考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

報酬に見合わない労働には遣り甲斐を見出して納得する心理

今年の中旬から気分が落ち込み気味で、今もなかなか消化できないでいる要因のひとつに関わる、材料を記しておこうと思います。

 

 

 

学生時代に先生から聞いた話です。

 

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ある大学で、心理学の実験をしたそうです。

実験者の教授だか准教授だかが、学内で学生をスカウトすることから始まるものです。

 

一人で居る学生に「私の研究室でアルバイトをしないか?」と声をかけます。

承諾した学生を研究室へ連れてきて、単純で意味のない作業を、ある程度の時間やってもらいます。

バイト終了の時刻になったら、報酬を支払い、お礼を言います。

そして、同じアルバイトを他の学生にもやってほしいから、後任の学生をスカウトして来るようにと頼みます。

その後他の学生をスカウトしている学生を気づかれないように観察します。

これを、報酬額を変えて、行います。

 

すると、報酬が存分にもらえた場合、高額のアルバイト料金がもらえた場合の被験者の学生が別の学生をスカウトするときには、「このアルバイトはすごくつまらなくて無益だ。くだらないアルバイトだけれど我慢していればこれだけの報酬がもらえる。だからやったほうがいい。」というように勧誘するそうです。

 

一方、報酬が労働に見合わない金額、つまり少なすぎる報酬だった場合、被験者の学生が別の学生をスカウトするときには「このアルバイトは安全で、単純で簡単な作業にもかかわらず先生の役に立てる。しかも報酬がもらえる。オススメだよ。」というように勧誘するそうです。

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この実験は、対価に見合わない労働は 自分がやりたくてやっている やりがいがある” と思い込もうとするという心の働きを見ることができるものなのだそうです。

 

 

 

この実験の話が、私の気分の落ち込みとどう関係があるかというと、今年の4月に社交不安障害と診断されたことと繋がっています。

 

私は、考えてみれば幼い頃から、いろんなことに苦痛を感じてきました。それらは今になって振り返れば社交不安障害が原因になっていることが少なくありませんでした。

私の人生には、不登校の期間があったり、そうかと思えば宗教か何かと勘違いされるような厳しい学校で学級委員ばかりやらされていたり……双極性障害の恋人を看病していたことや、それと平行してブラック企業で会社員をしていた時期ありました。

そんな自分の人生でも、選択肢があるときにはすべて自分で決めて選んできたのだから責任を持ちたいと思っていました。こういった意識は強い方だったと自覚しています。

 

しかし、本当は選んでなんかいなかったのだと、気づいてしまったのです。私には、健全な人と同じ数の選択肢はありませんでした。自ら選択したと、思い込んできたのでした。この思い込みの元になっているのが、【報酬に見合わない労働には遣り甲斐を見出す】という心の働きでした。そう思い込まなければ、やってこられなかったのでしょう。

 

気がつかなければそのままにしていられたものを、気がついてしまったが故に、今後どういうスタンスで人生に立ち向かえばいいかわからなくなってしまいました。

うつ病の治療という観点から言えば、「立ち向かう」という意気込み自体が相応しくないかもしれません。

これはもう、このまま、一生どうにか付き合っていく課題なのかもしれません。

LINEカスタムスタンプを自作しました

おもしろバグとリジェクト初体験に見舞われた 小柏まき です。

 

8月に作ったLINEスタンプの続編を作りたいと思って、絵をコツコツと描いていました。

そんな時、LINEクリエイターズマーケットで『カスタムスタンプ コンテスト』の告知を見ました。今までは一般のユーザーが作ることができなかったカスタムスタンプが誰でも作れるようになるのを記念したイベントのようで、グランプリなどの上位の賞以外にも「参加賞」が設けられていて、抽選でLINE payが当たるらしいことに惹かれ参加することにしました。

動機は他にも、純粋に「カスタムスタンプを作れたら自分で使えて楽しいだろうな」と思ったり、期限を決めて取り組むのには企画に参加するというのはもってこいなことだったりしました。

 

なんだかんだで時間がかかってしまい、コンテスト締め切り日にやっと申請できました。

締め切りの日には、申請前にこんな画面に遭いました。設定などを触った覚えがなく、一度閉じて入り直したら戻っていたのでバグだったようです。

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……何語でしょう? アラビア語でしょうか?

 

翌日の午後、LINEクリエイターズマーケットから連絡がきました。

「申請中のスタンプはリジェクトされました」とのことでした。

 

リジェクトとは、審査に通らない差し戻しのことです。前回のスタンプでは一発で審査を通過したので、リジェクトは初めてでした。

また、その連絡をもらった時点でコンテストの締め切りは過ぎていたので、コンテストに参加するという目的は果たせませんでした。

 

リジェクトの理由は、タグ設定だったそうです。

タグは、スタンプ1つにつき3つまで設定できるもので、決められた様々な言葉から適当なものを選択します。

 

LINEのトーク上で文字入力しているときに、入力中の言葉がタグに設定されているスタンプを、候補として表示してくれるというものです。

例えば、泣いている絵には「泣く」「悲しい」などのタグを付けておけば、「なく」「かなしい」と文字入力しているときにスタンプが表示され、そのまま選んでスタンプを送信できるので、実際に使うときに便利です。

しかしこのタグ付け、スタンプ作りの中ではとても面倒な作業工程です。まずタグを検索することができないこと、それからタグが あいうえお順 などに表示されていないことから、付けたいタグが存在するかどうかをしらみ潰しに見て探して選ぶしかないという、個人的には少しイライラしたり滅入ったりしながらしていた作業でした。

タグ付けは必須ではなく、あると便利な程度のものです。

 

今回のケースでいえば、タグを付けずに申請すれば、手間は省けて審査は通ったということになります。

しかしこれは結果論なので、もっとも好ましい方法は、期限ギリギリにやらずに時間(日数)に余裕を持つことでしょう。

 

タグが理由でリジェクトされたことはわかっても、どのタグが絵と合っていないと判断されたのかは教えてくれません。言ってしまえば、明確な判断基準があるのかどうかも不明です。

どちらにせよ、もう期限は無くなったので、「これは余分だったかな?」と目星を付けてタグを削除して、すぐに申請し直しました。

 

カスタムスタンプが作れるようになったばかりだからか、申請してから審査結果の連絡が来るまで数日かかりました。

こうして、【タグが原因でリジェクト】→【余分だと思われるタグを削除して再申請】を2回ほど繰り返し、「スタンプの審査が完了し、承認されました。」と連絡をもらえたのが11月24日でした。

最初に申請したのが今月15日。前回のスタンプが申請翌日に承認されたことを思い連絡が来ない日を長く感じましたが、考えてみればカスタムスタンプを一般のユーザーが作れるようになって申請した人が多い時期であっただろうことや、コンテストが開催され抽選なども行われていたことから、きっと審査してくれる方は忙しかったことでしょう。

 

 

というわけで本日11月25日、晴れて販売し始めました。

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[生首彼女(カスタム)]

https://line.me/S/sticker/9938979?lang=ja&ref=lsh_stickerDetail

 

『生首彼女(カスタム)』です。

任意設定した最大5文字をスタンプ内に表示させることができます。

名義は前回同様、やみノ巻 です。

なかなか実用性が低い上に、カスタムスタンプの設定できる価格が250円(100LINEコイン)ということで、割高感が否めません。

 

次回、LINEスタンプを作るときには、カスタムではなく普通のを16個以上で作りたいです。

 

 

前回のLINEスタンプはこちらの記事から↓

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 

公民館展示会で押し花体験

11月といえば、文化祭シーズンですね。

昨日は母と一緒に公民館の展示会を見に行ってきた 小柏まき です。

 

本当は土曜日に行く約束をしていたのですが、体調が優れないので予定を順延しました。

 

目当ては家族の出品作でしたが、こぢんまりした会場とはいえ、他の作品も興味深く見て楽しめました。

或るサークルの絵を見ているときに、主催側の女性が声を掛けてきました。「ここにある絵は三原色で描かれてるの」と。絵の具の三原色シアン・マゼンタ・イエローを混ぜることで全ての色を作っているということらしく、そう思って改めて見てみると微妙な色の変化を出していく作業風景が想像されて、尚更興味が湧きました。「三原色っていうのは赤と青と……」と言われて「黄色ですよね」と口を挟んでしまいましたが、これは小学校でも習った記憶があるのでいいだろうと思うことにしました。

自分がこういうときに声を掛けられやすいタイプであることを、少し嬉しく思えるくらいの体調の良さがありました。

 

一通り見終えて、「座りたい」と言う母の言葉に「帰ろうか」と応えつつ、出入り口付近まで行くと押し花の体験コーナーがあり、椅子が幾つか空いているのが目に入りました。

机の上には紙皿に乗った何種類もの押し花が用意されていて、その向こう側では、先程声を掛けてきた女性が栞作りの体験の呼び込みをしていました。

 

私は個人的に、押し花に憧れがありました。しかしながら生花を押し花にするには、花を育てるかあるいは自分の家の敷地内の花を摘んで作る必要があります。これが実際にはなかなか難しいところなのです。

主に厄介なのは、私がうつ病で外出が大変なことと、強迫性障害の不潔恐怖で洗ったり除菌したりできない物を外から持って帰ることに強い不安を感じることです。

社交不安障害の対人恐怖があるので、サークルには入りづらいですが、すぐに終わる体験はたまたま大丈夫な気がする体調だったので、「やってく? 椅子あるよ」と母に言ってみると「じゃあ」と付き合ってくれました。

 

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押し花などを封入するための栞キットが販売されているようで、栞サイズの厚紙に両面テープが装備されていて、その上に薄い和紙を被せれば出来上がりといったアイテムを使っていました。

押し花や押し葉っぱ(?)を好みのデザインになるように配置していくのに、両面テープを使うときに剥がすツルツルした紙に、材料を置いてみてバランスを決めていきました。

全部の配置が決まったら両面テープののり部分に貼っていきます。これらの作業をするのに、先がカモノハシのくちばしのような形をしたピンセットを使っていたのですが、使いやすくて感心してしまいました。切手収集などにも使う、掴んでいるものを傷めないものです。これが押し花をそっと押し付けて貼り付けるのに便利でした。なんとなく存在は知っているものの使ってみたのは多分初めてでした。

 

こうやって知らない人に色々訊いてなんていうことのない会話をするの、元々は好きな性格なのですが、不安でどうにかなってしまいそうなときと平気なときが自分でも予測できずに訪れるので、たまたま関われる人がいてくれるのは有り難いことです。

 

ですが、この女性、多少クセが強い感じがありました。年齢は母より少し上でしょうか。教える側なので当たり前といえばそうなのですが、少しの動きで私が誤解していると決めつけてバシッと注意してくれます。

私の心の中では、「せっかちなオバサンだなぁ」「手作りは得意だし教える資格も持ってるし色彩検定も持ってるんだけどなぁ」と苦笑いして、「でもそんな わけわかんないマウント取りたくないな」と素直にアドバイスを受け取りました。

 

ちょっと気になったのが、和紙を被せた後に、和紙の透明度を高めて押し花の色彩を際立たせるためにレジン液を塗ったことです。塗るだけ塗って、軽くティッシュオフしてそのままでした。UVライトやLEDライトや日光に当てる工程が組み込まれておらず、日常の紫外線で硬化するのを待つのかな? と疑問でした。しかしそれよりも強く疑問だったのが、レジン液を素手で扱い指で塗り込み、指をティッシュで拭いて終わりにしていたことでした。人体の健康的に大丈夫なのかな? と、小さな子どもが体験した後に食べ物と一緒に口に入れてしまう危険性は考えられていないのかな、と思いました。

地域の年配の方々が小規模でやっているサークルには、こういう知識がグレーのまま教えてしまう側面が、ままあるのだろうなと想像しました。

 

レジンを塗った後は、パンチで穴を空けて、好きな色の紐を通して結んで出来上がりでした。

紐も6色くらいある中から選べて、気に入る栞ができました。

 

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黄色い花の花びらが欠けている部分を下にして、別のピンクの花がそこを埋めるように置きました。花を置く部分と余白を残す部分を作って、メリハリを出したつもりです。

 

レジンが気になって、帰宅後しばらく日光に当てました。

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近頃ぼちぼち読書をすることがありますが、読書が楽しくなりそうです。

【断捨離】うちの捨て魔は気まぐれ【片付け】

たまには感情に任せて書いていきたいと思った 小柏まき です。

これは常々私を悩ませるモヤモヤとした恐怖です。

 

 

私の母親は、年がら年中「片付け」をしたがっている人です。

この片付けは、いつも同じモチベーションや行動力のものではありません。気まぐれなのです。そして年がら年中片付けのことを言っているのにそれに終わりがないのは、片付けと称した散らかし仕舞い込み処分だからです。だからいつまで経っても “片付いている状態” にならないのです。

 

幼少の頃、一緒に描いた絵を翌日燃えるゴミに出されたのは以前の記事でも書きました。

 

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 

 

他にも、断捨離なる言葉が流行った時期に言っていたのが、「買った本が無いんだよね」でした。数週間にわたってこのセリフを言っていたと記憶しています。

家族のみんなも見かけたら教えようと気に留めて生活して久しい頃のことです、「お前に話したっけ? 本が見つかったんだよ」と。よかったね、どこにあったの? と訊くと、居間のソファーの下なのだそうです。驚いたのは、毎日座っているソファーの下にありながら見つからなかったことよりも、その本が断捨離の本だったことでした。

 

皮肉だな、と一瞬思いましたが納得しました。こうして世の中のビジネスは成り立っている側面があるんだ、と。

 

つまり、本の内容を、本を買った人の全員が実践できてしまったら、自己啓発本も断捨離の本も新しいものは売れないということです。

買った人がこうしてソファーの下に大事に収納しているから、その本は古本屋に売られることもない。更には買った当人はその本をまだ読んでいない、よってこの人は……新たに別の断捨離に関する本を買う可能性があるのです。なんなら今までに断捨離に関する本を買ったことが無い人の平均値よりも断捨離本を買う確率が高い、なぜなら彼女は断捨離もとい整理整頓ができない人だからです。

行動や概念にキャッチ―な名称を付けることの効果を、こうして教えてもらったわけです。

 

その後あの本を彼女が読んだかどうかは私の知るところではありませんが、執拗に片付けたがったり仕舞い失くした物を探していたりする日常を送っています。

 

私は、二度と取り返せないモノが捨てられてしまう恐怖を、日々抱えています。

 

なぜ今この話を書いているかというと、昨夜無くて捨てられたと思っていた、お風呂場用の洗顔の泡立てネットが今日、洗濯機横の洗濯ネット入れから発見されたからでした。

適切な状態や表現に近づく過程

振り子は、一方に大きく振れた後、逆方向にまた大きく振れ、そのあとは振れ幅を小さくしながら落ち着くべき位置を探っていく。そういうものだと、思っています。

 

これは、「詰め込み教育」と「ゆとり教育」の繰り返しなどに言えることです。

双極性障害(躁鬱)*1に似た性質を持つ反復性うつ病性障害、または、うつ病の快復に向かうアクセルの踏み方などに適用できる考え方でもあると思います。

 

 

なぜこのことを書くかといえば、前回の記事で「精神科」「心の病」という名称と表現について考えていたからです。

前回の記事は、ご自身のブログで紹介したいとコメントくださった方が、私とはまた違った視点を持ってご紹介くださいました。

 

nemoさんの記事がこちら↓

nemonemo.hatenablog.jp

興味深く拝読しました。こうやって、できるだけ多くの人と一緒に考えていけたらいいなと思います。

 

ちなみに前回の記事はこちら↓

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 

 

 

言い換えられた死語を考えてみる 

認知症」を昔は【痴呆症】と言っていた時代もあります。これは、今ではすっかり名称が置き換えられた例ですね。

 

不登校」も昔は【登校拒否】と言われていて、「不登校」が進出単語だった時期には、テレビ番組のコメンテーターが「不登校って聞くと不安でしょう? でもただのズル休みなんですよ」というような発言をして、番組のコーナーの終わりに別の出演者がお詫びと訂正をしていたなんてこともありました。今だったら発言後すぐに訂正されて当たり前だという認識に変わったと思います。

 

神経症」は昔は【ノイローゼ】と呼ばれていました。そして現在の「強迫性障害」は以前は【強迫神経症】と、「不安障害」は【不安神経症】と呼ばれていたそうです。こうして「〇〇神経症」は「〇〇性障害」に名前を変えたそうのだです。

ここで個人的に厄介だと感じる点は、精神科医の中でも以前の名称を診断名として診断書に書く先生がいるというところです。

「社交不安障害」が【社会不安障害】と診断される人もいることから、SNSで同じ障害に悩む人と情報交換したいと思っても、検索する言葉が違ってしまうせいで見つけづらく、誰にも共感・理解されない という孤独感を強める方向に作用しているのです。

社交不安障害 - Wikipedia

2008年日本精神神経学会は、「社会」から「社交」へと訳語を変更した[3]。以前のDSM-IVでは社会恐怖社会不安障害の併記、それ以前のDSM-IIIでは社会恐怖である[3]対人恐怖の概念と似ているとする意見がある[3]

 

狐憑き】と昔いわれていた状態は、催眠状態だという説もありますが、当時は理解の範疇を超えている人を奇妙だと捉えた表現だったことでしょう。

 

【キチ〇イ】という表現も、今となっては差別的で前時代的ですが、自分を一般的と捉えている人が“自分とは違う人”をわかりやすく安直に括ったものだったことでしょう。

「気が違う」という意味からきているとすれば、「気」は「心」や「精神」と似た概念だなと思います。

 

アスペルガー症候群】は今では「自閉症スペクトラム障害」と言い換えられているために、古い診断名ですが、一般にどこまで馴染んでいるのかはよくわかりません。

 

双極性障害」と言っても伝わらないことが多いので【躁うつ病】や【躁鬱】と敢えて言うことがあります。

 

熱中症」は、【日射病】と呼ばれていたときに、日光に当たっていない場所でもかかることから【熱射病】と言い換えられたことがありました。より適切な言葉に変化していった例ですが、毎年暑い時期になるたびにテレビやその他のメディアでも注意喚起されて話題に上りやすいので、聞く回数が多く新しい名前が定着しやすいのでしょう。

 

 

そして考えること

心の風邪』というキャッチフレーズが精神疾患は気持ちの・心の問題だという方向に振った振り子は、精神疾患脳の機能障害だからと投薬一辺倒で精神療法を軽視した方向に、既に振れ始めているようです。

 

こう考えてみると、精神疾患は気の持ちようだという誤解は、少々時代にそぐわない感じを受けます。これは日常生活で精神疾患を理解する必要に迫られる機会の少なさの表れでもあるのでしょう。

ですが、精神疾患精神疾患であること自体が議論される機会を少なくし、理解も言葉の言い換えも進みづらい性質を持っているとも思います。それは、患者自身に思考力・気力・行動力の低下が症状としてあるから、ではないかと思うのです。

 

逆に振れ始めた振り子は、ある程度のところまで振れてしまわないと、再び逆方向に振れ出しません。しかし、早く的確で適切な場所に移動させようとして振り子を加速させてしまっては、道のりは長くなって安定は遠ざかってしまいます。

名称の最適化、言葉や概念が定着する文化の発展、これらを今からしていきたいのですが気長にできたらいいなと思っています。

*1:現在「双極性障害」という診断名が用いられるものの【躁鬱】だと伝わりづらいため

「心の病」は“精神科”でドコを治療するのか?誤解されやすさをなくしたい

うつ病・社交不安障害・強迫性障害の 小柏まき です。

「心の病気」「こころの病」「ココロの風邪」

これら、うつ病やその他の精神疾患を指す言葉として使われる表現に、違和感があるのは、今に始まったことではありませんでした。

心は身体のどこに在って、精神はどこに在るのでしょうか?

 

目次

 

 

ほせがわらさん とのTwitterやり取り

先日のことです。 

たまたま目にしたツイートに共感したので、引用リツイートさせていただきました。


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元のツイートをした方が、賛同の言葉で引用リツイートしてくださいました。この ほせがわらさん とはここで相互にフォローしたのですが、YouTubeで活動している うつぺんぎんさん の中の人なのだそうです。 

調子に乗って、思い付きをまた引用リツイートするも、実際にどんな行動を取れば、言葉を変えて誤解を減らす働きかけができるのかわかりません。


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気になることのポイント

  • 「心の病」など、心という言葉で表現されることで、気の持ちよう・自分の意思で患い、またそれらで克服できるような、軽い印象を与えること。
  • 「精神科」「精神疾患」という言葉も、「心」と同様の印象を与えたり、更にはスピリチュアルと関連付けられたりすること。
  • 身体の治療をするための病院・クリニックにお世話になりながら、身体のどこを治療するのかが不明確であるために、<よくわからない>という恐怖やレッテルの対象になること。
  • 脳の機能の疾患であることを強調すると、脳神経外科の分野だという誤解を招くこと。

 

 

心の風邪」の始まりと効果

そもそも、うつ病を「心の風邪」という言葉で表したのは、製薬会社が抗うつ薬を売るためだったそうです。

 

昔は、精神疾患は日常的に馴染みのあるものと認識されておらず、眉をひそめて距離を置くような反応が一般的で、近親者に精神疾患者が居たりすれば恥のように隠す風潮があったと想像できます。この想像が容易なのは、残念ながら現在でもそういった反応をする人を見聞きしたことがあるからです。

 

 

心の風邪」という言葉が、“抗うつ薬を売るため” に作られたキャッチコピーだと知ると、お金儲けのためのような感じがして反射的に嫌悪感を抱いてしまいそうですが、悪いこととも限りません。

精神疾患に強い偏見がある時代に、精神科を受診するハードルを下げる役割を果たしたのだと思います。

 

強い偏見のあることを身近に感じることに変えるほどのインパクトのある言葉は、病院で診断を受けるハードルを下げる働きと共に、大きな副作用をもたらしました。

それが、「うつ病は心の病だ」「精神疾患は心の病気だ」だから「心の持ちようでどうにかなるものだ」という、病気の実態や治療法とはかけ離れた解釈ができてしまって生まれた誤解なのでしょう。

 

 

専門家に質問

「精神科」「精神疾患」という名称にも、同じく違和感を抱いていたことから出た思い付きではありましたが、「精神科」を例えば『脳内科』と変えてほしいという私の意見を、誰か詳しい人にどう思うか訊いてみようと思いました。

 

そこで、相互フォローしている精神科院長でうつ病経験者の 岡本浩之先生 に、リプライという形で投げかけてみました。


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岡本先生ご自身でも、名称の不適切さについては既に考えていらっしゃるようでした。

そしてどうやら、私の思い付きは浅はかだったようです。


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この、岡本先生の引用リツイートの返信欄を見ると、神経内科」が「精神科」などと間違えて受診されないように『脳神経内科』への名称変更を昨年発表したのだそうです。
神経内科との接点もなく、学会にも出席する機会もない私は知らないことでした。

 

もはや、「心」や「精神」を改めて定義したほうがいいのではないか、という気がしてきました……。

 

一人で考えていたって、いい名称が見つかるわけではありません。私には、私のうつ病の、私の場合の治療法しかわからないのです。

こういうときに、人の数だけ頭があって・過ごしている日常があって・見えている世界があるということ、そしてそれらを「自分の場合はこうだ」と伝えあうことができる文化の力が、強みになるのではないかと思います。

 

いい表現を思いついたら、ぜひ教えてください。

絵のモデルは誰でしょう?⑥

かろうじて月に一度は更新していた企画も、今回で最後にしようと思います。

描き続けていれば少しずつでも上手くなるかな? と、描いていた物ですが、描きたい絵が他に出てきたので、このチャレンジは一旦ここまでで納得することにしました。

 

正直なところ、今の自分の力ではこの辺までしか描けないというのがなんとなく掴めて、腕を上げるためにはちゃんとやらなくてはいけないことを確認しました。

 

自分がなんのために絵を描きたいかで、やることは変わってくると思います。

 

 

 

この絵のモデルは誰でしょう?


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下の【】に白い文字で答えがあります。

 

 

 

答え

長澤まさみ

 

 

当たった人が居てくれたら、嬉しいです。