考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫体験】女の、考えの調理場。

【暗】社交不安障害の人生をどうやって生きればいいのか

社交不安障害と診断されて、3ヵ月が過ぎた今日この頃。

気持ちの整理がつかないままの 小柏まき です。

 


診断されたらスッキリするんじゃないかと考えていたのですが、実際に診断されてみると腑に落ちる部分はあったものの、自分が “幼い頃から障害を抱えて生きてきたんだな” という実感がだんだんと湧いてきて、気分が落ち込んでいきました。

 

 

 

私は小学校4年生の頃から学校にいけなくなり、それから中学校を卒業するまで不登校でした。

それは自分に学校があっていないんだ、学校の教育があっていないんじゃないか、それを自分で判断して学校に行かないことを選んでいる、自分で選択してきた選んで決めてきたと思っていました。

 


しかし障害だと診断されたことで、当時の自律神経失調症の原因は社交不安障害による過度のストレスだったと考えることができます。

 

 


自分に合った選択肢を選んで歩んできた人生だから、自分の人生に責任を持ちたいと、ずっと思ってきました。

 


でも、本当は他に選択肢があるなら選びたくなかった、別の選択肢を選びたかったのに選ぶ余地がなかった、自分には選択肢が与えられていなかった、ということに気がついたのです。自分が好きで選んできた人生だから自分で責任を持てると思っていたのが、好きで選んでいるわけではなかったようです。

 

 

 

労働に見合わない報酬だったとき、その労働自体にやりがいがあると思い込むという心理があります。その労働自体にやりがいがある・楽しみがある、という風に自分に言い聞かせないと、それをする自分が受け入れられないからだそうです。

 


私は、元気な体があれば、自分に力があって普通のことが普通にできたなら、きっと学校に行っていた。たぶん学校が好きなタイプだったことでしょう。

そのことに気がついたときに、そうやって障害が原因で避けてきた選択肢、選べなかった人生が “本当に送りたい人生” だったんじゃないかと思って、「私は障害のせいでやりたいことができていなかったんだ」「障害が無い人が羨ましい」「普通に学校に行けてた人が羨ましいな」と思ってしまったのです。

 

 

 

大学生の頃に、ショーのステージに立つ機会が与えられたことがありました。

私は、人前に立つことが怖くて仕方なくて、それでも人前に立ちたくない理由がよくわからなくて、結局ショーのステージには立たずに、裏方としてそのイベントに参加する方法を特例的に取らせてもらいました。

 

 

 

もし〇〇だったら、もし〇〇でなかったら、そんなことは実際には存在しないと言うことはよくわかっているつもりです。でも自由に生きてこられなかったんだと身に染みて感じたときに、どうしても「もし障害を持っていなかったら……」というのを考えてしまうのです。

 

 

重いうつ病を繰り返す『反復性うつ病性障害』の根底にあったもののひとつは、社交不安障害でした。

 

 

そしてこれから先も、この極度の緊張や恐怖と付き合って生きていくしかないのだと思うと、原因がわかっても苦しみを取り除くことはできないのだという現実に、じんわりと身体の何割かが沼地に沈んでいるような絶望感を覚えます。