アイデンティティの確立や人格形成に大きく影響を与えたひとつの事実が、正確にはひとつの事実に関する思いが、私にはあって、いまだに私はそのことに囚われています。
10歳の頃、自律神経失調症になりました。身体が怠くて起き上がれなかったり、頭痛や腹痛や悪心で、学校を休みがちになり、“普通”から外れる程、登校が怖くて嫌なことになっていきました。
家族は私の不登校を受け入れられずに、世間体と子育て法、将来の心配と現状の把握に混乱していました。
私自身も自分の状態がよく理解できずにいたため、「具合の悪さは、本当はサボりたい気持ちなんじゃないか」という罪悪感を抱いたり、家族から問いただされたり叱られたり怒られたりするたびに、自暴自棄になって内へ内へと閉じこもりました。
病院で自律神経失調症と診断を受けても、医師からは治療らしい治療も施されませんでした。
医学に縋れない人間は、神や仏などの、人知を超えたものに縋りたくなるものです。
親戚が、私の家族に“わかる人”を紹介してきて、家族がその人に私のことを相談して、あとで冷静に振り返れば詐欺に遭いそうだった、なんていうこともありました。
他にも、私の知らないところで知らない人に助言を請うていたようでした。
不登校という社会的地位の無さと、自分が自分の思うようにならないわけのわからなさと苦しさで、自己肯定感が持てなくなっていた私は、この世から逃げ出したい、全部を無くしたい気持ちになっていました。
理由があれば、打つ手も出てきて、行動をすれば解決するような希望を、人間は持ちたがるものです。
ある日、家族から告げられました。「死んだ子が業してるんじゃないかと思って」と。
私には元々、きょうだいがもう一人いたそうです。私の人生は、失われた命の上にあるようなものだったということを、そのとき知りました。
家族の発言は、失われた命が祟っているのではないか、という意味でした。つまり、私が“まとも”ではない原因は、私の生が人を犠牲にしたものだからではないか、ということでした。
その後、親戚に集まってもらって、お寺の本堂で供養を行ってもらいました。いとこ達は子どもだったので、「ちゃんと供養していない先祖がいて、気がかりだから」という風に説明をして出席してもらったそうです。
私は考えていました。自分が出来損ないなせいで、家族だけではなく親戚の時間も労力もお金も掛けさせてしまっている現実について。
それから、「もし私が命を失う側で、きょうだいが生きていたら」、「どうして私が生きてしまっているんだろう?」という答えがあるはずもない問いと、「私を居ないことにしてほしい」という気持ちに、憑りつかれてしまいました。
精神疾患を繰り返すたびに、その根っこには取り除けていない“何か”があって、その正体がわからないからいつも同じことで躓くのではないかと思ってきました。
自分の先天的な脳の性質や身体の弱さについて、複数の他者を知ることと、心理学や脳科学を少し知ることで、少しずつ自覚を持つようになりました。
私は子ども時代、自分は身体も強いし気も強いと、ずっと思い込むようにしていました。しかしそれは現実とはかけ離れていて、その食い違いから小さな無理を積み重ねて、それがキャパシティを越えてしまったのが、小学4年生(10歳)のときだったのかなと、今では考えています。
認知の歪みを矯正するべく、僅かずつ“考えグセ”を変える日々を重ねているつもりです。
『呪い』の正体は、思い込みです。
ならば、呪いを解くかどうかは、いかに自分を説得できるか、なのだと思います。