「心の病気」「こころの病」「ココロの風邪」
これら、うつ病やその他の精神疾患を指す言葉として使われる表現に、違和感があるのは、今に始まったことではありませんでした。
心は身体のどこに在って、精神はどこに在るのでしょうか?
目次
ほせがわらさん とのTwitterやり取り
先日のことです。
たまたま目にしたツイートに共感したので、引用リツイートさせていただきました。
元のツイートをした方が、賛同の言葉で引用リツイートしてくださいました。この ほせがわらさん とはここで相互にフォローしたのですが、YouTubeで活動している うつぺんぎんさん の中の人なのだそうです。
調子に乗って、思い付きをまた引用リツイートするも、実際にどんな行動を取れば、言葉を変えて誤解を減らす働きかけができるのかわかりません。
気になることのポイント
- 「心の病」など、心という言葉で表現されることで、気の持ちよう・自分の意思で患い、またそれらで克服できるような、軽い印象を与えること。
- 「精神科」「精神疾患」という言葉も、「心」と同様の印象を与えたり、更にはスピリチュアルと関連付けられたりすること。
- 身体の治療をするための病院・クリニックにお世話になりながら、身体のどこを治療するのかが不明確であるために、<よくわからない>という恐怖やレッテルの対象になること。
- 脳の機能の疾患であることを強調すると、脳神経外科の分野だという誤解を招くこと。
「心の風邪」の始まりと効果
そもそも、うつ病を「心の風邪」という言葉で表したのは、製薬会社が抗うつ薬を売るためだったそうです。
昔は、精神疾患は日常的に馴染みのあるものと認識されておらず、眉をひそめて距離を置くような反応が一般的で、近親者に精神疾患者が居たりすれば恥のように隠す風潮があったと想像できます。この想像が容易なのは、残念ながら現在でもそういった反応をする人を見聞きしたことがあるからです。
「心の風邪」という言葉が、“抗うつ薬を売るため” に作られたキャッチコピーだと知ると、お金儲けのためのような感じがして反射的に嫌悪感を抱いてしまいそうですが、悪いこととも限りません。
精神疾患に強い偏見がある時代に、精神科を受診するハードルを下げる役割を果たしたのだと思います。
強い偏見のあることを身近に感じることに変えるほどのインパクトのある言葉は、病院で診断を受けるハードルを下げる働きと共に、大きな副作用をもたらしました。
それが、「うつ病は心の病だ」「精神疾患は心の病気だ」だから「心の持ちようでどうにかなるものだ」という、病気の実態や治療法とはかけ離れた解釈ができてしまって生まれた誤解なのでしょう。
専門家に質問
「精神科」「精神疾患」という名称にも、同じく違和感を抱いていたことから出た思い付きではありましたが、「精神科」を例えば『脳内科』と変えてほしいという私の意見を、誰か詳しい人にどう思うか訊いてみようと思いました。
そこで、相互フォローしている精神科院長でうつ病経験者の 岡本浩之先生 に、リプライという形で投げかけてみました。
岡本先生ご自身でも、名称の不適切さについては既に考えていらっしゃるようでした。
そしてどうやら、私の思い付きは浅はかだったようです。
この、岡本先生の引用リツイートの返信欄を見ると、「神経内科」が「精神科」などと間違えて受診されないように『脳神経内科』への名称変更を昨年発表したのだそうです。
神経内科との接点もなく、学会にも出席する機会もない私は知らないことでした。
もはや、「心」や「精神」を改めて定義したほうがいいのではないか、という気がしてきました……。
一人で考えていたって、いい名称が見つかるわけではありません。私には、私のうつ病の、私の場合の治療法しかわからないのです。
こういうときに、人の数だけ頭があって・過ごしている日常があって・見えている世界があるということ、そしてそれらを「自分の場合はこうだ」と伝えあうことができる文化の力が、強みになるのではないかと思います。
いい表現を思いついたら、ぜひ教えてください。