私がこのブログを書いている動機と目的は、思考を視覚化して整理しようという部分が大きいです。
読んでくださっている方がいらっしゃることを思えば、当たり前のように一人で抱え込んでいたものを告白する場にもしたいと考えていました。
そこで、電車の中で体調が悪くなった体験を書こうと、記憶を辿っているときに、ふと「あの具合の悪さをどう表現しよう?」と考えを巡らせました。
私自身が“意味不明な具合の悪さ”で困るということは、人生の中で何度も経験していたことで、それはいわば持って生まれた個体の弱さで仕方ないものだと思って受け入れていました。それは思えば子ども時代から抱えていたものでした。
他の元気な人とは違うから仕方ない、具合が悪くなっても数時間すれば回復する、そう割り切って、具合が悪くなったら休むことを意識して遣り過ごして、今まで生きてきました。
「電車の中で具合が悪くなる」という事柄を頭の中で言語化してみたとき、なんだか急に引っかかるというか気になることが浮かんできました。「パニック障害の発作も、電車のような閉鎖的で人が多い場所で起こるものだよね」と。
パニック障害という精神疾患があって、その発作として過呼吸や気が狂ってしまいそう・このまま死んでしまうのではないかという恐怖を感じる、ということは一般的な知識として知ってはいました。それが原因で電車に乗れないという話も幾つも聞いたことがあって「大変だなぁ」と思っていました。
私の体調不良の症状は、息が苦しくなって・体温調節が上手くいかなくなって暑くて寒い・汗をかいて・めまいや意識が遠くなる感じがする、というものでした。そのときによっては、胸部や腹部に不快感があったり・吐き気がしたりすることもありました。
気になったのは、パニック症状というものが過呼吸や恐怖を伴うものに限定されるのかどうかでした。もしかしたら私の原因不明の具合の悪さが含まれているのではないか、というところでした。
今は、厳密で正確な裏付けがあるかどうかは置いておいて、手軽に調べてみられる便利な環境に恵まれています。さっそく簡易的なチェックリストを見てみました。
私が見たページでは、13項目中4項目当てはまるとパニック発作だと書いてありました。それが幾つも当てはまること。
しかしながら、過呼吸や恐怖を伴うことがパニック障害かどうかの診断の要素であるような印象を受けました。このことから自己診断では、“意味不明な具合の悪さ”がパニック発作である可能性は高そうですが、パニック障害ではなさそうだと思いました。
パニック障害では、発作が起こったらどうしようという予期不安や、発作が起こる場面を回避して生活の行動を制限する広場恐怖を伴うことが多いそうです。が、私の場合は子どもの頃からのデフォルトだったために「自分はそういう体質だから仕方ない」「具合が悪くなったら休むしかない」というスタンスが確立されているので、予期不安は少ししかありません。広場恐怖に至っては、パニック発作を持たない状態の自分が想像できないので、自覚する範囲では無いとしか言えません。
パニック障害の治療方法としてSSRI(抗うつ薬・向精神薬)を使うことがあるそうですが、それは既にうつ病治療の目的で処方され服用しています。
これは偶然なのか因果関係があるものなのかわかりませんが、例えば今後うつ症状がよくなっても、パニック発作のために薬を処方してもらうということもできると考えれば、今回このことに気づいて知識を得たことはプラスだったと思います。
幸か不幸か、パニック発作が私の生活に当たり前のものとして馴染んでいたために、できそうなことは既にやっていてこれ以上やることは今のところはないようです。しかし当たり前に受け入れてきたことが、普通ならわざわざ病院へ行くような名前があるもので、我慢すべきことではなかったということが少し衝撃的でした。
『人間は誰しも多かれ少なかれ苦しさを抱えながら生きているもので、どの人もそんなに楽に生きてるわけじゃない』と思い込んで我慢してきて、この歳になるまで気づかなかったなんて滑稽というかバカみたいというか、なんだか可笑しくてちょっと笑ってしまいました。
イージーモードだと思ってやっていたらハードモードだった、と気づくことは、無駄に苦労してしまった気もするしラッキーな気もします。
これからは、もっと楽に過ごせるようになりそうな気がするからです。