考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

家族の無理解

先日、今年最後のメンタルクリニックに行って来た 小柏まき です。

 

私が治療にあたっている診断名は3つです。

反復性うつ病性障害、強迫性障害、社交不安障害です。

 

目次

 

 

通院前日 

母の申し出

通院の前日、通院の憂鬱を呟いた私に、母が突然「一緒に行ってあげようか?」と言い出しました。訊いてみても特別な理由はなく、「一度も付いて行ったことがないから」という程度でした。私は、もしかしたら付いて来てもらった方がいいのかな? と動揺しました。

過去、社交不安障害の診断を受ける前、私は自分のうつ病の根底に何かあると考えて、発達障害を疑ったこともありました。その理由の一つが、変化を好まず安定に安心を覚える傾向が強いことがあり、予定などはできるだけ前もって知っていたい性格です。通院も、日が近づくと無意識に多少のイメージトレーニングをしているのです。なので母の急な申し出には反射的に反発したくなりましたが、どの選択肢を選ぶのが本当に自分にとっていいのかを考えようとした結果、言われた通りにするのがいいのかもしれないと一旦は考えたのでした。

上手く返事ができずにいると、その場に居た父が「付いて行ってもらった方がいいんだったら、付いて行ってもらえば」と言いました。私は「付いて来てもらったことが無いから、付いて来てもらった方がいいかどうかわからない」と答えました。

考えてみれば、家族として病気・障害のことや治療法について医師に質問したいことがあっても不思議ではないし、家族の目から見た私の日常の様子を主治医に伝えるのも、恥ずかしいけど治療には役立つのかもしれず、不安は沢山あるものの付き添ってもらうべきかもしれません。

 

そんなことを考えていると、母がまた口を開きました。「もう一つの病気のことは先生に話してあるの?」と。「……もう一つの病気って???」と私は混乱しました。訊いてみるとどうやら強迫性障害のことだとわかりました。“もう一つ” という表現の意味がちょっとわかりませんでしたが、混乱と同時に激しい嫌悪感、というか怒りの湧き上がりに自分がコントロールできなくなりました。

何がそんなに嫌なのか、何に腹を立てているのか、よくわからないことに自分自身で戸惑いながら「強迫性障害のこと? 話してあるもなにも、診断されたから障害の名前があるんでしょ」と強く言ってしまいました。

それから暫く、私は自室にこもって冷静さを取り戻そうとしました。

 

 

父との対話

その日、母は自身の掛かりつけ医に行く日で、母が家にいない間に、私は父と話す時間を設けてみました。

父の話では、私が自室で頭を冷やしている間に、母は父に「まきの障害、知ってた?」と訊いたそうです。父は「知らなかった」と答えたそうです。少なくとも数分から数十分かけて、それを何度も一応説明してきた数年の私の行動は無駄だったのだということが、話せば話すほど明らかになりました。

彼らにとっては、私が日常的に話したり、通院後に主治医に言われたことをできるだけわかりやすく工夫して説明したつもりのことは、「聞いてないから知らない」ことであり、病気の理解どころか “理解していないこと” があるということの認識も薄く、興味を持って理解しようとする姿勢は持っていないらしいのでした。

 

父は基本的に母を擁護し、「先生に訊いてみたいと思っていることもある」と言いました。私はできるだけ父の言うことを一つ一つ噛んで飲み込むように聞きました。

 

父の言う「訊いてみたいこと」というのは、うつ病の磁気治療についてでした。話によると以前、母が、父方の伯母からうつ病の磁気治療についての冊子を渡されたことがあったそうです。伯母は元々健康食品などが好きで、そういった何かの集まり(?)のときに貰った冊子を見て、うつ病の比較的新しい治療法を姪である私が受けてはどうかと思ったそうです。母は、その冊子をそのまま父に渡したそうです。そして、父は「まきは必要な治療は受けているから」と冊子を伯母に返したのだそうです。父の話によると、それが去年のことなのだそうで……父は「磁気治療についてどうなのかを主治医に訊いてみたい」というのでした。

まず、伯母が冊子を見て私の病気の心配をしてくれたことも、それを両親が受け取ったり返したりしていたことも、私はこのとき初めて聞きました。

磁気治療が難治性うつ病に効果があるらしいことも、副作用が少ない治療法であることも、テレビ番組を見て知っていました。私自身が磁気治療を受けようと思わなかったのは、磁気治療器は都会に行かなければ無いだろうと想像していたからです。その根拠は、主治医から選択肢として提示されていないことでした。近くに磁気治療をやっている病院があって、手軽に受けてみることができるなら、進んで紹介しないにしても選択肢として存在することを教えてくれているだろうと、思っていました。

 

次に父が「わからない」と言ったのが、『社交不安障害』でした。

4月に診断を受けてから、私なりには説明したつもりでした。父の “わからない” ポイントは、「社交不安障害で、手を何度も洗ったりするっていうのがわからない」というのと、「『障害』と『病気』の違いがわからない」というのでした。

私は、手を何度も洗うのは『強迫性障害』で、それは一昨年まで通っていた前の病院で既に診断されていたことを話しました。

それから、『障害』と『病気』の違いは翻訳の仕方の問題で、日本語の話になることを説明しました。『障害』は先天性のものを含め治らないという前提がなんとなくあり、対して『病気』は治療を施す対象のものを指す前提がなんとなくあり、しかしこれらの前提はあくまでなんとなくなので、ある精神科医が「治るものではない」と言う『双極性障害』も『双極症』と言い換えられようとしている、と話しました。

 

そして父は、「障害者手帳を取ってみたら?」と提案してきました。

自立支援医療の診断書が必要な年の更新時以外の時期に、障害者手帳の申請をするとなると、その分の診断書代が掛かることを伝えると、「それでもいいじゃない」と支払ってくれるようなので、「確かに、手帳があったほうがお母さんみたいな人にはわかりやすいかもね」と納得しました。

 

このとき既に私は頭にきていました。いや、結構前からイラついていたのを我慢した方だと思います。

私の感覚では、疑問に思っていることを直接訊きもせずに裏でヒソヒソ言っている人の考えが理解できません。伯母から貰った冊子の話も、どうして私には隠していたのかわかりませんし、障害について疑問があるのにそのままにして私に質問してくれない理由もわかりません。

磁気治療について主治医に訊いてみたいなら、その旨を私に話してくれれば診察時に訊くチャンスは幾らでもあったと思います。訊いてみることもしないで「訊いてみたいと思ってる」と言われると、被害妄想的に受け取れば、「田舎の医者(私の主治医)に訊いても大した知識も無くて収穫が無いだろう」と主治医を侮辱されているように感じました。

 

 

通院日

前日の午後にたまたま体調を崩した母は、「付いて行ってあげようか?」の発言についてどうするとも言って来ず、いつものように私は一人で通院しました。

一人の方が正直気楽だったので、具合が悪いのは気の毒ながら私は少し安心しました。

 

主治医に会うにあたって、何をどう話していいものか、頭の中がぐちゃぐちゃでした。どうにか言いたいことを言おうと、メモを書くことにしました。

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主治医の言葉

まず正直に、親が突然付き添いを申し出て戸惑ったことを話しました。

親が通院に付き添うのは、「その方が安心してもらえるかもしれないから、親御さんの体調と通院日が合えば来てもらってもいいよ」と。

親心を気遣って言葉を選びながら誠意を持って応対してくれる主治医を見て、きっと今までにも家族の理解が得られない患者さんの相手を沢山してきたであろうことに、やっと思い至りました。患者の家族や周囲の人に病気・障害を理解してもらうために話しをすることは、医師の仕事の一つなのかもしれません。

主治医のプロらしい物言いに、私は、親が来ても来なくてもどちらでも安心だと思えました。

 

『反復性うつ病性障害』『社交不安障害』『強迫性障害』で障害者手帳は取れるのか? について。

現在住んでいる自治体で手帳を取るなら、反復性うつ病性障害で3級だろう。障害者雇用枠で働くことを希望していない今の段階では3級だとメリットが少ない、ということでした。

しかしながら、家族の理解を得るためなら手帳取得よりも直接お話しした方が効果的ではないか、とのことでした。

 

磁気治療について。

うつ病の磁気治療を受けるには遠征の必要あり、同じクリニックに通う患者さんの中にも数十万円の旅費と治療費を掛けて磁気治療を受けている方がいるそうです。

主治医が磁気治療をしている医師に話を聞いた限りでは、アメリカでは磁気治療器が2社から発売されていて、効き目が強い方のメーカーの機械は日本にまだ入って来ていないそうです。なので、どうせお金と労力を掛けるなら、効き目が強いメーカーの機械が日本に入って来てからでもいいのではないかと思うとのことでした。

私自身が磁気治療を強く希望しているわけではないので、見送ることにしました。

 

 

気持ちの整理

やはり、私の主治医は質問すれば色々と教えてくれる先生でした。訊いてみたいことは、さっさと訊いてみればよかったのです。

 

母に「もう一つの病気のことは先生に話してあるの?」と言われて、混乱して激しく嫌悪を抱いた私の中には、大きく分けて3つの気持ちが渦巻いていたのでしょう。

①なりたくもない病気の治療を自分なりに精一杯やっているのに、まるでやる気が無いように思われていることが心外だという気持ち。

②診断されてもいないのに障害の名乗っているかのような言い掛かりを感じたこと。

③それから、そこに母自身が関わることで治療が大きく進むような口の挟み方なのに、付き添いの理由を尋ねると内容が無いことでした。

きっと母は、本当に軽い気持ちだったのでしょう。私がどういう気持ちになって語気を荒げたのか想像がつかず、急に怒り出したと得体のしれないモノのように思っていたかもかもしれません。

 

 

通院後の帰宅

毎度クリニックから帰ると、診察時の話などの変わったことや薬の処方などの変わらないことを、そのときに応じて家族に話しています。

今回はどういうテンションでどう話していいか、少し悩みました。結局、診察室での会話の内容のほとんどを、できるだけニュアンスを変えないように話しました。

それから、前日の母の発言で私が嫌な気持ちになったこととその理由を説明しました。

もちろん、私が「まるで治療する気が無いみたいに受け取れて嫌だったんだよ」と言えば、「治療する気が無いなんて思ってないよ」と反射的に言葉を返されました。逆の立場の設定で例え話をして、「想像してみてよ」と言うと、納得したような返事をしてくれました。

「私は何回も説明してるのに、忘れられて “知らない” って言われる。説明するのって大変なんだよ、時間も気力も必要なんだから。忘れることはコントロールできる範囲じゃないから仕方ないけど、忘れてることがあることは知ってよ」などと、意味があるような無いようなことを言ったりしました。

母は、「全然わかってあげられてなかったんだなって思う」と言っていました。

 

 

私はこうして確かめているのでしょう。家族の理解が得られる日なんて来ないことを。

たぶんもう、数日経った今では、私が何についてどう話したかは忘れられているかもしれません。もしかしたら、話をしたこと自体も忘れられてしまっているかもしれません。

「わかってあげられてなかった」という気持ちだけでも、ぼんやりとでも持っていてくれたらいいな、という思いが私自身の弱さなのだと思います。