考えの調理場

不登校から教員免許取得。【反復性うつ病性障害&強迫性障害】女の、考えの調理場。

“感じ方・受け取り方”の違い【なに色?】

なにかを記そう、残そうとしたとき、私たちがもっとも手近で選びやすい方法は“言葉を使う”ことでしょう。

言語が違うと(外国語に翻訳すると)細かなニュアンスが変わってしまったりしますが、そうでなくとも、込めた想いと違った風に受け取られてしまうことはあります。

例えば同じ本を読んでも、人によって感想が違って、私にとって大好きな小説が誰かにとっては大嫌いな小説だったりします。 

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 この作品が私にとっては、とてもわかりやすく「“感じ方・受け取り方”の違い」を実感したものでした。

 

 

言葉以外に、なにかを共有したり残したりするのに、どんな方法があるでしょうか?

音楽といった芸術分野には、その方法という側面もあると思います。

 

ムンクの叫び』でお馴染みのムンクは、目で見たものではなく「気持ち」という目に見えないものを表現した画家でもあります。

 

 

しかしながら、私たちが見ているものは、色ひとつをとっても、全く同じようには受け取られません。勿論、視力が弱い人・色弱色盲の人・白内障の人、様々な人がいるでしょうが、それらに当てはまらない人でも、実は色の見え方自体が違うそうです。実際に誰かと私でどういう風に見え方が違うかというのは、照らし合わせられるものではないので、違っていたとしても気づかずに、ずっと誤解したままでも不便も感じないことでしょう。これにはひとつの正解があるわけではなく、どれも正しいのです。

 

ogasiwa-maki.hatenablog.com

 この記事で黄色い万年筆の話をしていますが、ここで「黄色」と表現したのは、一般的に黄色だろうなと思ったからです。当時から私にとって「黄色い万年筆」は緑色でした。

家族に「緑色じゃなくて青がよかった」というようなことを言ったら、「緑じゃなくて黄色でしょ」「緑ではない」と言われてしまいました。

大人になって、色に関する勉強を少しした後でこの万年筆を見てみると、反射光が黄色で透過光が黄緑色でした。私は黄緑色を感じるものを「黄色」と表現するのに抵抗がありました。理由は緑色というのは黄色と青が混ざった色で、「緑色」という言葉は青緑から黄緑まで幅広い色を指す言葉だと思っていたからです。高校1年生の頃に家族に言い負かされてからずっとモヤモヤしていたので、色のことを少しでも学んでよかったと思います。

 

 

“言葉にできない想い”というのは、どうやったら人に伝わるでしょうか?

顔の表情や言葉の言い方花束にするという方法もありますね。

 

誰かから受け取った言葉やモノを、どう解釈して受け取るかは、自分次第ということです。自分の受け取り方が偏っているとか一般的でないとか、そういう認識を持つことは、いちいち簡単に比べてみられない分難しいことです。

 

ただ、自分の受け取り方を変えて、不安や落ち込みといった苦しさを少なくできるのなら、そうしたいと思います。自分の考え癖を変えるのは、筋トレをして身体を変えるようなもので、短期間でできるものではありませんし、何度も繰り返す訓練が必要です。

この訓練を、私は暫くの間やってみています。「これって、こういう風に受け取ってたけど違った受け取り方もできるのかな」とできるだけ意識して自分の考え方を見直してみる、という単純ながら難しい方法です。

筋トレと違うところは、筋肉量が増えるうようにわかりやすい変化がないことです。「以前の私ならこう受け取っていただろうな」と思うことがあれば、少しずつ変わっていっているということだと思って、これからも続けていくつもりです。