平成31年4月の通院のとき主治医に、「対人恐怖とか社交不安障害とか呼ばれる症状だね」と言われたのに、自分の中で整理がつかないまま令和元年を迎えてしまった 小柏まき です。
目次
社交不安障害(SAD)の症状
実は私は昔から、ざっと考えて少なくとも高校生の頃から、極端に緊張状態に陥って姿勢を保っていられなくなるような症状に悩まされていました。
具体的には、
人の目のあるところや大事な書類に文字を書こうとすると、自分でもコントかと思ってしまうくらい見事に手が震えて、上手く書けません。
誰かと対面して立ち話をしようとして、それが普通に仲の良い相手でも、ふとしたスイッチが入ってしまうと、話すこと・表情を作ること・立っていることも困難になって、それがストレスで人付き合いを避けてしまいます。
人と食事をする場面でも、緊張して、物を食べるときの動作を忘れて、食べるということ自体ができなくなってしまいます。
こういう場面に出くわすと、幾つかの嫌なことがあります。
まずは身体的な疲労です。
心臓の拍動や呼吸が苦しいことや、汗をかいてしまうなど、後になってどっと疲れます。また筋肉に必要以上に力が入って筋肉痛になったりもします。
そして、自意識からくる精神的な疲労と、それによるマイナス思考です。
自分でも自分の身に起きていることが異常であろうことはわかっていても、「なんで私はこんなに あがり症なんだろう」「前は平気だったのに今回はダメだった」「おかしな態度をとってしまった」「あの人には変な人だと思われただろう」などと思ってしまいます。
それでいて、病識(これが病気だという認識)を持っていないために、「私という人間は欠陥があるんじゃないか」「この感じをどう説明したらいいかわからない」「説明しても誰もわかってくれないだろう」という思考に自然となってしまうのです。
これから起こるであろう緊張する場面が怖くなり、逃げ出したく・消えてしまいたくなります。
それから、日常の大したことのない場面に適応できない自分の自己評価が下がって、自己嫌悪になります。
もともとの性格
元々の性格というのも変かもしれませんが、そういう緊張状態にならずに過ごせているときの私は、人と関わるのがそれなりに好きで、人を笑わせるのが好きです。
誰かがやらなくてはいけないことを進んでやる、というほどではないにしても、学級委員に選ばれてしまえば実際にそれなりにやりました。
提出物などで手書きのものがあれば、先生や同級生、上司や同僚に「字が綺麗」と褒めてもらったこともあります。
知らない土地や新しい環境で、人間関係を築くのも、嫌いではありません。
自分では自分のことを、楽観的な部分があるタイプだとも思っています。
診断を受けるまでの経緯
『社交不安障害』『社会不安障害』『書痙』『会食恐怖』などの言葉を知って、それを少し調べたときに、自分がそれらに当てはまるであろうということはわかっていました。
では、なぜ今まで診断されなかったか……。
それは、主治医も人間だからです。私は医師にすら症状を話すことに抵抗があったのでした。
そのときの調子によりますが、通院時の診察は手短に済ませてしまいたい、面倒な患者だと思われたくない、などという気持ちがあります。
そして何よりも、自分の体験を話すことが恥ずかしくて仕方なくて、切り出せませんでした。
それから、医師に話す必要がないと考えていた決定的な理由は、すでに抗うつ薬3種類と抗不安薬1種類が、うつ病治療として処方されているからでした。
精神科医の主な仕事のひとつが、処方箋を出すことだと思っているので、「診断名が追加されたところで処方薬に変更はないだろう」と考えて、話しても話さなくても治療が同じだとしたら話す労力に意味を感じなかったのです。
主治医に話そうと思うようになったのは、病識を正しく持つことでずっと持ち続けている “今の病気を治していきたい” という気持ちに貢献したい思いが湧いてきた、またそれが出来そうだと思えるくらい喋れるようになったからでした。
医師とのやり取り
診察のときに、エピソードを添えて、まず〈緊張しやすい性質とうつ病の関係〉を訊いてみました。
例えば、お店で感じのいい店員さんに声を掛けられて、商品についてあれこれ話して、店員さんが顔を憶えていてくれるようになったりします。質問したり雑談したりするのは、楽しくて好きです。
喋るだけ喋って何も買わずに帰っても、次に行ったときに憶えていてくれると、その店員さんのオススメに対する信頼度が高くなったりもします。
それが、ある日なんとなくお店を覗くと顔なじみの店員さんが声を掛けてくれたとき、急にとても緊張した状態になって、挨拶を交わすのも苦痛に感じて「早く帰りたい」という一心でその場をやり過ごすのです。
こういった突然の極度の緊張に陥るのが嫌で、お店に顔を出すことまで憂鬱になってしまいます。
主治医に要約を伝えてみると、「緊張しやすい人は、その分ストレスを受けているので、うつ病になりやすい傾向にあるといえるであろう」という意味のことを言われました。
次に、文字を書く時の手の震え『書痙』について話しました。
「自分でもわざとらしいと思うくらいに手が震える」と話すと、主治医のほうから「人目があるところで字が書けない」などの例をあげて、私が共感を示すと、「対人恐怖とか社交不安障害と呼ばれる症状だね」と言われました。
主治医から、『会食恐怖』の例や、誰かが居るところで電話をすることに苦手を感じる例があることを聞きました。
心当たりがあることばかりでした。
そのときに思い当たったのが、高校生の頃に昼食が食べられなくなったことでした。
今でも、物を食べたり飲んだりしようとして急に身体に力が入ってしまって、食べ方を忘れてしまうようなことがあります。それが自分では、とてつもなく恥ずかしく、情けないのです。
診察を終えて
案の定、診断されてからも薬の処方はいつも通りでした。
しかし、私の中では、“診断されたから人に話してもいいんだ” “病気・障害として認められていて、ある程度の数の患者が居るんだ” と身が軽くなったような気分になりました。
帰宅後の落ち着いた時間に、家族にこのことを話してみました。特に言葉は無かったと思いますが、ただ静かに聴いていてくれたようでした。
私の心の内は、スッキリした、とその日は思っていました。
診断を受けて変化した内面
私は、一体いつから病気・障害だったのだろうと、まだ小学校に通っていた頃を思い返しました。
ふと、思い出しました。
小学校で先生に指されたときに、言葉選びを間違って指摘されたことがありました。先生は和やかに指摘してくれたのですが、私は酷く恥ずかしい気持ちになりました。
喋れなくなって、立っている身体に力が入り過ぎて普通に立っていられなくなって椅子の背もたれに両手をついて、黙り込んで震える両腕を見ていました。
「恥ずかしがり屋さんかな?」と言って、先生は私に座るよう促しました。
不登校になった理由が、ここにもあったのだと、きちんと認識したのは初めてでした。
10歳で自律神経失調症と診断され、治療されずに不登校だった一人の子どもは、
高校時代に食事がうまく取れなくなりながらも学級委員を続け、
根性で不便を乗り越えようとして、大学時代には教育実習もやりました。
就職したブラック企業では、入社前の説明と労働環境や賃金の設定も違っていて、仕事内容はプレッシャーが掛かるものでした。
考えてみれば、消えてなくなりたいと強く思うような場面を、数えきれないくらい何度も、誰にも言えずに、どうにか過ごしてきたのでした。
いわゆる普通に、一人前に生きられない自分を、ポンコツだと思っていました。
どうやら自分を出来損ないだと思い込み過ぎていたようです。
「そりゃあ、うつ病にもなるよね」と、なんだか他人事のように思います。