考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

持たざる者の善意~高齢化社会・お金~

何事もなく平穏な日常を送っている分には見えない部分、ある状況になってみないと顔を出さない側面が、人間にはあるものです。

 

 

私が住んでいるそれなりに便利な田舎では、割と近場に血縁者が暮らしていたり、祖父母の時代には信頼している家同士の間で婚姻関係を結ぶことが多かったりして、「〇〇さんにとって△△さんは、(伴侶の=自分の)叔父であり、義理の兄でもある」というような複雑な関係になる場合もあります。

 

誰かの具合が悪くて、数日は身の周りの世話をしたり病院に連れて行ったりする必要があるとき、まず手を出すのは一緒に暮らしている家族でしょう。ですが、家族のいない一人暮らしの人や、何日もの間家族が家を空けている場合、誰が看るべきなのでしょうか? 血のつながりがより濃い人でしょうか? それとも物理的に近くに住んでいる人でしょうか?

 

高齢化社会を、身近な人達の老いや死別による一人暮らしから実感するのは、切ないものがあります。だからといって私にできることはあるのかどうか、考えてしまうことがしばしばです。

 

 

例えば、老夫婦が暮らしていて、その家には子どもが居ないとき。夫婦のどちらかが病に酷く弱ってしまって、年老いた伴侶一人の力では看護することが難しくなってきます。

そしていつか老夫婦を死が別つときが来たとき、単身この世に遺された人をケアしてサポートするのは、誰がふさわしいのでしょう?

血の繋がりの濃さや、近くに住んでいるかどうかだけではなく、サポートする能力があって且つそれをする気持ちがある人、ということになるでしょう。

 

血の繋がりはあるが同等かそれ以上に繋がりが濃い人が他にも居て、物理的な距離も近所というほどではなく、本人と懇意にしていたわけでもない人が急に世話をし始めたら、どう見えるでしょうか?

それが、サポートする能力が高く裕福な人だったら、頼もしい存在に見えるかもしれません。

問題は、能力が特別あるわけでもなく裕福ではない人だった場合です。残念ながらこの場合、「財産目当て」と見ることもできるわけです。それが心の底から心配でとった行動でも、例え本人には感謝されたとしても。いや、下手をすると、本人さえも善意を悪く受け取って警戒するという悲しい事態になりかねません。

他にその人の世話をしてくれる人がいるときには、裕福でない人間は下手に手を出さないほうが身のため、ということになります。 

 

 

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 

人間の善意からの行動を、『善』と受け取るか『偽善』と受け取るか、または『悪』とするかどうかは、行動者の本音とは無関係です。

それが『善』であるかどうかは、受け取り手と、周りの目、あるいは時代や時間を経た結果が評価するものなのです。

 

 

お金を持っていないということは、お金を持っている人と比べて行動が制限されます。それは、お金を使うことができないという単純なことにとどまりません。

持たざる者は、欲しがっているという誤解を受ける宿命なのかもしれません。

 

『持つ者』と『持たざる者』なんていう分け方ができないくらい人間の本質を見極められる目を持っていれば、深読みして嫌な気分になったり、誤解されることを嫌って動けなくなったりしなくて済むのかもしれないと、考えてしまいます。

あれは“パニック発作”だったの?

私がこのブログを書いている動機と目的は、思考を視覚化して整理しようという部分が大きいです。

読んでくださっている方がいらっしゃることを思えば、当たり前のように一人で抱え込んでいたものを告白する場にもしたいと考えていました。

 

そこで、電車の中で体調が悪くなった体験を書こうと、記憶を辿っているときに、ふと「あの具合の悪さをどう表現しよう?」と考えを巡らせました。

私自身が“意味不明な具合の悪さ”で困るということは、人生の中で何度も経験していたことで、それはいわば持って生まれた個体の弱さで仕方ないものだと思って受け入れていました。それは思えば子ども時代から抱えていたものでした。

他の元気な人とは違うから仕方ない、具合が悪くなっても数時間すれば回復する、そう割り切って、具合が悪くなったら休むことを意識して遣り過ごして、今まで生きてきました。

 

「電車の中で具合が悪くなる」という事柄を頭の中で言語化してみたとき、なんだか急に引っかかるというか気になることが浮かんできました。「パニック障害の発作も、電車のような閉鎖的で人が多い場所で起こるものだよね」と。

パニック障害という精神疾患があって、その発作として過呼吸や気が狂ってしまいそう・このまま死んでしまうのではないかという恐怖を感じる、ということは一般的な知識として知ってはいました。それが原因で電車に乗れないという話も幾つも聞いたことがあって「大変だなぁ」と思っていました。

 

私の体調不良の症状は、息が苦しくなって・体温調節が上手くいかなくなって暑くて寒い・汗をかいて・めまいや意識が遠くなる感じがする、というものでした。そのときによっては、胸部や腹部に不快感があったり・吐き気がしたりすることもありました。

気になったのは、パニック症状というものが過呼吸や恐怖を伴うものに限定されるのかどうかでした。もしかしたら私の原因不明の具合の悪さが含まれているのではないか、というところでした。

 

今は、厳密で正確な裏付けがあるかどうかは置いておいて、手軽に調べてみられる便利な環境に恵まれています。さっそく簡易的なチェックリストを見てみました。

パニック障害 - Wikipedia

私が見たページでは、13項目中4項目当てはまるとパニック発作だと書いてありました。それが幾つも当てはまること。

しかしながら、過呼吸や恐怖を伴うことがパニック障害かどうかの診断の要素であるような印象を受けました。このことから自己診断では、“意味不明な具合の悪さ”パニック発作である可能性は高そうですが、パニック障害ではなさそうだと思いました。

 

パニック障害では、発作が起こったらどうしようという予期不安や、発作が起こる場面を回避して生活の行動を制限する広場恐怖を伴うことが多いそうです。が、私の場合は子どもの頃からのデフォルトだったために「自分はそういう体質だから仕方ない」「具合が悪くなったら休むしかない」というスタンスが確立されているので、予期不安は少ししかありません。広場恐怖に至っては、パニック発作を持たない状態の自分が想像できないので、自覚する範囲では無いとしか言えません。

 

パニック障害の治療方法としてSSRI(抗うつ薬向精神薬)を使うことがあるそうですが、それは既にうつ病治療の目的で処方され服用しています。

これは偶然なのか因果関係があるものなのかわかりませんが、例えば今後うつ症状がよくなっても、パニック発作のために薬を処方してもらうということもできると考えれば、今回このことに気づいて知識を得たことはプラスだったと思います。

 

幸か不幸か、パニック発作が私の生活に当たり前のものとして馴染んでいたために、できそうなことは既にやっていてこれ以上やることは今のところはないようです。しかし当たり前に受け入れてきたことが、普通ならわざわざ病院へ行くような名前があるもので、我慢すべきことではなかったということが少し衝撃的でした。

『人間は誰しも多かれ少なかれ苦しさを抱えながら生きているもので、どの人もそんなに楽に生きてるわけじゃない』と思い込んで我慢してきて、この歳になるまで気づかなかったなんて滑稽というかバカみたいというか、なんだか可笑しくてちょっと笑ってしまいました。

イージーモードだと思ってやっていたらハードモードだった、と気づくことは、無駄に苦労してしまった気もするしラッキーな気もします。

これからは、もっと楽に過ごせるようになりそうな気がするからです。

「善意」と「善」の違い~参考図書:サンデルの本~

有難迷惑。良かれと思って。悪気はないんだろうけど。

人の気持ちというのは、どういう行動をとったとしても正しく伝わることは難しいものです。

 

どれだけ相手を想ってとった言動でも、思わぬ形で逆に相手を傷つけてしまうことがあります。傷ついた本人が教えてくれないことを想像すれば、その数は思っているよりずっと多いかもしれません。

 

今回のタイトルの 「善意」と「善」の違い ですが、この「善」というものはその行動を指す「善行」を含んでいます。また、「正義」と言い換えることもできるでしょう。

 

もう何年も昔のことですが、マイケル サンデルの『ハーバード白熱教室』というNHKの番組が流行りました。その後マイケル サンデルの著書『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』が売れ、翌年には文庫版が発売されました。

個人的には哲学に関するような勉強というのはしたことがなかったのですが、この本は幾つもの例えが示されていて、哲学の入門書としてなんて堅苦しいものではなく実生活のことに置き換えて考えられるような、考える材料として面白いものでした。

 

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 

 

私の結論

 

人間の善意からの行動を、「善」と受け取るか「偽善」と受け取るか、または「悪」とするかどうかは、行動者の本音とは無関係です。
それが「善」であるかどうかは、受け取り手と、周りの目、あるいは時代や時間を経た結果が評価するものなのです。

「正義」に関しても、勝てば官軍負ければ賊軍という言葉があるように、今のこの国での正しいとされることが、どの時代でも・どこの国でも通用するものではありません。

 

人がもっとも残酷になる条件は“自分が「正しい」と信じているとき”、なんていうことも聞いたことがあります。暫く考えてみても、それ以上に人が残酷になる条件は思いつきませんでした。

世の中的な風潮や、自分の信じる正しさを振りかざして、誰かを苦しめるようなことはできるだけしたくないと思います。

この考えを、他者に対してだけではなく自分自身に対しても適用できるくらいの寛容さ、あるいは自尊心を持てるようになりたいと、同時に思うのでした。

“ちゃんと感じながら生きる”ことの難しさ

当事者的な、痛みがある文章を書きたいと、思っていました。

 

精神疾患や生きることの苦しさを抱えている、本人の声というものが、専門家の本などには不在だからです。

専門家の文が専門家的なのは、当たり前のようでいて、専門家を志すきっかけが生きづらさだったりすることもあることを考えると、どこまで個人的なスパイスを入れるかのジレンマを想像します。

 

「考えること」と「感じること」

考えることは、或る事柄の一端に触れて知識を深めていくことと、その知識を使ってものの見方を変えてみる試みと、そこから見えたことを深掘りするための材料探し、という「知識を得る・知ること」と「思考する・考えを巡らす」ことからなっていて、それらが片方だけでは機能しなくて交互に働くことだと思います。

感じることは、そのまま五感で受け取った刺激もそうですが、心での受け取り方も含んでいると思います。受け取り方は、個人の思考癖や、それまでの人生での経験や、遺伝的に持っている脳によっても変わるでしょう。

 

 

昔、学力も学びながら生きてきた人生経験も豊かであろう人が言いました。

「この方の素晴らしいところは、ちゃんと感じてるところ」

と。ここでの「この方」とは、地元から離れて暮らしたこともなさそうな、若くして結婚・子育てをしていて、話の内容も態度もどこにでも居そうな昔ちょっとヤンチャしてましたみたいな感じの人でした。

この発言をした人は、私には想像もつかないような研究をしている人だから、きっとどんな人のことも悪くは言わないし、そういう見方もできるのだろうと何気なく聞いていました。

この言葉が発言者の、心の深い部分から出てきた本当の気持ちなのだと考え至るのは、それから何年も経ってからでした。

 

人は、学歴や地位や財産や人生の長さが、その人の一部を測るのに簡単で、どうしても他の部分は把握しづらいものです。

私はこの発言者が「ちゃんと感じて」生きられないという苦しみを抱えているなんて、思ってもみなかったのです。

 

 

かくいう私自身も、数十年生きてみて、この人生で起こったことの全てを「ちゃんと感じて」いたかというと、全くそう言えない部分もあります。

ちゃんと感じながら生きるということは、出会ってしまった場面にしっかり向き合うことだと思います。酷く悲しいはずなのに涙が出ない・怖い目に遭って思い出すこともできない・記憶が繋がっていない、そういう体験をしたことがあれば、感じることで自分が壊れてしまうよりも心を守ることのほうが大切であることを知っていることでしょう。

ですからそれが善悪や優劣に関わることではないわけで、深い傷に蓋をして過去を忘れることも、生きるのにとても大切なことです。

 

それでも“ちゃんと感じながら”生きてる人を、たまに見かけることがあります。そういう人が本当に“ちゃんと感じている”かどうか、他者である私にはわからないはずなのに、そう見えるのです。

彼・彼女らは、何かあったら酷く傷ついてしまいそうな儚さを漂わせながら、とても人間的で健全で魅力的で、どうしようもなく羨ましく見えるのです。

【壱】9年半付き合った恋人(躁鬱)の看病【あらまし】

失恋から立ち直れない 小柏まき です。

 

以前の記事にも書いたように、私には長く付き合った恋人が居ました。

今回のうつ病になったのが、その元彼と付き合っていて、看病をしているときでした。

 

彼は双極性障害でした。

以前にも一度うつ病を患って、転職・転居してからのことでした。具合が悪いからと仕事を休みがちになって、徐々に連続して欠勤することが多くなり、病院に行くようになりました。最初の診断名はうつ病で、その後、双極性障害(躁うつ病)と診断されたのでした。

私は既にこの頃、うつ病を発症して仕事を辞めて、実家で暮らすようになり、寛解状態のまま親のすねをかじっていました。彼はずっと正社員で働いてきて、二人とも当然のように結婚するつもりだったので、精神疾患になってからも「俺が働くから、まきは働かなくてもいい」と彼は言っていました。

 

うつ病と診断されて休職して、ほぼ寝たきりになった彼を24時間体制で看病するべく、同棲状態で彼の部屋に滞在しました。

毎回、通院に付き添って、一緒に診察室に入って医師に状態を説明しました。手続きなどの人と接しなければいけないことは、代わりに私がしました。

どうにか食事をして薬を飲んでほしくて、彼が食べてくれそうなものを買ってきたり作ったりしました。作っても気に入らないものは一口も食べてもらえないので、彼が食べるかどうかでメニューを決めていました。

他にも、できる限り身の回りの世話をして、彼の調子が少しでもいいときは趣味を一緒に楽しんだりしました。

 

昼間横になっていることが多い彼は、夜になると「死にたい」と言って泣きました。そのたびに私は、死なないでほしい気持ちを伝えて説得しました。それが決まって0時頃で、彼はひとしきり泣いて落ち着くと、睡眠薬を服用して眠るのでした。私は彼が死んでしまわないか不安で、やってきた眠気を我慢して説得にあたるので、彼が眠る頃には目が冴えてしまって眠るタイミングを逃すのでした。

しかし次の日の夜になれば、前日の夜にあんなに時間と心を使ってした話の記憶よりも死にたい気持ちのほうが強くなってしまうようで、また「死にたい」と涙を流すのでした。私は毎日、彼を説得しました。

そのうちに私は完全に睡眠のリズムが崩れて疲弊していきました。それでも変わらず、彼は死にたがるので、私は「一緒に死のうか」と提案しました。が、その言葉は彼には響かなかったようで、「まきは死ぬことないよ」と言われて片付けられてしまいました。本気だと受け取ってもらえなかったのかもしれません。

あるとき、首吊り用の紐が用意されていたので、私は輪の部分にハサミを入れて自殺できないようにして、紐を片付けることは敢えてせず“吊れない紐”を残しておきました。

 

躁うつ病には、鬱の時期と躁の時期があります。

 

躁の時期には怒りっぽく攻撃的になり、怒鳴ったり物に当たったりすることがありました。

まるで、身体も気持ちも重くしていたストレスが方向を変え、外に向かって吐き出されるように、いろいろな行動を起こしました。

髪を何度もブリーチしたりピアスを沢山あけたり、買い物依存症のようになって次から次へと欲しいものを見つけてはそのことばかり話していたり、多弁になって部屋の中でも私の移動に合わせて近くに来てずっと喋っていたり。

沢山食べるようになって数十キロ体重が増えたり、そうかと思うと体重を気にして一日に7~8回くらい体重計に乗って「俺太ったかな?」「大丈夫だと思う?」としきりに訊いてきたり、身体を動かすことにハマってジョギングやエクササイズダンスに私を誘って一緒にやったりしました。

私は他にも、知らない人に喧嘩を売ってしまいそうになるのを止めたり、高額の買い物は相談してほしいことを伝えたりしました。ですが基本的には彼が好きなようにさせたかったので、「無駄遣いかな?」と言ってくるものは、「どうせ買うならこだわったほうがいい」とか「一見無駄に思えることが心を豊かにするんじゃない?」と、ほとんど彼の意志を尊重しながら意見しました。

 

そんな風に生活していると当たり前にお金が無くなっていきました。私は貯金を切り崩し、「必ず返すから」と泣きながら土下座する彼を、信頼しきっていました。

結局、奢った分や私の移動費・生活費などは含まず、150万円ほど貸したまま返ってきていません。

 

彼の地元の家族は「彼女が面倒見てくれてる」と言って、丸投げで病気に関する知識を付けるわけでもありませんでした。たまに東京に遊びに来て、私たちに案内をさせつつ食事を御馳走してくれたりしました。

 

私の実家の家族は、恐らく私が好きな彼氏のところに入り浸っていると認識していたと思います。

 

私は季節ごとに実家へ帰って、お盆やお彼岸の親戚が集まるときの料理や応対をし、読み終えた本などを自室に持ち帰り、衣替えをしてまた荷造りするのでした。

彼が鬱状態のときには、彼の部屋を留守にする日数より少し多めに食べ物や飲み物や日用品を買い出して、料理を作って置いておきました。ところが沢山あると思うと食べる方向に気が向くのか、電話で話すといつもより早いペースで消費してしまった報告を聞くのでした。

そんな日々が、どれくらい続いたのか、よく憶えていません。

 

あるときから、彼の付き添いで行く病院に私もお世話になるようになって、今回のうつ病の診断を受けました。

それから私は、彼の部屋に長くは滞在しないようになっていきました。通院の日を合わせて、待ち合わせて一緒に病院へ行き、彼の部屋に数日から数週間滞在したら実家へ帰るようにしました。この頃には彼の状態がある程度安定していたことと、私の状態が悪かったことがありました。

 

その後、彼とは別れることになるのですが、看病当時も私は幸せでした。

彼が少しでも幸せに生きていてくれることが、そのときの私の何よりの願いだったからです。

大規模災害時の情報摂取の選択

反復性うつ病性障害の 小柏まき です。

 

千葉・群馬に続いて、大阪で大地震がありましたね。

直接の被害が無い地域に暮らしていても、インターネット・テレビ・ラジオ、様々な媒体でタイムリーな情報を受け取ることができる時代です。

共感性・感受性が強い人や、精神疾患を持っている人は、テレビで流れる映像をずっと観ている・ネットでいろいろな人の言葉に触れ続ける、というのは危険です。

情報を得続けることで、直接体験しなくてもPTSDになることがあるからです。

 

個人的に体験したことがある最も大きな地震は、震度5強です。余震なども合わせて地震の揺れ自体は何度も経験していますが、現代の日本に暮らす人なら多かれ少なかれ地震の体験はあると思います。

どこかで震度6弱の揺れを観測したことを知っただけで、私なんかには想像もつかない怖い思いをして、実害を受けて、大切な人の安否に気が気ではなく、余震の不安に耐えている人が居るのだ、と思い胸が苦しいです。

ただ、いくら私が胸を痛めたところで、被災している人の誰の役に立つことも今の時点ではできません。

 

正しい情報を得て、できることをすることは大事なことです。

必要以上の情報を摂取し、勝手に落ち込むことは無意味なのです。

 

どうか、より多くの人が傷つかずに済みますように。

願うことと、できることを考えることしか、今の私にはできそうにありません。

違いに救われる

内向的でぐるぐる考え出すと出口がわからなくなる

 小柏まき です。

 

ブログを始めて、以前よりも誰かのブログを拝読する機会が増えました。

SNSTwitterがメインですが、ネット越しでさえコミュ障なので、意図と違った受け取り方をされてしまって結果的に嫌な気持ちにさせてしまうということが、たまにあります。申し訳ない限りです。

私がそう認識していない範囲でも、知らず知らずのうちに嫌な思いをしている人はいるかもしれません。少し前の状態の私だったら、そこをグズグズと考えてしまって落ち込むのでしたが、近頃は多少の誤解はお互い様なのかなと思うようになりました。

 

人は誰でも、どんな人でも、自分以外の人生を生きてみることはできません。ですから、誰かのことを完全に理解するというのは、無理なことです。

もし誰かを完璧に理解している自負があれば、それは勘違いです。

 

いろいろな人の言葉に触れる機会があると、自分には全く想像もつかない思考や発想をする人の存在が少し見えます。

自分と考えが違うと、もちろん共感はできません。ですが、共感だけが人と交流することのよさでしょうか?

 

例え話として。もし自分とまるっきり同じ状況で生きていて、自分と同じことを感じ・自分と同じことだけを考えている人が居たとしたら、共感できて支え合うことはできるでしょう。しかしその人と言葉をやり取りする意味があるでしょうか? 言葉のやり取りが意思表示や意見交換が、意味を持つでしょうか?

 

実際の世の中には沢山の人が居て、どの人もそれぞれ違った世界を見ていて、違った感覚や考えを持っています。

誰かの言葉に、自分には無いものを感じたとき、「ああ、こういう人も居るんだな」「私とは全然違う方を向いて進もうとしてるんだな」と思うと、安心します。

私には想像もつかないようなモノの見方や受け取り方が、誰かにとっては当たり前にあるかもしれないからです。私には行き止まりの壁にしか見えないモノが、誰かにはワクワクする扉に見えるかもしれません。

そういう人達が同じ時代に同じ言語を遣っていて、少しでも関われることに、私はホッとするのです。

 

意見や考え方が違うと、同じ言語を遣っていても誤解が生じやすくて、言葉をやり取りしても噛み合わない感じがする人も居ます。でもそれも、理解したい気持ちの一方で、理解できないことの存在を教えてくれていると思えます。

噛み合わないことが良いか悪いかはわかりません。でも、噛み合わないやり取りをしてくれる人の存在は、私のことを少しずつ理解してくれる人の存在とはまた別の有難さがあるのです。

もしかしたら、誰のことも完全に理解することはできないと確認することで、自分が他の誰にも理解されなくてもいいのだと思えるから、というのもあるのかもしれません。

 

沢山の理解できないことの存在を認めて、そのうえで誰かの気持ちを想像したり、理解したいと関わってみたり、違いをそのまま受け入れたり。そうやって人と接して生きていられることは、私にとって幸せなとこです。

誰も、他の誰かにはなれないのです。誰も、“誰でもない人”にはなれないのです。

あなたは私にはなれない、私はあなたにはなれない、自分は自分でしかいられない。そんな当たり前のことが当たり前であることに、泣きたくなるくらいです。

 

たぶん私は“自分は一人の人間なのだ” “ひとりぼっちじゃない” “この世界は閉鎖的ではない”ということを、実感しているのだと思います。

 

ありがとうございます。と、書かせてください。