振り子は、一方に大きく振れた後、逆方向にまた大きく振れ、そのあとは振れ幅を小さくしながら落ち着くべき位置を探っていく。そういうものだと、思っています。
これは、「詰め込み教育」と「ゆとり教育」の繰り返しなどに言えることです。
双極性障害(躁鬱)*1に似た性質を持つ反復性うつ病性障害、または、うつ病の快復に向かうアクセルの踏み方などに適用できる考え方でもあると思います。
なぜこのことを書くかといえば、前回の記事で「精神科」や「心の病」という名称と表現について考えていたからです。
前回の記事は、ご自身のブログで紹介したいとコメントくださった方が、私とはまた違った視点を持ってご紹介くださいました。
nemoさんの記事がこちら↓
興味深く拝読しました。こうやって、できるだけ多くの人と一緒に考えていけたらいいなと思います。
ちなみに前回の記事はこちら↓
言い換えられた死語を考えてみる
「認知症」を昔は【痴呆症】と言っていた時代もあります。これは、今ではすっかり名称が置き換えられた例ですね。
「不登校」も昔は【登校拒否】と言われていて、「不登校」が進出単語だった時期には、テレビ番組のコメンテーターが「不登校って聞くと不安でしょう? でもただのズル休みなんですよ」というような発言をして、番組のコーナーの終わりに別の出演者がお詫びと訂正をしていたなんてこともありました。今だったら発言後すぐに訂正されて当たり前だという認識に変わったと思います。
「神経症」は昔は【ノイローゼ】と呼ばれていました。そして現在の「強迫性障害」は以前は【強迫神経症】と、「不安障害」は【不安神経症】と呼ばれていたそうです。こうして「〇〇神経症」は「〇〇性障害」に名前を変えたそうのだです。
ここで個人的に厄介だと感じる点は、精神科医の中でも以前の名称を診断名として診断書に書く先生がいるというところです。
「社交不安障害」が【社会不安障害】と診断される人もいることから、SNSで同じ障害に悩む人と情報交換したいと思っても、検索する言葉が違ってしまうせいで見つけづらく、誰にも共感・理解されない という孤独感を強める方向に作用しているのです。
2008年に日本精神神経学会は、「社会」から「社交」へと訳語を変更した[3]。以前のDSM-IVでは社会恐怖と社会不安障害の併記、それ以前のDSM-IIIでは社会恐怖である[3]。対人恐怖の概念と似ているとする意見がある[3]。
【狐憑き】と昔いわれていた状態は、催眠状態だという説もありますが、当時は理解の範疇を超えている人を奇妙だと捉えた表現だったことでしょう。
【キチ〇イ】という表現も、今となっては差別的で前時代的ですが、自分を一般的と捉えている人が“自分とは違う人”をわかりやすく安直に括ったものだったことでしょう。
「気が違う」という意味からきているとすれば、「気」は「心」や「精神」と似た概念だなと思います。
【アスペルガー症候群】は今では「自閉症スペクトラム障害」と言い換えられているために、古い診断名ですが、一般にどこまで馴染んでいるのかはよくわかりません。
「双極性障害」と言っても伝わらないことが多いので【躁うつ病】や【躁鬱】と敢えて言うことがあります。
「熱中症」は、【日射病】と呼ばれていたときに、日光に当たっていない場所でもかかることから【熱射病】と言い換えられたことがありました。より適切な言葉に変化していった例ですが、毎年暑い時期になるたびにテレビやその他のメディアでも注意喚起されて話題に上りやすいので、聞く回数が多く新しい名前が定着しやすいのでしょう。
そして考えること
『心の風邪』というキャッチフレーズが精神疾患は気持ちの・心の問題だという方向に振った振り子は、精神疾患は脳の機能障害だからと投薬一辺倒で精神療法を軽視した方向に、既に振れ始めているようです。
こう考えてみると、精神疾患は気の持ちようだという誤解は、少々時代にそぐわない感じを受けます。これは日常生活で精神疾患を理解する必要に迫られる機会の少なさの表れでもあるのでしょう。
ですが、精神疾患が精神疾患であること自体が議論される機会を少なくし、理解も言葉の言い換えも進みづらい性質を持っているとも思います。それは、患者自身に思考力・気力・行動力の低下が症状としてあるから、ではないかと思うのです。
逆に振れ始めた振り子は、ある程度のところまで振れてしまわないと、再び逆方向に振れ出しません。しかし、早く的確で適切な場所に移動させようとして振り子を加速させてしまっては、道のりは長くなって安定は遠ざかってしまいます。
名称の最適化、言葉や概念が定着する文化の発展、これらを今からしていきたいのですが気長にできたらいいなと思っています。