考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫体験】女の、考えの調理場。

「芸術とは」再考

芸術の秋です。今年の夏は、『ウィーン・モダン クリムト、シーレ世紀末への道』という企画展を見に行った 小柏まき です。

 

 


昨年10月に読書感想と交えて『己の定義する芸術とは』というテーマでブログを書きました。今になって読み返してみると、現在の私の心の声と違った言い回しで書いてあって、わかりづらい言葉を遣っているなぁと思いました。

なので今回は、自分が考える芸術の定義を、改めて今の私の言葉で記しておきます。

 

 

────────────────────


芸術作品に、興味があるモノが含まれていることがあります。

興味があるモノが、たまたま芸術に属してる感じです。

 

 

人や猿の脳には、顔を顔と判断する細胞や、手を手と判断する細胞があるらしいです。それと同じように “芸術を感知する心の一部” があるイメージです。

 

それが、脳ではなくて心という点が、個人差を産むのかなと思います。

 

 

芸術に分類されないモノが芸術的に感じるのも、好きな芸術作品に触れたときに働くのと同じ心の一部が動かされる要素があるのだと思います。

 


誰かの “心の芸術を感知する部分” を動かせれば、芸術的な人になれることでしょう。

それが自分の心の芸術を感知する部分しか動かせないと、世間には受け入れられない自称芸術家になるのではないでしょうか。

 

────────────────────

 

 

この絵は、描いてみて、美術館で見た作品たちに影響されていると自分で感じました。

 

f:id:ogasiwa_maki:20190701214434j:image

【実話】報道は心無い人にも伝わる【胸糞】

メンタリストDaiGoさんが、先日YouTubeに投稿していた動画を観ました。

京アニの事件の被害者の実名報道について、批判していたものです。

メンタリストDaiGoといえば、一時期は「メンタリスト」という言葉を世に定着させるくらいに見聞きした人物です。「見聞きした」というのは、当時はテレビや書籍などで大きく扱われていた、それを私含め多くの人が受動的に受け取っていた、ということです。

近頃テレビで以前のように見かけなくなったのは、きっと自身の本当にやりたいことをやっているからなのだろう。という想像を裏切らない圧倒的視聴者数を誇る動画配信をしている人で、その中身は常に沢山の論文を読み・本を書き・情報を発信する人。というイメージです。

そんな有名な人が、テレビ局や新聞社を名指しで批判していることが、とても人間らしくて、報道というものを見直す風潮を作る一石になればいいなと思いました。

 

 

 

個人的にも、報道で嫌な思いをしたことが、昔ありました。

それは某ネットニュースで、当時はネットニュースに読者が匿名でコメントを書ける仕様でした。

当時は私と親戚関係になる可能性があった人のことです。その人が、突然亡くなりました。

某ネットニュースでは、公共交通機関の麻痺とその影響、そしてその原因が一人の人間の自殺だと報じられたのでした。

誤報であることは、事情を知っている人ならすぐにわかりました。亡くなった人は持病があって、それまでにも意識を失って倒れたことがありました。

状況だけを考えてもそうでした。お土産を買った旅行からの帰り道、旅先でも住んでいる場所の近くでもない地点で自殺するなんて、おかしな話でした。

 

しかし世の中的には、本当のことなんていうものは、一つの誤報に踏みにじられてしまうものなのです。

そのニュース記事には、誹謗中傷のコメントが匿名の読者から沢山書かれていました。コメントの内容は、交通機関を自殺に使うことを迷惑がったものや、自殺成功に嫌味な言葉と絵文字を使ったもの、沢山の人に迷惑をかけた損害を交通機関は遺族に孫の代までかかっても賠償請求するべきだというようなものがありました。

 

一方では、家族を突然亡くして、ショックを受け悲しんでいる人たちが居ました。葬儀の準備や様々な手続きに追われていながら、きっとご遺体と対面することもままならない、そういう人たちが確実に居るのに、それを誤って報道し、ニュースを鵜呑みにし安易に罵詈雑言を並べる人たちが居ました。

 

たった一言でも報道されてしまえば、当事者は訂正や反論の機会も与えられず、それが誤りでも責任を取ってもらえるわけでもありません。

 

こういうスッキリしない話には、「名誉棄損で訴えればいいのに」という感想を持ちやすいかもしれません。ですが、想像してみてください……。

幸い、ネットニュースの誹謗中傷を見たのは、私と限られた人だけでした。

絵のモデルは誰でしょう?⑤

誰かの影を追って、その人に近付きたい気持ちから、何かをやっている気がする 小柏まき です。

 

 

 

何度描いても上手くいかずに、4度目にしてやっと少し納得できるまでになりました。

 

f:id:ogasiwa_maki:20190812213215j:image
f:id:ogasiwa_maki:20190812213219j:image

下の【】に白い文字で、正解があります。

 

 

 

 答え

  杏  

ハードモードとイージーモード・うつ病治療と社交不安障害

うつ病を治すには、認知の歪みを直す必要がある場合があります。

 

個人的に、うつ病を治すために受け取り方や考えグセを変えようと、気長で少しずつの訓練をしてきたつもりです。

 

うつ病になる人は、完璧主義で真面目な人が多いと言われています。

これの厄介なところが、自分が完璧主義で真面目であるという自覚がないということです。

 

「これくらい最低限だろう」と感じることのハードルが、うつ病にならない人に比べて高すぎるので、必要以上の努力をし、必要以上の不甲斐なさを感じてしまうようです。

 

この考えグセを変えていく例えとして、「人生がイージーモードのつもりで生きてきたのに、間違って最初にハードモードに設定してしまっていた。では本当のイージーモードを見つけ、今までやってきたハードモードの設定を本当のイージーモードに変更しよう。」という捉え方があると思います。

 

 

私は、うつ病になって寛解しては、またうつ病になる、という反復性うつ病性障害です。

繰り返す うつ病の根っこには、何か別のものがあるのではないかと考えて、ここ数年は愛着障害発達障害について 書籍や論文を読む・研究者や当事者の話を聞く・当事者との関りを持つ などをしてきました。根底にあるものがハッキリわかれば、対処法がわかるのではないかと期待していましたが、新しい対処法を見つけるには至りませんでした。

 

私のうつ病の根底にあったのは、社交不安障害・強迫性障害・恐怖症などの不安障害に分類されるものでした。

効くとされる薬はうつ病治療のために既に処方されており、症状を軽くするために出来ることは今までやってきたことと全く変わらないことでした。

 

 

このことで数カ月間気分が沈んでいたのは、おそらく、新しい対処法の発見に至らなかっただけの理由ではないのだと、段々わかってきました。

 

 

以前にもブログ記事に書いた「選んで決めてきた人生だと思っていたのが、選択肢が無いために仕方なく普通の道を歩んで来られなかった人生だった。」という気づきの他に、“同士が見つけにくい” というのがあります。

 

うつ病は患者の人数が多いこともあって、同じ病気を抱えた人と関わることは、インターネットを介すれば比較的難しくない時代であると思います。実際に私も、SNSで同じように闘病している人と関わらせてもらって、自分一人では自覚できなかった症状も「これも うつ病の症状だったんだ。私だけのことじゃないんだ。」と知れたことが多くありました。それから、 症状や環境が違えど、同じ疾患の人が同じ時間を生きているという心強さがありました。

 

ところが、うつ病と比べて社交不安障害の人は、患者人口自体が少ないだけでなく、昔の翻訳の仕方で「社会不安障害」という名前で診断されていたりするのと、「対人恐怖症」や「会食恐怖」「書痙」などと症状でくくった表現があることで 、似た症状で悩む人がひとつの言葉で繋がることを難しくさせていると思います。

 

 

また、診断されること自体にハードルがあるのが事実です。

パニック障害に当てはまる症状があることから、診断される前の私のように「これはパニック発作なのかな? 」となんとなく思っている程度で診断されない人もいるでしょう。社交不安障害でパニック障害の一部の症状が出ることを、知らないのです。

医師も人間であり、問診もコミュニケーションです。医師に相談する、ということ自体が恥ずかしくて抵抗があります。

 

 

診断されたところで、精神科的治療と自身の努力でどうにかして生きていくしか、方法がありません。

この感覚が、うつ病単体の患者と(うつ病強迫性障害くらいしか自覚がなかった頃の自分と)、まったく異なる部分です。社交不安障害の人生には、イージーモードは存在しないということを、じわじわと身をもって知っていくのです。

私のこの数カ月は、この期間だったわけです。

 

 

 

利用できる制度は使って少しでも楽に生活できたらな、という気持ちとは裏腹に、自立支援医療の更新手続き用の診断書には、うつ病の病歴が簡素に記されているだけで、障害者手帳を申請することは想定されていませんでした。

私が話しにくい話を主治医にして適切な診断を受けたいと思ったきっかけである、診断書を書いてもらう機会には、間に合わなかったようでした。仕事が早い主治医で、このタイミングで診断されれば診断書に加味されるだろうという私の行動より先に、診断書は用意されていたようでした。

 

改めて障害者手帳用の診断書を要望すれば、書いてくれるのかもしれません。しかしそれは勿論、別途診断書料が実費で必要になります。

仮にそこまでして手帳を持ったところで、障害者枠での雇用を目指した就職活動ができる状態でもありません。私は障害者になりたいのでしょうか? 手帳の有無で、何が変わるのでしょうか……?

 

 

 

薬についてですが、主治医は薬を減らす方向での話が多く、よく言われたのが「薬が多い」でした。減薬チャレンジして処方量が減ったものの、薬の種類は相変わらず、毎日飲む6種類と頓服の痛み止め1種類の計7種類です。

長時間の外出のときには、大抵具合が悪くなります。頭痛や気持ち悪さ、暑いと寒いが同時にある感覚、息苦しさがあります。その日のうちにその症状がなくなることが経験上わかっているので、「いつものこと」と我慢して、痛み止めを飲むくらいしかできません。

例えば、頓服として抗不安薬があれば、もっと楽に過ごせるのでしょうか?

 

 

いろいろなことが、よくわかりません。これは、「自分で選んで決めてきた」と思い込んでいた人生が、選択肢が一般的な人よりも少ないだけだったとわかったことで、自分の気持ちや意思が、以前にも増してよくわからなくなっているのかもしれません。

【販売開始‼︎】スマホ歴1年未満でLINEスタンプを作れました

申請から24時間かからずに、LINEスタンプの審査を通過して動揺した 小柏まき です。

 

 

LINEクリエイターズ スタンプというサービスが開始した頃には、申請が相次いで、審査結果が知らされるまでに数ヶ月〜半年ほどかかっていたそうですが、近頃は5日くらいで通知が来ると何かで見ていました。

夜寝る前に申請して、翌日の夕方には承認の通知が来ました。

 

想像以上に審査が早くてちょっとソワソワしてしまって、「心の準備ができてから販売しよう」と思いました。

数時間して落ち着いてきたので、“リリース” をそっと押して販売を開始しました。

 

 

 

タイトル:生首彼女

クリエイター名:やみノ巻

スタンプ説明文:首と手からなる彼女が日常に寄り添います。

f:id:ogasiwa_maki:20190731232620j:image

 

[生首彼女]

https://line.me/S/sticker/8535035?lang=ja&ref=gnsh_stickerDetail

 

日常で使いたい16個のスタンプです。

タイトルは『生首彼女(なまくびかのじょ)』です。

実は審査を通過するかどうかで気になっていたのが、タイトルでした。「生首」なんて縁起でもない名前で大丈夫だろうかと。問題ありませんでした。

クリエイター名は、どうせだったら変な名前にしたいという出来心で、平仮名とカタカナと漢字を使って『やみノ巻』にしました。

 

 

 

昨年の今頃、私はスマートフォンを持っていませんでした。元々機械に詳しいわけでもなく、うつ病もあって頭の働きの鈍りを感じることも多々ありました。

今回のスタンプ作りも、わからないことだらけでした。

 

「作るのに、どれくらいかかったんですか?」と訊いてくれた方がいました。自分がいつからスタンプ用の絵を描いていたのか、覚えていませんでした。

見返してみると、6月27日に最初の絵を描いていました。1ヶ月くらいかけて、思いついた使いたいスタンプの絵を、描きたいように描いていたのでした。いつまでにスタンプを販売する! などの目標は設定せず、今楽しいことを続けてきました。

 

病気をよくしたいというのを優先して、今まで考え方を変える訓練を少しずつしてきました。<自分に課す>ことをしないようにしていたので、新しいことや何か形になることが出来るとは思っていませんでした。

これを機に、自分を褒める練習をしてもいいのかなと、今は思い始めました。

 

 

そして、SNSで関わってくれる方たちが、「LINEスタンプを作ってます」と発言した私に、「いいですね」「買います!」「応援しますよ」「頑張ってください」「完成楽しみです」と言ってくれたことが凄く嬉しかったです。

実際に買ってくれるかどうかとか、審査に通って販売できるかどうかとか、スタンプが完成するかどうかすら、この嬉しさには関係ありませんでした。こういう言葉をかけてくれる気持ちを持った人と関わることができて、本当に有難いなと思います。

スマホ歴1年未満でLINEスタンプを作ろうと試みています

「しっくりくるLINEスタンプを使いたいから、自作しようかな!」

という動機で、スタンプを作り始めた 小柏まき です。

 

Twitterで「LINEスタンプ作りました」っていう人を見ることがあるし、きっと私のような時代に取り残されている人間にもスタンプ製作ができる機構が存在することだろうと、自分で使いたいスタンプ用の絵を描くことを始めました。

まず、私がLINEスタンプについて知っていたことは、何個かずつのセットであろうこと。そして、申請して審査を通過したものしか使えないこと。でした。

 

目次

 

 

パケージできる個数

LINEスタンプは最低8個組で、16個、24個、32個、40個という単位でパッケージできるようになっています。

8個じゃあ少ないと思った私は、16個を目指すことにしました。

 

 

どんな種類のスタンプが好ましいか

一般的にどんな種類を持ったスタンプが使いやすいとされているのか、幾つかの絵を描き進める合間に検索してみました。

検索エンジンで「LINEスタンプ 作り方」と調べると、「売れるLINEスタンプの特徴」「自作のLINEスタンプなら『LINE Creators Studio』」など、ブログやアプリがヒットしました。

他の人に気に入られるよりも、自分で使いやすいものを作りたいと思いつつも、どうせなら一般的にも使いやすいとされている種類があったほうが便利なんじゃないかと考えて、幾つかのブログを参考に種類を考えてみることにしました。

 

 

『LINE Creators Studio』(アプリ)の特徴

LINEスタンプ作成用に、LINEが提供しているアプリが『Creators Studio(クリエイターズ スタジオ)』です。

撮った写真を加工するなど、スマホでのスタンプ作りから申請までできるそうなので、他のお絵描きツールなどを持っていない場合は、このアプリひとつで手軽に済むのが魅力でしょうか。

 

『Creators Studio』については、「自分で作ったスタンプを120円で買わなきゃいけない」などの口コミも目に付きますが、どうやらこれらは過去のもので、現在では価格のシステムが改定されたようです。

公式の説明文には「2019年6月26日以降にCreators Studioで審査リクエストしたスタンプは売上の分配額が0円になります。」「2019年6月26日以降にCreators Studioで審査リクエストしたスタンプはクリエイター本人に限り無料でダウンロードすることができます。」とあります。

つまり、以前は販売したスタンプの製作者(クリエイター)にも売り上げの分配があったのが、現在は売り上げの分配がない代わりに製作者(クリエイター)本人は無料でスタンプが使える、ということみたいです。

 

アプリ自体も無料なので、手軽に撮った写真を加工して自分で使いたいという希望に応えるサービスだと思います。

 

 

上記のアプリを使わずにスタンプを作る場合、『LINE Creators Market』というwebサイトから、申請する必要があります。 

LINE Creators Market

『LINE Creators Market(クリエイターズ マーケット)』のwebページにアクセスします。ここでは、LINEアカウントでログインして、クリエイター登録をします。

ガイドラインに従って、スタンプや絵文字をアップロードできます。

 

元々持っているスマホ アプリやパソコン ソフトで絵を描く場合は、こちらのほうが新しくアプリをインストールしなくて済むのでスムーズかなと思い、私はCreators Marketに登録しました。

そして、Creators Studioのアプリを使うのと最も異なる点が、売上金の分配があることだと思います。ほとんどの場合は儲かるようなものではないでしょうが、数円でも収益が発生すると嬉しい……正確に表現するならば、搾取される感じを覚えなくて済みそうだと考えました。

しかし売上金の分配があるということは、銀行口座の登録が必要ということなので、どちらが手間だと感じるかは人によりそうです。

 

 

スタンプ用の絵がトーク画面でどう表示されるか、シミュレーターでテストしてみることもできます。

 


f:id:ogasiwa_maki:20190730224744p:image

f:id:ogasiwa_maki:20190730224752p:image

 

こんな風に、背景色を変えてみて使っている色との差があるかどうかを見ることができます。

スタンプ画像をタップして表示させるので、実際に使うときを想像しやすく、スタンプの並び方を考えるのにも便利です。

 

 

「そろそろ出来上がりでいいかな」という気がしてきたので、申請してみようと思います。

【暗】社交不安障害の人生をどうやって生きればいいのか

社交不安障害と診断されて、3ヵ月が過ぎた今日この頃。

気持ちの整理がつかないままの 小柏まき です。

 


診断されたらスッキリするんじゃないかと考えていたのですが、実際に診断されてみると腑に落ちる部分はあったものの、自分が “幼い頃から障害を抱えて生きてきたんだな” という実感がだんだんと湧いてきて、気分が落ち込んでいきました。

 

 

 

私は小学校4年生の頃から学校にいけなくなり、それから中学校を卒業するまで不登校でした。

それは自分に学校があっていないんだ、学校の教育があっていないんじゃないか、それを自分で判断して学校に行かないことを選んでいる、自分で選択してきた選んで決めてきたと思っていました。

 


しかし障害だと診断されたことで、当時の自律神経失調症の原因は社交不安障害による過度のストレスだったと考えることができます。

 

 


自分に合った選択肢を選んで歩んできた人生だから、自分の人生に責任を持ちたいと、ずっと思ってきました。

 


でも、本当は他に選択肢があるなら選びたくなかった、別の選択肢を選びたかったのに選ぶ余地がなかった、自分には選択肢が与えられていなかった、ということに気がついたのです。自分が好きで選んできた人生だから自分で責任を持てると思っていたのが、好きで選んでいるわけではなかったようです。

 

 

 

労働に見合わない報酬だったとき、その労働自体にやりがいがあると思い込むという心理があります。その労働自体にやりがいがある・楽しみがある、という風に自分に言い聞かせないと、それをする自分が受け入れられないからだそうです。

 


私は、元気な体があれば、自分に力があって普通のことが普通にできたなら、きっと学校に行っていた。たぶん学校が好きなタイプだったことでしょう。

そのことに気がついたときに、そうやって障害が原因で避けてきた選択肢、選べなかった人生が “本当に送りたい人生” だったんじゃないかと思って、「私は障害のせいでやりたいことができていなかったんだ」「障害が無い人が羨ましい」「普通に学校に行けてた人が羨ましいな」と思ってしまったのです。

 

 

 

大学生の頃に、ショーのステージに立つ機会が与えられたことがありました。

私は、人前に立つことが怖くて仕方なくて、それでも人前に立ちたくない理由がよくわからなくて、結局ショーのステージには立たずに、裏方としてそのイベントに参加する方法を特例的に取らせてもらいました。

 

 

 

もし〇〇だったら、もし〇〇でなかったら、そんなことは実際には存在しないと言うことはよくわかっているつもりです。でも自由に生きてこられなかったんだと身に染みて感じたときに、どうしても「もし障害を持っていなかったら……」というのを考えてしまうのです。

 

 

重いうつ病を繰り返す『反復性うつ病性障害』の根底にあったもののひとつは、社交不安障害でした。

 

 

そしてこれから先も、この極度の緊張や恐怖と付き合って生きていくしかないのだと思うと、原因がわかっても苦しみを取り除くことはできないのだという現実に、じんわりと身体の何割かが沼地に沈んでいるような絶望感を覚えます。