考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

ミニマリストにも薦めたい『ほしい物リスト』

Amazonほしい物リストを作った翌日に何かが届いた 小柏まき です。

 

気候の影響で鬱傾向が強いのかわかりませんが、うつ病の症状である希死念慮をどうやり過ごすか考えて、なんとなくAmazonを見ていました。

……いや、「なんとなく」というのは、嘘です。本当は、自殺に使う道具を品定めしていました。

いろんな商品を見ているうちに、「こんなのも売ってるんだ」と物欲を刺激され、希死念慮が薄らいでいき、欲しい物を手に入れたらどう使うかなどを想像できるまでになりました。

 

 

ほしい物リスト』というのを、Twitterなどで見かけることは以前からありました。

イメージとしては、なんとなく買いそびれている物を入れておくことでその人がどんな人なのかが少しわかったり、面白い物をチョイスして話のネタに使ったり、というものでした。ただ、あまりいいイメージがなかったのは、ほしい物リストを共有することにより「乞食乙」などという言葉をかけられている人を見たせいでしょう。

 

目次

 

ほしい物リストとは

Amazonで売っている欲しい物を幾つかピックアップして作るリストです。特筆すべき点は、リスト制作者とは別の人が、そのリストからプレゼントしたい物を選んで匿名で贈ることができるところです。リスト制作者(プレゼントの受け取り人)も、住所や氏名を送り手に知られることはありません

 

SNS上で知り合った人に、本名や住所は教えたくないけど何か送りたいとき。

断捨離やミニマリストが広く定着しつつある現代日本で、確実に相手が喜ぶものを贈りたいとき。なんて便利なシステムなんだ……! と、思ったのでした。

貰って困る物をもらった時の「相手の気持ちを無下にするのも忍びないし、貰ってしまってすぐに手放すのも気が引ける。」というやるせなさや、欲しかった物と似た用途だけどしっくりこない物をプレゼントされたときの「もともと欲しかった物の方がいいけど、手元にある物で用が足りてしまうから改めて買うのももったいない」という感情から本当に欲しい物が手に入らなくなる状況を、回避することができます。

個人的には、プレゼントを贈りたいけど何がいいかわからないときに、相手がほしい物リストを作っておいてくれると贈り物を決めやすいなと思います。

 

 

というわけで、私がほしい物リスト』を作る上で気をつけたことと、個人的に解釈した注意点に注意する理由を記そうと思います。

※解釈が間違いないと保証するものではありません。正確な情報をお求めの方はAmazonにお問い合わせください。

 

 

ほしい物リスト』ここに気をつけて!

 

まずは、本名や住所を第三者に教えてしまわないための注意点です。

アカウント名を本名(□□▲▲)からハンドルネーム(■■)に変える

例:[小柏まき]→[おがまき]

Amazonで個人的に買い物をしたことがある人は、大抵の場合、アカウント名が本名になっているのではないでしょうか。

リストを見た第三者による “友達に追加” などのアクションによって、アカウント名が表示されてしまうらしいので、本名を伏せたい場合はアカウント名を変えましょう。

 

送り先の住所を新しく設定する

住所を入力する欄が2つあります。1つ目には、いつも通りの住所を入力します。

2つ目には、[□□▲▲様方]と入力します(□□▲▲=本名)。

結果的に住所は[◯◯県◯◯市…… □□▲▲様方]になります。

「様方」は「さん家の」という意味です。

例:[◯◯都◯◯区…… 小柏まき様方]

 


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これで、[◯◯県◯◯市…… □□▲▲様方 ■■様]という送り先の住所と宛名で配送されます。

例:[◯◯都◯◯区…… 小柏まき様方 おがまき様]

 

 

個人情報を秘密にするか、Amazon以外の販売元の商品を受け取れるようにするか。 

リストに入れる物はAmazonが販売している物に限る(or許可する)

Amazonに出品されている商品には、Amazon以外の販売元が出品している物が少なくありません。『ほしい物リスト』では、Amazonと利用者の間で “第三者に住所や氏名を教えない” ことを前提にしています。

Amazon以外の販売元の商品を注文した場合、Amazonは送り先の住所を販売元に教えなければならないのですが、『ほしい物リスト』からの注文するとなると “第三者に住所や氏名を教えない” 前提を覆すことになってしまいます。ですので、Amazon以外の販売元の商品を受け取るためには、【リストの設定】から【第三者の出品の商品の発送同意書】という項目にチェックを入れて、許可する手順を踏む必要があります。

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実際に誰かに贈ってもらうことを想定しない使用方法(自己紹介の延長・ネタ)の場合は、販売元を気にする必要はありません。

 

 

というところに気をつけました。住所氏名を公開せずに物やお金を動かせるシステムなだけあって、手順が間違っていると機能しないようです。

しかしながら、注文者が配送の追跡を設定すると、近くの配送所に届いたことが通知されて配送先の地域がわかる……といった情報もあるので、完璧に何もかもを非公開にしたい人には向かないようです。

 

 

あとは、欲しい商品を選んでリストに入れて、そのリストを公開あるいは限定的に公開して、リンクを共有します。

 

 

私に届いたプレゼント……送り主は

そうして出来た『ほしい物リスト』、私が試しにSNSで共有してみると、翌日にはAmazonからの段ボール箱が届きました。宛名のところには[◯◯都◯◯区…… 小柏まき様方 おがまき様]という形式の記載がされていて、送り主の名前も住所も書いてありませんでした。

狭い交友範囲の人には、贈り物を送ってくれたのかと尋ねてみましたが、どの人でもないらしく……結局いまだにどなたが送ってくれたのかわかりません……!

 

しばらくはドギマギして開封することができませんでした。中身は、たしかに私が選んだ物でした。

どなたが下さったにしても、大切に使わせていただこうと思います。

この場を借りて、ありがとうございます!

 

 

そんな私の『ほしい物リスト』はこちら↓

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/3JE0XGLA6P2CR?ref_=wl_share

【うつ病年越し】2020年の始まり

ぬるっと年越しをして、パソコンが壊れた 小柏まき です。

 
パソコンは、前触れなく起動しなくなるという壊れ方をしたので、やむなくデータ復旧に出し、データは復旧されたものの出費が嵩み、修理するのか買い替えるのか保留の日々を送っています。バックアップをこまめに取っていなかったことを反省し、一度はデータを諦めて落ち込み、閉口していました。

パソコンが使えないので、今このブログ記事もスマホから書いています。

 

 

昨年は親戚が亡くなったので喪中ということもあり、お正月を祝うことなく年末年始を過ごしました。

年末年始は、世間も休日で街の雰囲気も特別感があり、テレビ番組なども特番が多く、普段とは違った雰囲気になることから、変にハイになったりしやすい時期です。また、1年を振り返って反省したり、新年の新しい目標を立てたりして気分が上がった分、後から反動で下がるような経験をしたことがあります。

うつ病患者にとって、年末年始と言うイベント事を穏やかに過ごすというのは難しいことです。

なので今回の年越しも、自分をうまくコントロールできるといいなと思っていました。

年末年始を過ぎてみて、想像以上にアップダウンがなくやり過ごせたことが、うつ病の自分にとってはよかったなと思います。

 

一昨年の終わりには、1年を振り返って漢字一文字で表そうとしてみたり、昨年の初めには、ぼんやりとながら目標を立ててみたりしました。

この年末年始では、そういったことをほとんどしなかったので、今更ながら少し考えてみたいと思います。

 


昨年の初めに、「1年を表す漢字をコレにしたい」と思っていたのは、『解』でした。

自分を縛っているもの、それは自分自身の固定観念が大半を占めている状態だと考えているので、それを解くような内容の年にしたかったです。それから、繰り返すうつ病の根底にある“なにか”を解明したい気持ちでした。

実際には、解明できた障害(社交不安障害)の自分の人生を上手く受け入れることができないままになってしまっています。 


自分を縛ることをやめる方向に意識してはいるので、「〜しなければならない」という自分の中の当たり前や最低限のラインを下げるためのチャレンジは、日常の中でしています。

具体的には、毎日続いている日記を書き忘れて寝支度をしてしまった日、以前の完璧主義の私なら布団から出て日記を書くところを、「たまにはお休みする日を作ろう」と決めて眠りにつく、といったものです。これで自分を納得させられるようになったのは、進歩だと感じます。

 

 

というわけで、私の昨年の漢字一字は、決めるとしたら『始』でしょう。

社交不安障害と診断された年、障害と共にある人生をどう受け入れればいいのかと向き合い始めた年だったのが、自分の中では大きなことでした。

ほかには、LINEスタンプを作って販売を開始した年でもありました。SNSでの人との関わりが増えて、新しい関係を始めた部分もありました。

 

 

今年ももうすぐ一月が経とうとしていますが、今年の目標は、まず「生きること」です。

まるで当たり前のように今も生きていますが、本当は当たり前などではないと自覚するためでもあります。


今年を過ごしていく中でやりたいことなどの希望は、「絵を描く」「文字を書く」「受け入れる」などです。

描いた絵や、文章や、考え方の変化などを、このブログにも記していけたらいいなと思います。

家族の無理解

先日、今年最後のメンタルクリニックに行って来た 小柏まき です。

 

私が治療にあたっている診断名は3つです。

反復性うつ病性障害、強迫性障害、社交不安障害です。

 

目次

 

 

通院前日 

母の申し出

通院の前日、通院の憂鬱を呟いた私に、母が突然「一緒に行ってあげようか?」と言い出しました。訊いてみても特別な理由はなく、「一度も付いて行ったことがないから」という程度でした。私は、もしかしたら付いて来てもらった方がいいのかな? と動揺しました。

過去、社交不安障害の診断を受ける前、私は自分のうつ病の根底に何かあると考えて、発達障害を疑ったこともありました。その理由の一つが、変化を好まず安定に安心を覚える傾向が強いことがあり、予定などはできるだけ前もって知っていたい性格です。通院も、日が近づくと無意識に多少のイメージトレーニングをしているのです。なので母の急な申し出には反射的に反発したくなりましたが、どの選択肢を選ぶのが本当に自分にとっていいのかを考えようとした結果、言われた通りにするのがいいのかもしれないと一旦は考えたのでした。

上手く返事ができずにいると、その場に居た父が「付いて行ってもらった方がいいんだったら、付いて行ってもらえば」と言いました。私は「付いて来てもらったことが無いから、付いて来てもらった方がいいかどうかわからない」と答えました。

考えてみれば、家族として病気・障害のことや治療法について医師に質問したいことがあっても不思議ではないし、家族の目から見た私の日常の様子を主治医に伝えるのも、恥ずかしいけど治療には役立つのかもしれず、不安は沢山あるものの付き添ってもらうべきかもしれません。

 

そんなことを考えていると、母がまた口を開きました。「もう一つの病気のことは先生に話してあるの?」と。「……もう一つの病気って???」と私は混乱しました。訊いてみるとどうやら強迫性障害のことだとわかりました。“もう一つ” という表現の意味がちょっとわかりませんでしたが、混乱と同時に激しい嫌悪感、というか怒りの湧き上がりに自分がコントロールできなくなりました。

何がそんなに嫌なのか、何に腹を立てているのか、よくわからないことに自分自身で戸惑いながら「強迫性障害のこと? 話してあるもなにも、診断されたから障害の名前があるんでしょ」と強く言ってしまいました。

それから暫く、私は自室にこもって冷静さを取り戻そうとしました。

 

 

父との対話

その日、母は自身の掛かりつけ医に行く日で、母が家にいない間に、私は父と話す時間を設けてみました。

父の話では、私が自室で頭を冷やしている間に、母は父に「まきの障害、知ってた?」と訊いたそうです。父は「知らなかった」と答えたそうです。少なくとも数分から数十分かけて、それを何度も一応説明してきた数年の私の行動は無駄だったのだということが、話せば話すほど明らかになりました。

彼らにとっては、私が日常的に話したり、通院後に主治医に言われたことをできるだけわかりやすく工夫して説明したつもりのことは、「聞いてないから知らない」ことであり、病気の理解どころか “理解していないこと” があるということの認識も薄く、興味を持って理解しようとする姿勢は持っていないらしいのでした。

 

父は基本的に母を擁護し、「先生に訊いてみたいと思っていることもある」と言いました。私はできるだけ父の言うことを一つ一つ噛んで飲み込むように聞きました。

 

父の言う「訊いてみたいこと」というのは、うつ病の磁気治療についてでした。話によると以前、母が、父方の伯母からうつ病の磁気治療についての冊子を渡されたことがあったそうです。伯母は元々健康食品などが好きで、そういった何かの集まり(?)のときに貰った冊子を見て、うつ病の比較的新しい治療法を姪である私が受けてはどうかと思ったそうです。母は、その冊子をそのまま父に渡したそうです。そして、父は「まきは必要な治療は受けているから」と冊子を伯母に返したのだそうです。父の話によると、それが去年のことなのだそうで……父は「磁気治療についてどうなのかを主治医に訊いてみたい」というのでした。

まず、伯母が冊子を見て私の病気の心配をしてくれたことも、それを両親が受け取ったり返したりしていたことも、私はこのとき初めて聞きました。

磁気治療が難治性うつ病に効果があるらしいことも、副作用が少ない治療法であることも、テレビ番組を見て知っていました。私自身が磁気治療を受けようと思わなかったのは、磁気治療器は都会に行かなければ無いだろうと想像していたからです。その根拠は、主治医から選択肢として提示されていないことでした。近くに磁気治療をやっている病院があって、手軽に受けてみることができるなら、進んで紹介しないにしても選択肢として存在することを教えてくれているだろうと、思っていました。

 

次に父が「わからない」と言ったのが、『社交不安障害』でした。

4月に診断を受けてから、私なりには説明したつもりでした。父の “わからない” ポイントは、「社交不安障害で、手を何度も洗ったりするっていうのがわからない」というのと、「『障害』と『病気』の違いがわからない」というのでした。

私は、手を何度も洗うのは『強迫性障害』で、それは一昨年まで通っていた前の病院で既に診断されていたことを話しました。

それから、『障害』と『病気』の違いは翻訳の仕方の問題で、日本語の話になることを説明しました。『障害』は先天性のものを含め治らないという前提がなんとなくあり、対して『病気』は治療を施す対象のものを指す前提がなんとなくあり、しかしこれらの前提はあくまでなんとなくなので、ある精神科医が「治るものではない」と言う『双極性障害』も『双極症』と言い換えられようとしている、と話しました。

 

そして父は、「障害者手帳を取ってみたら?」と提案してきました。

自立支援医療の診断書が必要な年の更新時以外の時期に、障害者手帳の申請をするとなると、その分の診断書代が掛かることを伝えると、「それでもいいじゃない」と支払ってくれるようなので、「確かに、手帳があったほうがお母さんみたいな人にはわかりやすいかもね」と納得しました。

 

このとき既に私は頭にきていました。いや、結構前からイラついていたのを我慢した方だと思います。

私の感覚では、疑問に思っていることを直接訊きもせずに裏でヒソヒソ言っている人の考えが理解できません。伯母から貰った冊子の話も、どうして私には隠していたのかわかりませんし、障害について疑問があるのにそのままにして私に質問してくれない理由もわかりません。

磁気治療について主治医に訊いてみたいなら、その旨を私に話してくれれば診察時に訊くチャンスは幾らでもあったと思います。訊いてみることもしないで「訊いてみたいと思ってる」と言われると、被害妄想的に受け取れば、「田舎の医者(私の主治医)に訊いても大した知識も無くて収穫が無いだろう」と主治医を侮辱されているように感じました。

 

 

通院日

前日の午後にたまたま体調を崩した母は、「付いて行ってあげようか?」の発言についてどうするとも言って来ず、いつものように私は一人で通院しました。

一人の方が正直気楽だったので、具合が悪いのは気の毒ながら私は少し安心しました。

 

主治医に会うにあたって、何をどう話していいものか、頭の中がぐちゃぐちゃでした。どうにか言いたいことを言おうと、メモを書くことにしました。

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主治医の言葉

まず正直に、親が突然付き添いを申し出て戸惑ったことを話しました。

親が通院に付き添うのは、「その方が安心してもらえるかもしれないから、親御さんの体調と通院日が合えば来てもらってもいいよ」と。

親心を気遣って言葉を選びながら誠意を持って応対してくれる主治医を見て、きっと今までにも家族の理解が得られない患者さんの相手を沢山してきたであろうことに、やっと思い至りました。患者の家族や周囲の人に病気・障害を理解してもらうために話しをすることは、医師の仕事の一つなのかもしれません。

主治医のプロらしい物言いに、私は、親が来ても来なくてもどちらでも安心だと思えました。

 

『反復性うつ病性障害』『社交不安障害』『強迫性障害』で障害者手帳は取れるのか? について。

現在住んでいる自治体で手帳を取るなら、反復性うつ病性障害で3級だろう。障害者雇用枠で働くことを希望していない今の段階では3級だとメリットが少ない、ということでした。

しかしながら、家族の理解を得るためなら手帳取得よりも直接お話しした方が効果的ではないか、とのことでした。

 

磁気治療について。

うつ病の磁気治療を受けるには遠征の必要あり、同じクリニックに通う患者さんの中にも数十万円の旅費と治療費を掛けて磁気治療を受けている方がいるそうです。

主治医が磁気治療をしている医師に話を聞いた限りでは、アメリカでは磁気治療器が2社から発売されていて、効き目が強い方のメーカーの機械は日本にまだ入って来ていないそうです。なので、どうせお金と労力を掛けるなら、効き目が強いメーカーの機械が日本に入って来てからでもいいのではないかと思うとのことでした。

私自身が磁気治療を強く希望しているわけではないので、見送ることにしました。

 

 

気持ちの整理

やはり、私の主治医は質問すれば色々と教えてくれる先生でした。訊いてみたいことは、さっさと訊いてみればよかったのです。

 

母に「もう一つの病気のことは先生に話してあるの?」と言われて、混乱して激しく嫌悪を抱いた私の中には、大きく分けて3つの気持ちが渦巻いていたのでしょう。

①なりたくもない病気の治療を自分なりに精一杯やっているのに、まるでやる気が無いように思われていることが心外だという気持ち。

②診断されてもいないのに障害の名乗っているかのような言い掛かりを感じたこと。

③それから、そこに母自身が関わることで治療が大きく進むような口の挟み方なのに、付き添いの理由を尋ねると内容が無いことでした。

きっと母は、本当に軽い気持ちだったのでしょう。私がどういう気持ちになって語気を荒げたのか想像がつかず、急に怒り出したと得体のしれないモノのように思っていたかもかもしれません。

 

 

通院後の帰宅

毎度クリニックから帰ると、診察時の話などの変わったことや薬の処方などの変わらないことを、そのときに応じて家族に話しています。

今回はどういうテンションでどう話していいか、少し悩みました。結局、診察室での会話の内容のほとんどを、できるだけニュアンスを変えないように話しました。

それから、前日の母の発言で私が嫌な気持ちになったこととその理由を説明しました。

もちろん、私が「まるで治療する気が無いみたいに受け取れて嫌だったんだよ」と言えば、「治療する気が無いなんて思ってないよ」と反射的に言葉を返されました。逆の立場の設定で例え話をして、「想像してみてよ」と言うと、納得したような返事をしてくれました。

「私は何回も説明してるのに、忘れられて “知らない” って言われる。説明するのって大変なんだよ、時間も気力も必要なんだから。忘れることはコントロールできる範囲じゃないから仕方ないけど、忘れてることがあることは知ってよ」などと、意味があるような無いようなことを言ったりしました。

母は、「全然わかってあげられてなかったんだなって思う」と言っていました。

 

 

私はこうして確かめているのでしょう。家族の理解が得られる日なんて来ないことを。

たぶんもう、数日経った今では、私が何についてどう話したかは忘れられているかもしれません。もしかしたら、話をしたこと自体も忘れられてしまっているかもしれません。

「わかってあげられてなかった」という気持ちだけでも、ぼんやりとでも持っていてくれたらいいな、という思いが私自身の弱さなのだと思います。

洗脳の方法~宗教もブラック企業も~

新卒で就職したところが老舗ブラック企業だった 小柏まき です。

 

 

前回記事に引き続き、今回も人の心の働きについてです。 

 

今回は入社したブラック企業の新人教育方法に触れつつ、巷で応用されているであろう洗脳方法を具体的に見ていきます。

 

目次

 

 

洗脳の手順

 

まずは、外界から隔離します。

外からの情報を断つことで意識が向く事柄が限定されていきます。また、比較対象が近場に無いことで現在の自分の置かれている環境や状態を客観視しづらくなります。

 

 

次に、心身共に弱らせます。

これは個人的には本当かどうか判別できないのですが、新興宗教の勧誘方法の中で見聞きしたことがありました。

身体を弱らせれば精神は不安定になりやすいので、身体を弱らせます。具体的には、食事の量や回数を減らして飢えさせたり、睡眠を妨害したりします。

そして心も弱り始めてから、人格を否定したり存在価値の無さを責めたりして精神的に追い詰めます。

 

 

冷静な判断力を失い、生命の危機を感じるようになったら、条件付きで欲求を叶えていきます。

教え通りに改心した言動をすれば、食事や睡眠を与えていき、衰弱から回復させます。

このときに、この報酬は教えに従ったから得られたものだと説きます。

 

これで、寝ることも食べることもままならず苦しかったときのトラウマを抱え、教えられたことは身を守るため・豊かな生活をするために大切なことなのだと思い込んだ状態が、ほぼ出来上がります。

人格否定され続けていた状態から、周囲に歓迎される存在にポジションを変えた体験によって、「今までの人生が間違っていた」「やっと目が覚めた」と感じるかもしれません。

 

 

最後に、隔離場所から解放して普通の生活に帰すのですが、世の中の一般的な暮らしなどの情報に触れると、自分が教え込まれたことに違和感を感じて遠ざかる原因になります。

そこで、定着・強化するための行動を取らせます。

それが、他者に教えを説くことです。そしてその行為に報酬は与えないことが重要です。報酬を与えると、その行為は報酬のためのものになってしまうからです。

 

私自身の社交不安障害を『報酬に見合わない労働には遣り甲斐を見出して納得する心理』に焦点を当てて扱った前回記事はこちら↓

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 

 

宗教の勧誘の場合

 

実際に私自身が強く勧誘されたことはないので、テレビやインターネットの情報をもとに考えてみます。

人里離れた施設で山籠もりしたり、出家という形をとって今までの生活とは環境を変えたりするのは、日常的な情報を遮断するためなのでしょう。

このように洗脳の過程を踏まえれば、宗教の悪質な勧誘で「拉致されて攻撃された」という内容を聞く機会があるのは、それが許されることかどうかはさておき納得できます。 

そして何より、信徒による宗教の勧誘には、新規の入信者を増やす目的以外に勧誘している人の信仰心を強める効果があると言えます。

 

 

 

ブラック企業の場合

 

入社後すぐに、行ったことのない山中の施設に連泊し、30キロの山道をグループで競うウォークラリーをしました。

他には、散々大きな声を出させられたり、照明を落とした中で参加者同士が強い言葉を掛け合うなんてこともしました。

緊張感の中で寝起きし、ウォークラリーで体力を消耗し切って、いろんな話を聞き、いろんなことをしました。

 

後になって冷静に振り返れば、山中での合宿は外界からの隔離であり、疲弊したところで理念を説くのも含め、洗脳の方法をとっていたのだと思いました。

結局、身体を壊して退職しましたが、この会社で働いていた時期を思い出すと「楽しかった」という印象が強いのは、私自身の心の働きによるものなのでしょう。

報酬に見合わない労働には遣り甲斐を見出して納得する心理

今年の中旬から気分が落ち込み気味で、今もなかなか消化できないでいる要因のひとつに関わる、材料を記しておこうと思います。

 

 

 

学生時代に先生から聞いた話です。

 

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ある大学で、心理学の実験をしたそうです。

実験者の教授だか准教授だかが、学内で学生をスカウトすることから始まるものです。

 

一人で居る学生に「私の研究室でアルバイトをしないか?」と声をかけます。

承諾した学生を研究室へ連れてきて、単純で意味のない作業を、ある程度の時間やってもらいます。

バイト終了の時刻になったら、報酬を支払い、お礼を言います。

そして、同じアルバイトを他の学生にもやってほしいから、後任の学生をスカウトして来るようにと頼みます。

その後他の学生をスカウトしている学生を気づかれないように観察します。

これを、報酬額を変えて、行います。

 

すると、報酬が存分にもらえた場合、高額のアルバイト料金がもらえた場合の被験者の学生が別の学生をスカウトするときには、「このアルバイトはすごくつまらなくて無益だ。くだらないアルバイトだけれど我慢していればこれだけの報酬がもらえる。だからやったほうがいい。」というように勧誘するそうです。

 

一方、報酬が労働に見合わない金額、つまり少なすぎる報酬だった場合、被験者の学生が別の学生をスカウトするときには「このアルバイトは安全で、単純で簡単な作業にもかかわらず先生の役に立てる。しかも報酬がもらえる。オススメだよ。」というように勧誘するそうです。

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この実験は、対価に見合わない労働は 自分がやりたくてやっている やりがいがある” と思い込もうとするという心の働きを見ることができるものなのだそうです。

 

 

 

この実験の話が、私の気分の落ち込みとどう関係があるかというと、今年の4月に社交不安障害と診断されたことと繋がっています。

 

私は、考えてみれば幼い頃から、いろんなことに苦痛を感じてきました。それらは今になって振り返れば社交不安障害が原因になっていることが少なくありませんでした。

私の人生には、不登校の期間があったり、そうかと思えば宗教か何かと勘違いされるような厳しい学校で学級委員ばかりやらされていたり……双極性障害の恋人を看病していたことや、それと平行してブラック企業で会社員をしていた時期ありました。

そんな自分の人生でも、選択肢があるときにはすべて自分で決めて選んできたのだから責任を持ちたいと思っていました。こういった意識は強い方だったと自覚しています。

 

しかし、本当は選んでなんかいなかったのだと、気づいてしまったのです。私には、健全な人と同じ数の選択肢はありませんでした。自ら選択したと、思い込んできたのでした。この思い込みの元になっているのが、【報酬に見合わない労働には遣り甲斐を見出す】という心の働きでした。そう思い込まなければ、やってこられなかったのでしょう。

 

気がつかなければそのままにしていられたものを、気がついてしまったが故に、今後どういうスタンスで人生に立ち向かえばいいかわからなくなってしまいました。

うつ病の治療という観点から言えば、「立ち向かう」という意気込み自体が相応しくないかもしれません。

これはもう、このまま、一生どうにか付き合っていく課題なのかもしれません。

LINEカスタムスタンプを自作しました

おもしろバグとリジェクト初体験に見舞われた 小柏まき です。

 

8月に作ったLINEスタンプの続編を作りたいと思って、絵をコツコツと描いていました。

そんな時、LINEクリエイターズマーケットで『カスタムスタンプ コンテスト』の告知を見ました。今までは一般のユーザーが作ることができなかったカスタムスタンプが誰でも作れるようになるのを記念したイベントのようで、グランプリなどの上位の賞以外にも「参加賞」が設けられていて、抽選でLINE payが当たるらしいことに惹かれ参加することにしました。

動機は他にも、純粋に「カスタムスタンプを作れたら自分で使えて楽しいだろうな」と思ったり、期限を決めて取り組むのには企画に参加するというのはもってこいなことだったりしました。

 

なんだかんだで時間がかかってしまい、コンテスト締め切り日にやっと申請できました。

締め切りの日には、申請前にこんな画面に遭いました。設定などを触った覚えがなく、一度閉じて入り直したら戻っていたのでバグだったようです。

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……何語でしょう? アラビア語でしょうか?

 

翌日の午後、LINEクリエイターズマーケットから連絡がきました。

「申請中のスタンプはリジェクトされました」とのことでした。

 

リジェクトとは、審査に通らない差し戻しのことです。前回のスタンプでは一発で審査を通過したので、リジェクトは初めてでした。

また、その連絡をもらった時点でコンテストの締め切りは過ぎていたので、コンテストに参加するという目的は果たせませんでした。

 

リジェクトの理由は、タグ設定だったそうです。

タグは、スタンプ1つにつき3つまで設定できるもので、決められた様々な言葉から適当なものを選択します。

 

LINEのトーク上で文字入力しているときに、入力中の言葉がタグに設定されているスタンプを、候補として表示してくれるというものです。

例えば、泣いている絵には「泣く」「悲しい」などのタグを付けておけば、「なく」「かなしい」と文字入力しているときにスタンプが表示され、そのまま選んでスタンプを送信できるので、実際に使うときに便利です。

しかしこのタグ付け、スタンプ作りの中ではとても面倒な作業工程です。まずタグを検索することができないこと、それからタグが あいうえお順 などに表示されていないことから、付けたいタグが存在するかどうかをしらみ潰しに見て探して選ぶしかないという、個人的には少しイライラしたり滅入ったりしながらしていた作業でした。

タグ付けは必須ではなく、あると便利な程度のものです。

 

今回のケースでいえば、タグを付けずに申請すれば、手間は省けて審査は通ったということになります。

しかしこれは結果論なので、もっとも好ましい方法は、期限ギリギリにやらずに時間(日数)に余裕を持つことでしょう。

 

タグが理由でリジェクトされたことはわかっても、どのタグが絵と合っていないと判断されたのかは教えてくれません。言ってしまえば、明確な判断基準があるのかどうかも不明です。

どちらにせよ、もう期限は無くなったので、「これは余分だったかな?」と目星を付けてタグを削除して、すぐに申請し直しました。

 

カスタムスタンプが作れるようになったばかりだからか、申請してから審査結果の連絡が来るまで数日かかりました。

こうして、【タグが原因でリジェクト】→【余分だと思われるタグを削除して再申請】を2回ほど繰り返し、「スタンプの審査が完了し、承認されました。」と連絡をもらえたのが11月24日でした。

最初に申請したのが今月15日。前回のスタンプが申請翌日に承認されたことを思い連絡が来ない日を長く感じましたが、考えてみればカスタムスタンプを一般のユーザーが作れるようになって申請した人が多い時期であっただろうことや、コンテストが開催され抽選なども行われていたことから、きっと審査してくれる方は忙しかったことでしょう。

 

 

というわけで本日11月25日、晴れて販売し始めました。

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[生首彼女(カスタム)]

https://line.me/S/sticker/9938979?lang=ja&ref=lsh_stickerDetail

 

『生首彼女(カスタム)』です。

任意設定した最大5文字をスタンプ内に表示させることができます。

名義は前回同様、やみノ巻 です。

なかなか実用性が低い上に、カスタムスタンプの設定できる価格が250円(100LINEコイン)ということで、割高感が否めません。

 

次回、LINEスタンプを作るときには、カスタムではなく普通のを16個以上で作りたいです。

 

 

前回のLINEスタンプはこちらの記事から↓

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 

公民館展示会で押し花体験

11月といえば、文化祭シーズンですね。

昨日は母と一緒に公民館の展示会を見に行ってきた 小柏まき です。

 

本当は土曜日に行く約束をしていたのですが、体調が優れないので予定を順延しました。

 

目当ては家族の出品作でしたが、こぢんまりした会場とはいえ、他の作品も興味深く見て楽しめました。

或るサークルの絵を見ているときに、主催側の女性が声を掛けてきました。「ここにある絵は三原色で描かれてるの」と。絵の具の三原色シアン・マゼンタ・イエローを混ぜることで全ての色を作っているということらしく、そう思って改めて見てみると微妙な色の変化を出していく作業風景が想像されて、尚更興味が湧きました。「三原色っていうのは赤と青と……」と言われて「黄色ですよね」と口を挟んでしまいましたが、これは小学校でも習った記憶があるのでいいだろうと思うことにしました。

自分がこういうときに声を掛けられやすいタイプであることを、少し嬉しく思えるくらいの体調の良さがありました。

 

一通り見終えて、「座りたい」と言う母の言葉に「帰ろうか」と応えつつ、出入り口付近まで行くと押し花の体験コーナーがあり、椅子が幾つか空いているのが目に入りました。

机の上には紙皿に乗った何種類もの押し花が用意されていて、その向こう側では、先程声を掛けてきた女性が栞作りの体験の呼び込みをしていました。

 

私は個人的に、押し花に憧れがありました。しかしながら生花を押し花にするには、花を育てるかあるいは自分の家の敷地内の花を摘んで作る必要があります。これが実際にはなかなか難しいところなのです。

主に厄介なのは、私がうつ病で外出が大変なことと、強迫性障害の不潔恐怖で洗ったり除菌したりできない物を外から持って帰ることに強い不安を感じることです。

社交不安障害の対人恐怖があるので、サークルには入りづらいですが、すぐに終わる体験はたまたま大丈夫な気がする体調だったので、「やってく? 椅子あるよ」と母に言ってみると「じゃあ」と付き合ってくれました。

 

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押し花などを封入するための栞キットが販売されているようで、栞サイズの厚紙に両面テープが装備されていて、その上に薄い和紙を被せれば出来上がりといったアイテムを使っていました。

押し花や押し葉っぱ(?)を好みのデザインになるように配置していくのに、両面テープを使うときに剥がすツルツルした紙に、材料を置いてみてバランスを決めていきました。

全部の配置が決まったら両面テープののり部分に貼っていきます。これらの作業をするのに、先がカモノハシのくちばしのような形をしたピンセットを使っていたのですが、使いやすくて感心してしまいました。切手収集などにも使う、掴んでいるものを傷めないものです。これが押し花をそっと押し付けて貼り付けるのに便利でした。なんとなく存在は知っているものの使ってみたのは多分初めてでした。

 

こうやって知らない人に色々訊いてなんていうことのない会話をするの、元々は好きな性格なのですが、不安でどうにかなってしまいそうなときと平気なときが自分でも予測できずに訪れるので、たまたま関われる人がいてくれるのは有り難いことです。

 

ですが、この女性、多少クセが強い感じがありました。年齢は母より少し上でしょうか。教える側なので当たり前といえばそうなのですが、少しの動きで私が誤解していると決めつけてバシッと注意してくれます。

私の心の中では、「せっかちなオバサンだなぁ」「手作りは得意だし教える資格も持ってるし色彩検定も持ってるんだけどなぁ」と苦笑いして、「でもそんな わけわかんないマウント取りたくないな」と素直にアドバイスを受け取りました。

 

ちょっと気になったのが、和紙を被せた後に、和紙の透明度を高めて押し花の色彩を際立たせるためにレジン液を塗ったことです。塗るだけ塗って、軽くティッシュオフしてそのままでした。UVライトやLEDライトや日光に当てる工程が組み込まれておらず、日常の紫外線で硬化するのを待つのかな? と疑問でした。しかしそれよりも強く疑問だったのが、レジン液を素手で扱い指で塗り込み、指をティッシュで拭いて終わりにしていたことでした。人体の健康的に大丈夫なのかな? と、小さな子どもが体験した後に食べ物と一緒に口に入れてしまう危険性は考えられていないのかな、と思いました。

地域の年配の方々が小規模でやっているサークルには、こういう知識がグレーのまま教えてしまう側面が、ままあるのだろうなと想像しました。

 

レジンを塗った後は、パンチで穴を空けて、好きな色の紐を通して結んで出来上がりでした。

紐も6色くらいある中から選べて、気に入る栞ができました。

 

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黄色い花の花びらが欠けている部分を下にして、別のピンクの花がそこを埋めるように置きました。花を置く部分と余白を残す部分を作って、メリハリを出したつもりです。

 

レジンが気になって、帰宅後しばらく日光に当てました。

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近頃ぼちぼち読書をすることがありますが、読書が楽しくなりそうです。