考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

鬱で読書が難しい&コミュニケーション力低下による苦

ひとつの事象に遭ったことでネガティブな気持ちに捕らわれてしまった 小柏まき です。

 

今回のうつ病が、医療の力だけではなく出会った人から受けた影響もあって快復に向かっていると思います。

ですが、人との関りを広げると、思うようにならないことも多くあるのだということを実感した体験を書きたいです。

元々は、誰かを批判したり論破してしまったり陰口を言ったりするのは好まない性質なのですが、今回の記事で自分の心の動きを整理したいです。

愚痴や批判やネガティブ思考を見たくない方は、お戻りください。

 

 

 

 

 

何をそんなに気に病んでいるかというと、Twitterで繋がった個人が催している『オンライン読書会』なるものに参加したいと思ったのに参加できなかった、というものです。

 

目次

 

 

 

<時系列での成り行き>

オンライン読書会主催者との出会いと関係

 

出会いは、別の人のツイキャスのリスナー同士だったことに始まりました。お互いにコメントで参加していた流れで、Twitterをフォローし合ったのでした。

 

その後、その方がツイキャスで音声配信していたのを聞きに行ってコメントしたのが、今年の1月のことです。

そのときの話題も、オンライン読書会のことでした。「よろしかったら参加をご検討ください」と言ってもらったと記憶しています。

それ以降にも、その方のツイキャスを確か2回ほど聞きに行ってコメントしました。その度にお誘いの言葉をかけてもらいました。

 

 

 

私がオンライン読書会に参加しようと心が動いた経緯

 

オンライン読書会主催者のツイキャスを私が聞きに行った3回目のときのことです。以前オンライン読書会に参加したという方とコラボ配信をしていて、私以外のリスナーにも読書会参加経験者の方がいてコメントしていたのでした。どの人も言葉遣いが丁寧で、話をスムーズに進める働きができる人たちだと感じました。

そこで、「オンライン読書会もこんな雰囲気だとしたら、参加したら楽しいかもしれない」と思ったのでした。

 

そしてツイキャスを聞く度に誘ってくれていた主催者さんが、次の本を夏目漱石の『こころ』を扱うという話をしたのでした。

私は新書などの知識を吸収するタイプの本は、特別に興味を持ったもの以外買わないののですが、それまでオンライン読書会ではそういう本が扱われてきました。どちらかといえば小説が好きな私が参加するには、『こころ』はもってこいだったのです。

その話を聞きながら「『こころ』を扱うと聞いてがぜん興味が湧きました」とコメントすると、「是非ご参加ください」と応えてくれたのでした。

 

 

 

読書会『こころ』の回まで

 

参加の意思をなんとなくですが伝えたつもりだった私は、漱石のこころを読みだしました。

とはいっても、昨年読み始めてから途中でやめたままになっていた続きを読むことを再開したのでした。

というのも、うつ病で読書すること自体に力が要ることや、実生活と重ねて感情移入し過ぎて読むのがツラくなってしまったことが重なっていたのですが、状況も徐々に変化して読書を再開してもいいかなと思っていたタイミングだったのでした。

元々、読み進めるのが遅い私は、少しずつ、本当にちょっとずつ読んでいきました。

 

ツイキャスのときに、聞き専(聞く専門)で参加してもいいと言ってもらったので、そのつもりで参加の意思を伝えるべく、参加要項を確認しました。

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参加意思表示はリプライでのやり取りは既にしているから、待っていたら連絡をくれるのかな? それとも、こちらからDMもするべきなのかな? などと思いながらツイートを追って見ていました。

そこで、主催者さんが今回の読書会に関係するハッシュタグを作っているのを見つけました。

 

『こころ』を読んでいますよ、参加する意思は変わっていませんよ、という意味も込めたつもりで、そのハッシュタグを付けてツイートしました。

 

すると、主催者さんがリツイートしてくれて、その後「あなたのツイートをトゥギャりました」という通知が来ました。

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オンライン読書会開催時刻を過ぎて

 

主催者さんから連絡はありませんでした。

私も、気づかなかったわけではありません。本当にどうしても参加したいのならこちらからDMするべきでした。数日前から、DMするかどうか、迷っていたのです。

迷っても行動しなかったのは、私自身に行動するための動機がなかったのでしょう。

 

 

 

翌日になっても消化できずネガティブ思考に

 

やっぱり自分は居ても居なくても気づかれないような存在なんだな……。誘っておいて忘れるなんて……。こんな風に思うなら自分から連絡してアピールすればよかったのに……。などと、悲しい気持ちがなかなか消えませんでした。

 

そこで、主催者さんの参加要項のツイートをリツイートし、続けて自分の参加意思表示のリプライをリツイートしました。

晒す行為は、個人攻撃とも受け取れる行動でした。普段の私だったらしないようなことです。

自分らしくないことをするほど、落ち込んでいるんだ。と、予想外に感じました。

それと同時に、平和主義な自分のほうが偽物のような、繕っているような気もして、モヤモヤしました。

 

リツイートの通知が行ったであろう後に、主催者さんから来たDMです。

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<内省>

心の動き

 

 興味はあるけど不安

→不安がひとつずつ解消されてきた

→受け入れてもらえた気がして嬉しい

→参加するのが楽しみ

→連絡が来ないけど自分からしたほうがいいのか迷う

→苦手意識が働いて行動できない

→参加できなかったことにガッカリする

→問題の所在を判断できずにモヤモヤする

 

 

 

モヤモヤの要素(箇条書き) 

 

誘われなければ参加しようという気にならなかったこと。

聞き専OK、ツイキャスで参加者の様子が少しだけわかった、テキストとして元々読みかけだった『こころ』を扱う、など不安のハードルが徐々に下がったこと。

興味があることに参加できると思って楽しみにしていたこと。

読書に時間と労力が必要だったこと。

人と関わるのが好きなのに、うつ病と社交不安障害でコミュニケーションが苦手なこと。

Zoomの使い方がわからなくてインストールして使ってみて準備していたこと。

ツイキャスで興味がある旨を伝えたうえで、主催者にTwitterのリプライで参加の意思を伝えて、返事ももらっていたこと。

オンライン読書会の『こころ』の回のために作られたハッシュタグを付けてツイートしたこと。また、それを主催者がリツイートし、Togetter(トゥギャッター)にまとめたと@ツイートをしていたこと(通知が来た)。

参加の意思を伝えておいてあるのにスルーされてしまうなら、参加しなくてもいいという考えが頭の片隅にあって、こちらから念押しのDMをしなかったこと。

読書会『こころ』の回はひときわ盛況だったと後のツイートで見かけたこと。

主催者のブログで『こころ』の回が2~3回開かれるとされていたのに、1回で「終了してしまいました」とのこと。

主催者からのDMに「3/24のツイートを見つけて」とあったのが、実際は私の参加意思表示は単独のツイートではなく、主催者のツイートへのリプライで、そこに主催者からもリプライを返してくれていたこと。また、“見つけた”のは、主催者がたまたま目にしたりわざわざ探したりしたわけではなく、主催者のツイートと私のリプライを私が続けてリツイートしたため(主催者に通知が行った)。

 

 

 

伝わらない言葉

 

DMで私が「現在、当方は読書が容易ではないので、ご縁が無かったものとご了承ください」と返信した意図が伝わらなかったようで、「ご事情について踏み込むことはいたしませんが」「また、今後ともよろしくお願いいたします」と返信をもらいました。

「現在、当方は読書が容易ではない」とは、「うつ病で本が読みづらい」「たまたま途中まで読んでいた本を扱う読書会だったから参加できそうだった」という意味で遣った言葉です。

「ご縁が無かったものとご了承ください」は、「今後、指定された他の本を読んで参加することはできない」という意味で伝えたつもりでした。

 

私がうつ病だということはTwitterアカウントの名前にも書いています。主催者さんも精神疾患を抱えていて、以前は本が読めなかったという話をツイキャスでしていて、「私も読めません」とコメントしてやり取りしていたのですが、きっとそれも含めて忘れられてしまったのでしょう。

 

 

 

結果的によかったと思う

 

オンライン読書会には、毎回3~5人くらい参加していると、ツイキャスで言っていたと記憶しています。『こころ』の回が盛況だったとはいえ、例えば15人の参加者がいたからという理由で1人の存在を忘れてしまう主催者だったら、読書会も相応の内容だったのだろうと推し量っているのですが、これは私の心が納得しようとして卑屈になっているのでしょうか? 自分では、判断のつかないことです。

 

どちらにせよ、人の言動を真に受けやすい私は、早い段階で忘れてもらったことで傷が浅く済んだのだと思います。

それともう一つ、読書会に参加しなくてよかったと思う点は、私自身が何かの作品を読み解くとき、自分なりにある程度の期間をかけて考える人間なのだということです。自分の読み解き方がほとんどできていない状態で他の人の感想を聞いてしまうと、その考えに影響される可能性がありました。

 

もしかしたら、これらが意識に上らないまま、“行動しない”という選択に表れていたのかもしれません。

 

読書会に参加するなどの方法をとらなくても、夏目漱石の『こころ』の感想は、見聞きする機会は幾らでもあるとも思います。

 

自分のペースは、きっとゆっくりなのだろうと、今は思っています。