話さなくても治療が同じだとしたら話す労力に意味を感じなかったのです。

 

 

主治医に話そうと思うようになったのは、病識を正しく持つことでずっと持ち続けている “今の病気を治していきたい” という気持ちに貢献したい思いが湧いてきた、またそれが出来そうだと思えるくらい喋れるようになったからでした。

 

 

 医師とのやり取り

診察のときに、エピソードを添えて、まず〈緊張しやすい性質とうつ病の関係〉を訊いてみました。

 

例えば、お店で感じのいい店員さんに声を掛けられて、商品についてあれこれ話して、店員さんが顔を憶えていてくれるようになったりします。質問したり雑談したりするのは、楽しくて好きです。

喋るだけ喋って何も買わずに帰っても、次に行ったときに憶えていてくれると、その店員さんのオススメに対する信頼度が高くなったりもします。

それが、ある日なんとなくお店を覗くと顔なじみの店員さんが声を掛けてくれたとき、急にとても緊張した状態になって、挨拶を交わすのも苦痛に感じて「早く帰りたい」という一心でその場をやり過ごすのです。

こういった突然の極度の緊張に陥るのが嫌で、お店に顔を出すことまで憂鬱になってしまいます。

 

主治医に要約を伝えてみると、「緊張しやすい人は、その分ストレスを受けているので、うつ病になりやすい傾向にあるといえるであろう」という意味のことを言われました。

 

 

次に、文字を書く時の手の震え『書痙』について話しました。

「自分でもわざとらしいと思うくらいに手が震える」と話すと、主治医のほうから「人目があるところで字が書けない」などの例をあげて、私が共感を示すと、「対人恐怖とか社交不安障害と呼ばれる症状だね」と言われました。

 

 

主治医から、『会食恐怖』の例や、誰かが居るところで電話をすることに苦手を感じる例があることを聞きました。

心当たりがあることばかりでした。

 

そのときに思い当たったのが、高校生の頃に昼食が食べられなくなったことでした。

今でも、物を食べたり飲んだりしようとして急に身体に力が入ってしまって、食べ方を忘れてしまうようなことがあります。それが自分では、とてつもなく恥ずかしく、情けないのです。

 

 

 診察を終えて

案の定、診断されてからも薬の処方はいつも通りでした。

 

しかし、私の中では、“診断されたから人に話してもいいんだ” “病気・障害として認められていて、ある程度の数の患者が居るんだ” と身が軽くなったような気分になりました。

 

帰宅後の落ち着いた時間に、家族にこのことを話してみました。特に言葉は無かったと思いますが、ただ静かに聴いていてくれたようでした。

 

 

私の心の内は、スッキリした、とその日は思っていました。

 

 

 診断を受けて変化した内面

私は、一体いつから病気・障害だったのだろうと、まだ小学校に通っていた頃を思い返しました。

 

ふと、思い出しました。

小学校で先生に指されたときに、言葉選びを間違って指摘されたことがありました。先生は和やかに指摘してくれたのですが、私は酷く恥ずかしい気持ちになりました。

喋れなくなって、立っている身体に力が入り過ぎて普通に立っていられなくなって椅子の背もたれに両手をついて、黙り込んで震える両腕を見ていました。

「恥ずかしがり屋さんかな?」と言って、先生は私に座るよう促しました。

 

 

不登校になった理由が、ここにもあったのだと、きちんと認識したのは初めてでした。

 

 

10歳で自律神経失調症と診断され、治療されずに不登校だった一人の子どもは、

高校時代に食事がうまく取れなくなりながらも学級委員を続け、

根性で不便を乗り越えようとして、大学時代には教育実習もやりました。

就職したブラック企業では、入社前の説明と労働環境や賃金の設定も違っていて、仕事内容はプレッシャーが掛かるものでした。

 

 

考えてみれば、消えてなくなりたいと強く思うような場面を、数えきれないくらい何度も、誰にも言えずに、どうにか過ごしてきたのでした。 

 

 

いわゆる普通に、一人前に生きられない自分を、ポンコツだと思っていました。

どうやら自分を出来損ないだと思い込み過ぎていたようです。

 

「そりゃあ、うつ病にもなるよね」と、なんだか他人事のように思います。

絵のモデルは誰でしょう?②

気まぐれに描いた絵をたまにアップする記事を、地味にシリーズ化しようとしている 小柏まき です。 

 

①は正解してくれた人が居て、嬉しかったです! ありがとうございます。

前回の記事はこちら↓

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 

 

 

この絵のモデルは誰でしょう?

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下の【】の中に白い文字で正解があります。

 

 

 

答え

広末涼子